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社会問題を考える


by phtk7161
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原発時の教訓・・・権威主義の崩壊について

今回おきた原発事故は、これまで権威でごまかされたきたものがもはや通用しなくなったことを示すものだ。原発事故前・事故後のいずれにおいても、権威者の無能ぶりは今回十分に証明されたといえる。

原子力安全委員会しかり、保安委員しかり。これまで学者や官僚の存在は、その経歴を能力と同等なものとみるいわば「看做し社会」のなかで「権威」化され、政策遂行の有力な根拠材料となってきた。数々の諮問員会もその形態のひとつだったといえる。

今でも学力神話は根強いものがあるが、団塊から私たちの世代(60~40代)はさらにそれへの信仰は強いものがあったといっていいであろう。まったく馬鹿げたことだが、難関大学に合格するとその人格まで比例して扱われた時代もあった。ドラマ「翼をください」や「ふぞろいの林檎たち(一番最初のもの)」などもまさにそういう時代背景を描いていたように思う。

当たり前のことだが、私たちの社会には世界ごとに多種多様な問題が存在する。そこでは解決に必要とされる知識や経験も、その世界ごとに様々である。すべての分野の問題を解決できる、あるひとつの絶対的万能な能力というものは存在しない。試験的能力も確かにひとつの能力だが、所詮はひとつの世界の能力にすぎない。

ところが私たちの社会は、このことを真正面からとりあげてこなかった。予定通り進めたい政策がある時、学問的・専門性(官僚組織)的背景に彩られた権威主義を利用することで、重要な問題をごまかしてきた。そこに万能的一つの視点を重宝し、多元的な視点をめんどくさがる社会的風潮があったことは否定できない。その絶対的万能的視点が、学歴的権威主義だったともいえる。

原発の問題に限らず、これまで様々な分野で、問題の本質を見据えた声は存在してきたが、権威主義のなかでその声はかき消され、私たちは本質を見極めることから遠ざけられ、あるいは遠ざけてきた。その結果をはからずも原発事故は示すこととなった。

表紙的飾り(権威)から中身(解決能力)へ。表紙にすがるな。中身を見る努力を。それが今回の事故の教訓ともいえるだろう。
by phtk7161 | 2011-06-16 21:51