亀田大毅世界戦の波紋と大場政夫の勇気・・・亀田家騒動その責任の所在
2007年 10月 16日
一対一で頼るべきものは自分しかいない。パンチを食らうとポォーっとするし、鼻も曲がる。それでもひきつける何かがボクシングにはある。多分、殴るという行為が肉体的戦いの原点だからかもしれない。
亀田一家のことは、長男デビューの当初(2戦目くらいか)から知っていた。しかし対戦相手を知る限り、どうみても勝って当たり前の相手だけと戦っていたし、その戦績も作られたものにすぎない。彼の試合はTBSもからんでボクシングがいつの間にかショーの要素の強いプロレス的ものとして扱われていたと思う。
誤解のないよういっとくけれど、プロレスはショー的要素が強いとはいえ、そこで戦っているレスラーの肉体はプロフェショナルの肉体である。鍛えた肉体だからこそ、過密な試合日程の中でも肉体を酷使できるのだ。それもまた優れたプロスポーツのひとつの形である。プロの格闘技としてガチンコかショー的ものか、その違いだけである。
☆ ☆ ☆
亀田家のボクシングに関することは、まともに捉えないようにしていた。あの親子そろっての言動・態度である。人にもよるだろうが、私は彼らの言動・態度は不愉快だったしそれまでのテレビ局のからんだ過程からみても、真剣勝負を彼らの試合から期待するのは無理だと思っていたからだ。
長男はそれでもまだましだ。相手がさほどでもないランカーといえども、王座決定戦ではボクシングの試合をやったといえた。最低限(本当に最低限ではあるが)の世界戦をやるだけの能力はあったのだ。
しかし次男の大毅は違う。パンチはあるが、大振りでコンビネーションもぎこちない。なによりも柔軟性にかけている。簡単に言えば、不器用なボクサーだ。それまでの試合の過程を見れば、どうみても世界タイトルをやる器ではない。世界レベル相手にまともにパンチを当てることはできないレベルである。
その次男が世界タイトルに挑戦すると聞いて、「ウソだろう」と思った。ボクシング界テレビ局とも単なるショーマンシップ試合で大毅の連勝ごっこにつきあうのはまだいいけれど、世界タイトルマッチとなると話は別だ。彼が挑戦できるのなら日本ランカーのほとんどが実力的にその資格があるといえるだろう。それほど彼の実力は世界レベルではまだまだなのである。
今回の試合で大毅のパンチはほとんどまともにはクリーンヒットしなかったはずだ。12R立っていられただけ大健闘というべきか。しかしまさか相手を抱えて投げようとまでするとは思わなかった。自分の形に持ち込めない、パンチもロクにヒットできないイライラの中での行為だったのであろうが、精神的にもまだ未熟すぎることをあの行動は暴露してしまったともいえる。結局彼は世界戦に全く値しない挑戦者であった。そしてそのことはやる前から分かっていたことなのだ。
☆ ☆ ☆
以前の5月3日に書いたブログで授業ボイコッのト署名に一人反対し、結果やんちゃどもに屋上に来いと言われたエピソードを書いた。 実は私が彼らの強制の署名を拒否できたのはそのとき書いた経緯があったからだけではない。その勇気を与えてくれたきっかけがあるのだ。それはあるボクサーの試合である。私は一時この試合を見てボクシングにのめりこんだ。
そのボクサーとは大場政夫である。ご存知の方も多いと思う。フライ級屈指の世界チャンピオンである。不慮の交通事故で5度目の防衛の後亡くなってしまったが、彼の試合ほどスリリングで見ているものに勇気を与えてくれる試合はなかったといいっていいだろう。特に私が勇気をもらったのはオーランドアモレス戦とチャチャイチオノイ戦である。
アモレスは殺し屋の異名を取るほどのハードパンチャーで当時「最強の挑戦者」といわれた。戦績に示されたKO率の高さもそれを証明していた。
1Rにパンチをあごにくらい大場はダウンする。しかしすぐに2Rにダウンを奪い返し、その後嵐のようなラッシュでアモレスをマットに沈めたのだ。
