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社会問題を考える


by phtk7161
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福島第一原発事故での初期対応(政府の)批判の無知さについて

福島原発の放射能漏れの問題。この問題の対応にあたって政府を批判する向きもあるが、それは現実の状況を過去からさか上って分析する姿勢を欠いた、無知な行為に過ぎない。

いわく「初動時に米軍の申し出を政府が断ったけしからん。」

でも考えてみてほしい。事故発覚後初動時に現場で対応していたのはどこか。少なくとも福島原発に関して事故解決の能力をもっている組織はどこか。それは東電をおいて他にない

東電は原子力について科学的知識(事故解決能力の)は政府以上に以上に長けている。少なくともそういう図式のなかでこれまで長年原子力は推進されてきたのである。またそうでなければ原子力の推進など絶対やってはいけなかったはずである。今度のことで一段と評判を下げた保安院の安全へのお墨付など、東電優位のなかでの完全なできレースにすぎない。

その能力にたけているはずの東電が「米軍の支援は必要ない」といった。つまり自分でできるといったのだ。もしこの時点で政府として東電は信頼できないとして、東電の意見を無視すべきだったとするなら、ならいったいなぜ「長年政府はその程度の能力の東電に原子力をまかしていたのか」ということになるはずである。

だから当初東電の意向にそった決断を政府が下したことは決して非難できない。その後菅は短期で東電体質をみきった。そのことは東電の撤退姿勢を罵倒したことにあらわれている。見切るまでの期間としては決して遅すぎたとはいえないだろう。

またいわく「菅が事故後すぐに視察にいった。けしからん。」

これなどまさに軽薄意見の典型である。行かなかったら行かなかったで「なぜ現場もみずに対応にあたったのか。事故の重大さへの真剣味がたりない」。どっちみちけなすための言葉は用意されている。つまりためにするせりふである。

この手の論者は「視察で原子力の対応が遅くなった」とのたまうが、事故は当初の号機だけで起きたのではない。菅の視察後も別の多くの機で次々とトラブルが起きている。どう初動しようが、連続して深刻なトラブルは結局発生したのである。その意味で、福島第一原発の事故については、「初動がうんぬん」はあまり説得力をもたない。

今回の事故では「これが正解の対応」は、だれがやったところで(たとえアメリカでもだ)存在しない。「おきてしまったら、正解のない未知のトラブル」それが今度の問題の本質である。そのことを理解できなていない「無知」な輩が、「初動うんぬん」をほざくのである。たとえ机上で事故後の対応をこれが正解だったとどう論理をつくったところで、それは完全なるうそである。

☆          ☆           ☆

結局今回の問題点は、東電の「論」をそのまま支持し(維持してきた)、隠蔽体質をもつこの組織に原子力の安全を丸投げしてきた政府とそういう政治を許容してきた私たち自身(政権党・国民・メディア)の甘さにある。

ことにその中でも、長く政権を担当してきた自民党には今の政府の対応を批判する資格などこれっぽちもない。自民が原子力について政府対応を批判するならそれこそ天に唾する行為である。実際東電を今のような体質の組織にしてしまったその責任は免れない。と同時に責任は「そんなことはおきない」とたかをくくりごまかしごまかし原子力の危険を見逃してきた、私たちにもある。

だから私は、今回の原発トラブルの対応に関して、決して政府を批判しない。被爆国でありながら、長年にわたり将来の危険すら見抜けなかった者(政府・政権党・メディア・国民)に、もっと高度な問題である「危険発生に対する対応の正解」などだせるはずがないではないか。今となっては、一種の実験的試行錯誤を繰り返す中で、沈静化をめざしていくしかないのだ。

もし今度の問題でどうしても正解を求めたいなら、それは唯一「地震国では原子力はむかない。でもどうしてもやるなら導入時これでもかこれでもかというあきれるくらいの安全を確保するシステム(政治を含めた)づくりをすべきだった」ということしかない。

初動だけの検証など全く意味がない。検証は過去のことも(どうして東電がこういう組織になったのか、どうしてそれが許されてきたのか。)あわせて同時に平行してきっちりやらないかぎり、それは何の意味もない無知なごまかし(インチキ)にすぎないである。
by phtk7161 | 2011-04-09 01:03