社会問題を考える


by phtk7161
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大相撲の八百長問題について

 大相撲の八百長問題が、このところさかんに取り上げられている。
ご存知の人も多い思うけれど、大相撲の八百長疑惑は今に始まったことではない。昔から、週刊ポストなどが特集を組んでよくやっていた。

 私は今回の件も含めて、大相撲の八百長は正直騒ぐような問題だとは思っていない。もちろん、この意見には反論もされる方も多いだろう。いつも常に全力で。はじめから負ける気は絶対許すべきではない。これももちろん健全な感覚だと思う。
 
 ただ、私はもともと大相撲の魅力は、幕下と十両との違いにあると思っている。あるお相撲さんが十両に上がれば、いきなり平均的サラリーマンよりかなり高い月収がもらえる。付き人もつく。初めて関取と呼んでもらえる。

 しかし幕下以下にいる限りは、あるいは幕下以下に落ちれば、給料はもらえない。場所ごとのいくばくかの手当てがでるだけ。それ以外で手にできる金額も、バイト代以下。もちろん付き人もつかない。これはたとえ過去に大関であったとしても同じで彼らでも幕下に落ちれば、同じ立場になる。

 そういう中で、幕内、時には三役(小結~大関までをこう呼ぶ)にまでなりながら、幕下(あるいはそれ以下)に落ち、そこからまた関取の立場まで這い上がってくる力士もいる。そういうところが、私にとって大相撲の魅力的なところである。だから、幕下上位と十両下位の力士の相撲は、彼らの人生の岐路を見ているようである意味尊い。まさにガチンコとはこのことを言うのだと思う。

 それと比して考えると、今度の問題はあってなんら不思議ではない。
メディアでもいわれているが、八百長を組むのが怪我に対する保険的ためであることにも十分うなずける。負けるほうも、自分の人生上の経済的利益と星との兼ね合いを考えてそれを受ける。しかし、自分が幕下に落ちる危険をおかしてまでそれはやらない。
やるのは、これが彼らなりの相撲界で生き残るためのひとつの手段だからである。

 年六場所、肉体を休める期間もさほど多くない。
ガチンコ力士の激突はまじにすごい。通常人なら確実に肉体的に持たないところを、みごとに耐える。それでもガチンコのみでは、関取まで勝ちあがってきた上位のレベルのなかでは、肉体は確実に磨耗してしまう。結果、相撲とはすぐにおさらばになってしまうことも十分ありえよう。そしてこれは、肉体的な鍛え方が足りないという次元の問題ではない。

 そういう意味で、肉体を継続的(年に取り組みを何回もやる)に磨耗するプロスポーツの世界、特に大相撲の上位の取り組みの世界では、星の貸し借りのできる土壌は十分にある。そのことをいいとまではいわないが、一刀両断にけしからんとばかりもいえないであろう。そこが分からない人は、この種のプロスポーツを見るにはしんどいような気がする。

 プロレスは、そういうとことを考慮しているから、年に何試合もできる。
本当に究極的肉体を持つもの同士の戦いは、、一定の数以上できるわけがない。
プロボクシングの世界チャンピオンのタイトル試合は、ガチンコだからこそ(もちろん八百長問題はたまにはでるが、でもかなり少ない)年4回ぐらいが普通なのである。

 私は幕内力士の相撲は、あまり興味がない。
あの位置までくれば、あとは、それぞれの力士の人生設計の形である、ガチンコとやらせの混じった日本の国技ショーを見せてもらってるつもりである。それはある意味で歌舞伎や能の舞台と同じである(というと、歌舞伎や能のファンにはおこられるだろうけれど)。まあ、今回の場合あまりにやらせの相撲頻度が多くなりすぎたということもあるだろう。その点が、まずいといえばまずかったかなとは思う。物事には限度があるから。

 でも今回の問題に対し、「日本相撲協会は財団法人で公的ものだから、やらせはゆるせん」という理屈だけは、笑いたくなる。いかにも底の浅いコメントである。物事の表面しかみないコメンテーターらしいといえばらしいが。それでもやっぱり公的電波を使った民放のやらせニュースショーの存在、それに時に加担するコメンテーターがよくいうよとはつい思ってしまう。

 この世で一番やっていけないやらせは、人の生命に関わる事柄についてのやらせである。戦争に導くようなやらせ(イラク戦争時のメディアや政府機関)や健康に関わるやらせである。それにくらべれば、今回の大相撲の問題などどうってことない。

 やらせの相撲が見たくない、ガチンコの相撲がみたいというなら、幕下上位、十両下位の相撲をみればよろしい。そして、幕の内上位の相撲は、半分興行的ものとしてみる余裕もある意味必要だと思う。そうやって、大相撲も国技として長年続いてきたのである。それではだめだというのなら、怪我の保障を充実させたうえで、大相撲は年2場所程度にするしかない(もちろんこれでは、興行的にはきびしくなるだろうが)。そうでないと、力士の肉体はとても持たないと思う。

 長年続いてきた物事には、それなりの背景がある。
それを知ったうでの意見でないと、なかなか問題の本質は見えてこない。
それをおさえない形で八百長問題を提起してたところで、それは野暮というものである。
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by phtk7161 | 2007-02-10 06:19