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社会問題を考える


by phtk7161
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検察の調査費(裏金)問題・・・5月16日のテレ朝「ザ・スクープ」の特集に期待したい

「カネ」に関して清廉性が求められるのは、何も政治の世界だけのことではない。公的に関すること、たとえば行政の裏金についてもそこには厳しい目(清廉性)が向けられることになる。

これまで行政組織については多くの裏金問題が発覚した。そのなかで刑事処分にまで発展したものも少なくない。警察組織でさえ極少数とはいえ裏金の存在を認めた。

しかしただひとつ、この裏金について例外的な扱いをうけている組織がある。それがすなわち検察という組織だ。

三井元公安部長が告発直前に逮捕され訴追された。検察の調査費については一年あたり最高で5億をこえる金額だったものが、8000万にまで減っている。実に4億の差額だ。すべてが正当に使われていて、どうして調査費にそこまで年ごとに差がでたのか。まったく理解できない。必要なことにだけでなく、むしろ元公安部長のいうように相当な金額が個人的な飲食費(あるいは遊興費)に使われていたというほうが、「善良な市民感覚」からみれば説得力をもつ。

この件については当時の森山法務大臣が「問題はなかった」と泳いだ目で記者会見をして、シャンシャンシャンとなった。普通に考えれば当時の小泉内閣と検察上層部の間でこの件を「不問」にするという取引(密約)がおこなわれたと解するのが自然であろう。もちろん当然政府に検察は借りを作ったことになる。したがってその後の特捜部の捜査が本当に純粋な意味で行われたのかどうか、政府=清和会にとって目障りな存在を放逐するのに一役かわなかったか・・・こうなると検察(特捜部)というよりCIAに近いが・・・疑問なしとしない。

もっとも検察の裏金自体のことより、私はの怒りはむしろそれを隠そうと権力(捜査権を使って)を使って内部告発者(三井氏だけではない)の口封じをした・・・そのやりかたは法形式的には問題ないようにみえても実質的にはどうみても職権乱用(これ自体犯罪だ)である・・検察の姿勢や問題を意図的に見逃した当時の政府(小泉内閣)にある。

裏金自体については、どの組織だって引き継がれた悪しき慣習のなかで間がさすこともある。検察だって人の子そうあって不思議はない。過ちは時に誰にでもあるものだ。しかしそれでもそのことで責任を足らざるを得なかった人間は(刑事処分を含め)他の行政組織にはいる。

「検察の信頼」確保の重要性が、裏金の責任を問われないままでいい根拠にならないことはいうまでもない。むしろ、裏金を隠しそのために権力を乱用したという印象をもたれたままの検察でいるほうが、検察への捜査の信頼性は今後ますます低下していくだけであろう。

小沢問題も含め検察が「政治とカネ」の問題を今後も厳しく追求していくつもりなら、自らの過ちについてもきちんと認めたうえで、過去の疑惑を清算すべきである。そうでないとどうしても、「政治とカネ」の問題について捜査をしても「検察よ。お前が言うか」ということにならざるをえない。

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以前にも述べたが私は裏金の問題がうやむやになったときそれでも「ま、検察も検察なりにいろいろ立場があるだろう」と納得するようにした。メディアについても「やっぱり検察が怖いんだな。そんなもんか」と思ったものだ。

その伏線もあり、だから形式犯(贈収賄ではない)にとどまる小沢問題について、検察が自らの過去を棚に上げ強引とも言える捜査をしたことには当然驚き怒ったし、過去のカネのことに触れないメディア・・・ただしごく一部であるがこれに触れたメディアもあった・・・にも同じく怒りを感じた。

もし小沢が「カネ」で厳しく追及されるなら、当然検察の「カネ」の問題を棚に上げたままでいることもおかしい。政治資金に関する小沢疑惑の金額は億をこえているといわれるが、検察の裏金の金額はその存在(不正使用)が本当だとするなら過去全部をトータルすればその何倍もあることになる。

国民がカネのことで「小沢は許せない」というのなら、それは検察についてもそうであって当然ある。そうでなければ、そういう世論は「善良な市民感覚」とはとてもいえないはずだ。「検察は怖いから」・・・メディアはそうであるが。あるいは「小沢を裁判に引きずり出したいからそのためには検察の力を弱めてはいけない。だからカネの問題には目をつぶろう」ということなら、どこが「善良な市民感覚だ」ということになる。

検察が社会的に重要な役目を担っており今後も市民のために不可欠な存在であることはいうまでもない。裏金の不正使用がたとえ一部の上層部の不正であり、多くの検察官はこの問題とは無関係・・・実際そうであろう・・・だとしても、この問題が「検察」という組織の不正であるということにかわりはない。

裏金の存在のみならず口封じ的な動きも含め、検察という組織がその清廉製について疑問をもたれたままでいることは、今後の検察捜査の信頼性にとっても大きなマイナスである。一度きちんと検察が過去の過ちを認めて信頼を取り戻す。それは今後の検察のためにも必要なことである。

明日(5月16日)テレビ朝日のザ・スクープでこの検察の「裏金」の問題が取り上げられる。できるならこれを機に、今後多くの人にこの問題を知ってほしいと思う。また今後この問題を取り上げるメディアがでるかどうかという点にも注目したい。おそらく日テレ・テレ東(読売・日経)は、今後もこの件には完全に沈黙だろうが他のメディアがどこまで意地を見せられるか期待したいところである。
by phtk7161 | 2010-05-15 19:02