社会問題を考える


by phtk7161
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自衛隊から軍隊への問題点

戦後、平和主義の憲法もとで、日本の防衛組織は、警察予備隊から保安隊そして自衛隊へと、その名称はかえられてきた。
その経緯では、その活動の幅に変化がいくらかはあっても、専守防衛的形は維持されてきたといってよい。
PKOであっても、国連を通じた維持活動であって、有志国の枠でおこなわれたものではなかった。

最近、憲法改正が叫ばれるなか、今の自衛隊が防衛軍という形で軍隊として明記されようしている。
この論議をめぐる中で、私が気になるのは、もっぱらその論点が、対外的な問題(他国の攻撃から身を守るための方策)のために、自衛隊をどうするかの点ばかりに集中し、軍隊の持つ対内的な(内政的な問題)がほとんどなされていない点だ。

長い歴史的経緯からみても、日本に限らず、軍による政治介入やさらにはその暴走により、避けた戦争に、突入することになった例は、歴史上数多くある。
いあわゆるシビリアンコントロール(文民統制)は、立憲民主主義国家には不可欠な要素であると私は考えるが、しかし現在でも、民主的政治を掲げつつ、裏では実質軍隊が政治に相当な影響をおよぼしている国が数多く存在しているの現実である。
自由主義を標榜し、民主国家を世界にと高々に宣言しているあのすばらしきアメリカでさえ、軍産複合体的なものに政治がふりまわされているといってもいいであろう。

シビリアンコントロールが、法(憲法)的には形式上はかれることになっているとしても、事実上、軍隊組織の規模や物理力(軍事力)、そしてそれに関わる経済性が高ければ高いほど、軍の政治への発言力は高まり、実質上のシビリアンコントロールが利かなくなる傾向は否定しがたい事実である。
これは当たり前で、単純に考えてみても、武器を合法的にもてる組織が、もたない人間に刃を向ければ、向けられた人間がどう正論で対抗しようが、ひとたまりもない。
だからこそ、刃を合法的にもてる組織をどういう仕組みで縛っていくかは、現行法(憲法)をかえて軍隊を正面から認めようとするときは重要不可欠な課題である。

憲法9条の改正、防衛に関わる現行法の改正、解釈の拡大に関して、もっとも防衛に力を将来的にもつであろう(現在でもかなりだけれども)議員は、石破議員(元防衛庁長官)であろう。久間防衛庁長官も力を持っているが、私は彼は防衛庁の中でも事務系に近い存在と思う。
それに対して、石破議員は、かなり制服組(実働部隊)に近い議員である。

彼のことで、気になるのは、「制服組も政治的発言を大いにすべきと」いったり、「私は自衛隊を員を信頼している」、「徴兵制は現憲法でも可能だ」(もっとも今現在は徴兵制採用しても一般人は戦力としてはむしろマイナスだから、いまは採用しないのとべてはいるが)という発言からかいまみえる人物像だ。

彼はタカ派議員の中では、数少ない、法的整合性(法的思考はそれなりにとりいれて)は重視して意見を述べる議員である。
考えとしては反対の立場である私も、この点については彼を評価している(もちろん、法的見解には反対だが)。
立法機関の議員でありながら、これができない議員のなんと多いことか。
憲法改正を叫びながら、今の憲法すらまともに理解していない(それどころかどういう条文があることすらしらない)議員という名の先生方が、冗談ではなく憲法論議加わっているのがまぎれもない現実である。
それに比べれば、かれはまだ立法議員の資格はあるといえよう。
問題は、彼が軍隊の政治に対する影響力をほとんど意識していない点だ。
軍というものにシンパシーをあまりにだきすぎである。

法(憲法)の役割は、いうまでもないことだが、暴走しがちな権力をいかに縛っていくかにある。
そこでは、性善説でものごとを決めない仕組みになっている。
だからこその権力分立である。
個人的にあるものを信頼する自体は、一概に悪いことではない。
しかし、行政(軍隊)の監視役を担う立場の人物がそれでは困る。
組織の監視役の責任も持つものは、手ばなしに組織を信頼すべきではない。
手ばなしで人や組織を疑わずに信頼することが、よい人間といえるかは、ものごとによってである。
シビリアンコントロールを果たすべき役割の人間が、組織をシンパシー的に信頼するだけなら、それは単に自分の役割に無責任なだけである。
性善説にたつことなく、シビアに文民統制の観点から暴走を防ぐシステムを図っていくことは、防衛問題に関わる議員の、重要な使命でもある。

議員あるいは行政の人間として、文民の立場で防衛に関わる者は、軍隊の対外的役割、ことに交戦時のことばかりに力を注ぐのではなく、軍事組織が政治的に介入しないことにも、同時に力を注がなければならない。
政治に携わるもものが、それを怠ったとき、簡単に立憲民主主義国家は崩壊することになる。

世界の多くの国で、軍隊に関わる組織が政治大きな影響力を持っいることはまぎれもない事実である。
それらの国に比べれば、今の日本は(まだ今現在は)まだそれなりにシビリアンがきいている。
そんななかで、軍隊(特に制服組)に、形式上はともかく実質的に政治的力をもたせる抜け穴につながるような憲法改正を目指すのなら、憲法改正などすべきではない。
ましてや、今現在において、シビリアンコントロールをはたしていくべき人間が、積極的にむしろそれを放棄することにつながるような発言をけしかけることは、論外である。

とにかく重要なことは、ある組織にそれまで以上の力を持たせることをめざすなら、その力を好き勝手に使わせないことも、同時に考えていかなければならないということである。
これは、物理的力を持つ組織をかえていくときには、避けて通れない問題である。
民主国家においては、国家の内政が、軍産複合体の意向にひっぱられて政治が利害関係で一心同体になったときが、その国はもっとも危険な状態にある。
それが、イラク戦争時のアメリカである。
防衛問題において、そうならないようにすることが、政治の重要な役割といえよう。
それを踏まえて、今の自衛隊を本当にかえていくべきか(行動の範囲の問題も含めて)、その観点も含め憲法改正(9条)の問題も論議されるべきであると思う。
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by phtk7161 | 2006-10-13 17:27