社会問題を考える


by phtk7161
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「社会部」・「政治部」ふたつの解説記事・・・東京新聞「社会部」佐藤直子記者の優れた解説記事について

前回ブログ更新が長引いたことをお詫びしたが、そうはいっても更新したくなる(書きたくなる)モチーベーションにつながるものがあれば思うのは事実だ。昨今なかなかそれにつながるものがなかったなかで、久しぶりにその気にさせてくれるきっかけがあった。

それは何かといえば、新聞にのっていたある記者の解説記事。具体的にいえば今朝(7月20日)の東京新聞15面のメディア観呈という欄の内容である。この欄の社会部の佐藤直子記者の書いた「在京メディアの沖縄問題」の内容はなかなかのものである。沖縄現地と在京メディアとの温度差の違いの問題を鋭くついた内容になっている。

昨今新聞(他のメディアも含め)の質にがっかりさせられることが多いなかで、この解説を読むと「まだまだ記者もすてたものではないな(そういうひともいるにはいるな)」と思わせ、メディア再生のかすかな希望をあたえてくれる。

「私たち在京メディアに必要なのは、沖縄で起きていることが自分の街で起きたらと、想像をめぐらせることだろう」と彼女はいう。そして実はそのことは、メディアのみならず私たち国民それぞれにも十分あてはまる。私がこれまで普天間基地移設問題について述べた中で、もっとも罪が重いのは「国民」だといったのは、その意味である。

「やっかいなものは沖縄に押しつけとくしかないじゃん。わたしんとこにこられても困るし」というその無責任さは、結局は「他(沖縄)の立場に置き換えて物事を考える」という知性のなさ・・・佐藤直子記者の言葉でいえば「想像力」のなさということになる・・・によるものだ。こういう人間には、鳩山元首相を批判する資格などない。

佐藤直子記者は社会部であり、今回の解説が彼女個人としての書かれたものか社会部記者として書かれたものかそれは分からない。ただいずれにしても、この解説記事はメディアを担うに十分ふさわしい優れた記事であるといえよう。

       ☆           ☆           ☆

ところでこの欄の別の解説記事に関して面白いなと思うことがあった。それはある政治部記者の書いた「疑われた菅首相の信頼性」という解説記事である。彼は今回の参院選惨敗の原因を、消費税発言に関して軌道修正した菅首相の「ぶれ」たその姿勢にあるという・・・少なくとも私にはそう読める。

参議院選敗戦の原因(菅首相に関するもので)は、果たして消費税発言後の「ぶれ」にあったのだろうか。私はそうは思わない。原因は、消費税を具体的な数字まであげ国民にその本気度を感じ取らせてしまった当初の発言の表現法にあったのであって、その後の修正発言にあったのではない。もしその後修正発言をせずさらに具体的な発言を続けていたら、比例の票はさらに減りもっと惨敗していた(さらに有権者は離れた)であろう。

消費税の「本気度」は、絶対的民主党支持者ではない人にとってはマイナス材料以外の何ものでもない。消費税に関する具体的発言への踏み込みは、少なくとも選挙に関しては有権者には「本気度」を強く感じさせる効果しかないのである。

「菅の野郎消費税あげて、いきなり俺から金をとるといいやがった。馬鹿いうな。」。もし、さらに具体的発言に踏み込めば、「こいつ本気ですぐやるつもりだ。俺は絶対払いたくねえ。くそ馬鹿野郎、絶てぇ民主党なんかに票いれるか。」財政危機を、まだまだ本当の意味(リアル)では実感できない国民の感覚とは、だいたいそんなんもんだ。この記者には具体的(リアルな)有権者の立場に立って考える「想像力」が欠けているように思う。

昨今の政治部の問題に関しては以前にも述べた。

彼ら(政治部)には最初から「こうなってほしいという」という結論があり、彼らの記事はその結論に導くための「もっともらしい」理由付けにすぎなくなっている。そしてその「もっとらしさ」は、時に○×思考に陥り、ある種の想像力に欠けあまり説得力をもたない。彼らは政治部で「当たり前」となっている論理に対し「疑ってみる」ことをせず・・・あえて気づかないようにしているかもしれないが・・・硬直した思考に陥ってしまっている。

たとえば、鳩山政権時2元政治の形が問題とされたが2元政治によりそれぞれの長所短所を補う形もありうるだろう。なぜ彼らは安直に「2元政治=悪い政治」ととらえるのか。なぜその論理を疑ってみようとはしないのか。

先の政治部の記者は、菅首相の発言の「ぶれ」がいけないことのようにとらえている。しかし政治は「ぶれ」ていいこともあるし「ぶれ」てはいけないこともある。一方的な「ぶれない」→「信念」→「強いリーダーシップ」→「優れた政治家」といったその論理の安直さは、まさにメディアが政治をテレビドラマのように扱うことに染まりすぎたことの証にすぎない。

「ぶれ」ないことが政治(選挙を含め)にとってマイナスになることもある。そこをこの記者は分かっていない。そしてそうなってしまったのは、この記者個人に原因があるのではない。「政治部」のもつ体質にその原因があるのである。それは「想像力の欠如」であり、取材対象への距離の度合いである。たとえば検察との距離のとり方、あるいは見方によれば政治部部長の21世紀臨調への参加もそうなのかもしれない。知らず知らずのうちに、専門家気取りの上から目線になってはいないか。

今政治部(どこのメディアの政治部でもそう)の伝えるその記事はどこもドラマ仕立ての安直さに満ちている。こつこつと両サイドの事実を拾い集め、たとえ記事として結果として退屈でも堅実な情報を提供していく。それがまさにメディアである。そしてそのために私たちは料金を払っている。先に出したひとつの結論に導くための「ドラマ仕立て」の記事などだれも望んでいないのだ。そんなものはテレビドラマや与太週刊誌で十分である。

今日の新聞で書かれたふたつの解説記事。ひとつの紙面にすぎないものであっても、このふたつの解説記事は、今のメディアについての問題点を提供してくれたといえよう。
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by phtk7161 | 2010-07-20 08:21