私が勇気をもらったのは、1Rダウンした後の直後の大場の戦いっぷりである。アモレスのパンチは荒々しいが重くものすごいスピードだった。見ている私にもアモレスのパンチは見えないくらいである。アモレスは大場を果敢に攻めロープに追い詰めた。一方的な展開である。並みのボクサーならアモレスのパンチをガードするのに必死でおかしくない。なにしろ一発食らえばリングに沈んでおかしくないアモレスのパンチなのだ。
しかし驚くことに、大場は怒ったような目でロープを背にアモレスに対し果敢に打ち返したのだ。このときの私の驚きは今でも忘れない。あのアモレスのパンチを恐れずに打ち返す勇気には衝撃を受けた。それほど大場というボクサーは「気の強さ」でもまぎれもなく超一流のボクサーだった。大場は自分の力にしか頼れない場所で自分の力を信じて戦っていた。
もうひとつのチャチャイチオノイ戦。この試合でも1R大場は右ロングフックを食らいダウンする。しかもそのとき足がつっていた(実はダウンしたときに捻挫していたのだ)。このときも片手でロープを握りチャチャイの攻撃をなんとかしのいで、後半チャンスをつかみ血みどろの乱打戦の末チャチャイをKOした。この試合に熱中し感銘を受けた人も多かったはずだ。
大場の試合見て「単に怖がるだけではだめだ、勇気を持つことも必要だ」という教訓を私は得た。だからやんちゃ達の強圧的な形による授業ボイコットの署名を拒否することもできたのだ。屋上でやり合えばまず相当めちゃくちゃにやられるだろうが、その中の一人には少なくとも絶対に何発かまともに決めてやる。そしてその自信もあった。数の力でものをいうのではく、時には一人でも立ち向かう。その勇気を与えてくれる力が大場の試合には間違いなくあった。むろんそういう試合は何も大場の試合だけではない。輪島の試合をみて感動した人もまた多いと思う。
☆ ☆ ☆
過去に幾多の名チャンピオン、挑戦者による世界タイトルマッチが日本でもおこなわれ、幾多の名勝負がくりひろげられたきた。その世界タイトルマッチの中でもっとも最低の世界戦が今回の亀田大毅の試合といっていいい。こんな試合のどこに感銘をうけろというのか。
亀田家のボクシングに関係するもっとも大きな罪、それは「世界タイトルマッチ」に技術面でも精神面でもチンピラまがいの未熟なボクサーが登場したことである。それが最大の罪なのだ。その責任は大毅や親父ではなく、むしろタイトルマッチを企画した協栄ジムの会長、そしてデビュー以前からこのボクシングショーに関わったTBSに最大の責任があると私は思う。亀田家の言動・行動をそのままショーにしてボクシングをボクシングでなくしたこと。それが会長やTBSのやったことの本質なのである。
亀田一家のことは、長男デビューの当初(2戦目くらいか)から知っていた。しかし対戦相手を知る限り、どうみても勝って当たり前の相手だけと戦っていたし、その戦績も作られたものにすぎない。彼の試合はTBSもからんでボクシングがいつの間にかショーの要素の強いプロレス的ものとして扱われていたと思う。
誤解のないよういっとくけれど、プロレスはショー的要素が強いとはいえ、そこで戦っているレスラーの肉体はプロフェショナルの肉体である。鍛えた肉体だからこそ、過密な試合日程の中でも肉体を酷使できるのだ。それもまた優れたプロスポーツのひとつの形である。プロの格闘技としてガチンコかショー的ものか、その違いだけである。
☆ ☆ ☆
亀田家のボクシングに関することは、まともに捉えないようにしていた。あの親子そろっての言動・態度である。人にもよるだろうが、私は彼らの言動・態度は不愉快だったしそれまでのテレビ局のからんだ過程からみても、真剣勝負を彼らの試合から期待するのは無理だと思っていたからだ。
長男はそれでもまだましだ。相手がさほどでもないランカーといえども、王座決定戦ではボクシングの試合をやったといえた。最低限(本当に最低限ではあるが)の世界戦をやるだけの能力はあったのだ。
