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社会問題を考える


by phtk7161
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統一地方選雑感(参議院補選)・・・夏の参議院選挙での組織票の重要さについての私の捉え方

 統一地方選が終わり、参議院補選は、与野党1勝1敗と言う結果となった。今回の補選が、2議席ともにもともと野党の持つ選挙区だったことからすれば、今回の結果は与党のほうに分があるといえるだろう。もっとも、自民党が強かったといえば、決してそんなことはない、統一地方選のみならず参議院補選に限ってみても、自民党は強くないというより、むしろ弱い。これは私なりに、今回の選挙結果を分析した結論である。この点、小沢党首は、今回の結果を「力負け」だといっていた。では、「力負け」とは何か。

 今回の沖縄補選の投票率は低かった。こういう選挙になると、組織票がものをいう。今の自民党はこの組織票をだす力はかなり低下している。しかし、その分を創価学会という宗教の信徒団体・・・実態は今や選挙サークル化した独自の宗教団体的組織・・・をバックにもつ公明党が支えている。つまり今の構図では、学会票は、自民党(与党)の組織票としての意味を持っているのである。つまり、小沢氏がいった「力負」けとは、この学会票に負けないほどの組織票を生み出す力が、今の野党、特に民主党に不足していることをいいたかったのだろう。

 野党共闘の場合、この公明の組織票と自民に残っている組織票の総計に対抗できる組織票を生み出す力があるかどうかが大きなポイントとなる。個人や党(支部)の後援会の組織票、さらには、これに連合や共産党の組織の票を加えても、現状ではもう少し足りないということだろう。「もう少し」といえると思うのは、負けた沖縄の選挙結果が接戦だったからである。無党派層の票も拮抗していたことからすれば、どちらの票も勝つためにもう少したりないということだ。

 もっとも、小沢氏があえて組織票にこだわったっているのは、それだけではない。もともと選挙の投票率というものを、水ものと思っていることもあるだろう。実際、天気や安物ドラマ茶番劇のようなもので、投票率は左右される。特に次期参議院選は、もう小泉劇場のような安物ドラマが起きる確率は高くない。だとするなら、まずは確実に計算できる組織票の基礎固めが何よりも重要だと考えているからだろう。そしてそれは、決して間違っていない。

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 民主党のなかには、野党共闘にかなり難色を示すグループがいる。しかし、彼らに問いたいのは、野党共闘をやめたとして、ではその分の組織票的ものをどこから持ってくるのかということである。

 これに対して、彼らは「いや民主党が小泉的風をふかせば組織票なんて必要ない」というかもしれない。しかし、今与野党含めて、安物(中身のスカスカ芝居)ではあるが、高い視聴率(投票率)をとれるドラマを起こせるような人材は見当たらない。また、そもそもあの選挙自体、選挙の形として、望ましい手法でもない。むしろ、本来の政治のあり方からすれば二度とあってはいけない手法なのである。ハメルーンの笛吹き男が登場する政治は、衆愚政治につながるし、それが限界点に達すれば、ファシズムの完成なのだから。それは日本のためにもならない。

 だから、安易に人気投票に堕する政治を目指すことはやめるべきだし、やったところで、もし風が吹かなければ、組織票まで固めなかった分かえって惨敗する危険もある。その場しのぎの風任せの選挙は、野党第一党としても無責任だと思う。

 それが違うというなら、その根拠を彼らのグループに説明してほしい。福島が大勝できたのは、与党の出遅れだけでなく、やはり基礎となる票がしっかりしていたからではないのか。選挙の争点まで含め、野党共闘しないほうがより勝算が高くなるという根拠を示して、それから彼らは野党共闘を批判すべきだろう。それが責任野党の責任者(幹事長)の役割である。

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 もちろん、組織票の基礎固めというやるべきことをやりつつ、同時に野党に風的ものを少しでも吹かせる手法を考えることも、当然必要なことだ。今の民主党は、無党派層の人気の点でも優勢なわけではない。もちろん自民党もそうだ。どっちもどっちである。だから、組織票を固めながらも、その上で少しでも浮動を取り込むために、有利な人選を進めるのは当然だろう。しかし、浮動票も基礎票があってこそである。

 少し前のことになるが、フィリピンでは俳優の大統領が登場した。彼は選挙のときにトラックから貧しい民衆へ向けてものをばら撒き、その民衆の熱狂的な支持で彼は選挙に当選した。そして、当たり前だが、彼の大統領時代、政治は全く呈をなしていなかった。

 民衆の熱狂さが出した結論は、妥当などころかむしろはるかに誤る結論に至る危険度が高い。このことからも、民主党が小泉的風を起こす手法に色気をだすことは厳に慎まなければならない。民主党にもこの小泉旋風こそがあるべき選挙の形(ヒーロー&そのための善悪の構図・・・妥当かそうでないかではなく正義か悪か)だと思っている軽薄者もいるかもしれない。しかし、それなら選挙などないほうがましだ。候補者に正義悪的ものは存在しない。存在するのは、その候補者が、妥当(相対的に見て)な政策を主張する者なのかどうかということである。

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 組織票を持つ組織そのものに問題がないわけではない。どこの組織も自らの利益誘導のために、政党の支持に走った結果、それがいびつな政策につながることもある。この点、もし主体的に政治をコントロールする意思を持つ有権者の浮動票が、恒常的に高いレベルの投票率を維持できていれば、そういう組織の政治への影響は排除できる。

 しかし、現実はそうではない。有権者の政治コントロール的主体性もまだまだだし、投票率も低い。そうであるなら現状では、一方の組織票だけ容認し(例えば、創価学会)、他方でもう一方の組織票を否定する(たとえば、労働組合)ことは、民主政治のうえからいってもかえって危険である。

 宗教にその存在基盤を置く団体が、限りなく直接政治に関わることは、本来かなり危険なことなのである。なぜなら、このような団体の場合政治的政策はあまり関係なく、自らの団体の勝利と言う事実(選挙で勝つこと自体)に重きをおくからである。その証拠に今の与党の政策と本来学会が掲げる理念とでは、かなりの乖離が生じている。

 このままだと、おそらく学会員は福祉や平和をまるで否定(180度反対の政策・・・例えば健康保険の著しい低質化や徴兵制、集団的自衛権など)する政策を公明党がとったとしても、せっせと学会の指令に従って公明党のために投票に行き続けるだろう・・・もちろん内心では疑問を持つものもいるかもしれないが、それを投票行動にはうつさない・・・・なぜなら、今の彼らにとっては、とにかく学会が支持することに決めた人間を当選させることそのものが、今や彼ら自身の存在理由(ある意味では生きがい)となってしまっているからである。

 これが、政治に近づきすぎた宗教的団体の怖さである。あるものを信じ(政治政策とは本来的に全くべつものの教義を信じ)、それには否定的な行動を絶対にとらない(その部分ではまさに宗教である)。しかしそれと比較すれば、政治理念などかれらにとって、せいぜい付属的道具にぎない。

 その結果学会の人達は、結局は政策(学会の理念に反する政策)に対してよしあしを自ら考えようとしない人間、あるいは考えても、学会の指示とは反対のしかし学会の理念には合致している投票行動・・・学会の理念(平和、福祉)にかなっていない政策(例えば集団的自衛権これを今一番強く肯定するのは自民党である。イラク戦争のことを踏まえれば、集団的自衛権は平和の理念にかなっていない。あのイラク戦争に、集団的自衛権により日本が当初から攻撃に参加するケースを考えてみればよい)を主張している候補者に票を投じないこと・・・を起こせない人間と化してしまう。ここがまさに創価学会の問題点だと思う。そしてこの組織票は、自主投票でないかぎり機械のごとく正確に分散投票され、ゆるぐことはない。

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 与党側の学会票がそういう性質のものである以上、野党側も組織票の意味を否定的に捉えてばかりではいけない。学会票の性質に比べれば、ほかの団体の組織票の性質などまだ政治政策と密接につながっているだけ健全である。首をどんどん切っていく企業の政策を支持する政党に組合が支持することはほとんどない。支持した政党がそういう政策をとれば、組合はとっとその政党の支持をやめるか、そうでなくてもかなりの消極的支持(票数激減)となるであろう。従って、政治ありかたからすれば、後者の組織票の質のほうがはるか民主政治にふさわしい。

 野党は本当は、反学会の票をとりこんでもいいはずなのである。しかし、なかなかそうはならない。それは学会が巧妙にそういう世論を避ける手段に長けていることもあろう。メディア・・・テレビ、週刊誌、新聞、や他の分野もとりこんで、もはや表立った学会批判はかなりできにくい現状がある。
  
 それでも、その学会票を持つ与党に対して、野党は厳然と戦っていくしかない。学会が票を野党にほとんど分ける気がない以上、野党は野党の組織票を与党に負けず、とにかく少しでも多くの基礎票をかためていくしかないのである。それは、組織票の質的(質において、学会票よりもましな民主政治における組織票としての意味)意味でも非常に重要なことだ。それを踏まえたうえで、浮動票争いも向上を狙う。この点では、時には好感度にはしってもやむをえない。特に大都市部はではそうだ。勝ち組のぞんざいさが・・・人気投票に陥りがちな浮動票の多さ・・・蔓延しているから、こういう場所では特に、選挙ポスターのありかたや見た目に気を使うことも重要であろう。

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 とにかく参議院選挙まで、もうすぐである。いまさらガタガタ言っていてもしょうがなかろう。これまでの選挙結果で、与野党にさほど差はないし、今の自民党は決して強くない(現に公明抜けたら簡単に負けるレベルだろう)。なのに自民に政策の近い民主党議員が今になっても、勝つための反省ではなく、負けた愚痴をいうレベル(批判はできるが、その現状に勝る案がないレベル)のコメントいうなら、とっとと与党にいくべきだ。彼らも被選挙における政党の議員という意味では、間違いなく当事者なのである。傍観者ではない。

 この程度(参議院選までを目的とした野党共闘)で腹をくくれないなら、政権奪取など絶対できない。ここまできたら何事にも動じない姿勢(ひとつの形を貫き通す姿勢)が一番大事である。格差に加え、訴えの武器として、衆議院で3分の2与党がとっている現状を踏まえ、政府与党の暴走(一例として、共謀罪に関する動きや国民投票法案の強行採決など・・・ようはやりたい放題されるということ)を止められる有力な手段が現状ではないこと、そのためにも今回の参議院選挙が重要であることも強調して欲しい。

 とにかく民主党は、自民党の落ちこぼれの議員(自民党に色目を使う議員、自民党に居場所がないからいる議員)の集まる場所ではない。自民党と、正面から戦う議員の集まりであるべきだと思う。その姿勢が結局は浮動票の獲得にもつながるはずである。民主党はもちろんのこと、野党の議員には、党利党略を超えて戦う議員となり、夏の参議院選挙に向けてとにかく頑張って欲しいと願っている。

 
by phtk7161 | 2007-04-25 04:06