しかし次男の大毅は違う。パンチはあるが、大振りでコンビネーションもぎこちない。なによりも柔軟性にかけている。簡単に言えば、不器用なボクサーだ。それまでの試合の過程を見れば、どうみても世界タイトルをやる器ではない。世界レベル相手にまともにパンチを当てることはできないレベルである。
その次男が世界タイトルに挑戦すると聞いて、「ウソだろう」と思った。ボクシング界テレビ局とも単なるショーマンシップ試合で大毅の連勝ごっこにつきあうのはまだいいけれど、世界タイトルマッチとなると話は別だ。彼が挑戦できるのなら日本ランカーのほとんどが実力的にその資格があるといえるだろう。それほど彼の実力は世界レベルではまだまだなのである。
今回の試合で大毅のパンチはほとんどまともにはクリーンヒットしなかったはずだ。12R立っていられただけ大健闘というべきか。しかしまさか相手を抱えて投げようとまでするとは思わなかった。自分の形に持ち込めない、パンチもロクにヒットできないイライラの中での行為だったのであろうが、精神的にもまだ未熟すぎることをあの行動は暴露してしまったともいえる。結局彼は世界戦に全く値しない挑戦者であった。そしてそのことはやる前から分かっていたことなのだ。
☆ ☆ ☆
以前の5月3日に書いたブログで授業ボイコッのト署名に一人反対し、結果やんちゃどもに屋上に来いと言われたエピソードを書いた。 実は私が彼らの強制の署名を拒否できたのはそのとき書いた経緯があったからだけではない。その勇気を与えてくれたきっかけがあるのだ。それはあるボクサーの試合である。私は一時この試合を見てボクシングにのめりこんだ。
そのボクサーとは大場政夫である。ご存知の方も多いと思う。フライ級屈指の世界チャンピオンである。不慮の交通事故で5度目の防衛の後亡くなってしまったが、彼の試合ほどスリリングで見ているものに勇気を与えてくれる試合はなかったといいっていいだろう。特に私が勇気をもらったのはオーランドアモレス戦とチャチャイチオノイ戦である。
アモレスは殺し屋の異名を取るほどのハードパンチャーで当時「最強の挑戦者」といわれた。戦績に示されたKO率の高さもそれを証明していた。
1Rにパンチをあごにくらい大場はダウンする。しかしすぐに2Rにダウンを奪い返し、その後嵐のようなラッシュでアモレスをマットに沈めたのだ。
私が勇気をもらったのは、1Rダウンした後の直後の大場の戦いっぷりである。アモレスのパンチは荒々しいが重くものすごいスピードだった。見ている私にもアモレスのパンチは見えないくらいである。アモレスは大場を果敢に攻めロープに追い詰めた。一方的な展開である。並みのボクサーならアモレスのパンチをガードするのに必死でおかしくない。なにしろ一発食らえばリングに沈んでおかしくないアモレスのパンチなのだ。
しかし驚くことに、大場は怒ったような目でロープを背にアモレスに対し果敢に打ち返したのだ。このときの私の驚きは今でも忘れない。あのアモレスのパンチを恐れずに打ち返す勇気には衝撃を受けた。それほど大場というボクサーは「気の強さ」でもまぎれもなく超一流のボクサーだった。大場は自分の力にしか頼れない場所で自分の力を信じて戦っていた。
もうひとつのチャチャイチオノイ戦。この試合でも1R大場は右ロングフックを食らいダウンする。しかもそのとき足がつっていた(実はダウンしたときに捻挫していたのだ)。このときも片手でロープを握りチャチャイの攻撃をなんとかしのいで、後半チャンスをつかみ血みどろの乱打戦の末チャチャイをKOした。この試合に熱中し感銘を受けた人も多かったはずだ。
大場の試合見て「単に怖がるだけではだめだ、勇気を持つことも必要だ」という教訓を私は得た。だからやんちゃ達の強圧的な形による授業ボイコットの署名を拒否することもできたのだ。屋上でやり合えばまず相当めちゃくちゃにやられるだろうが、その中の一人には少なくとも絶対に何発かまともに決めてやる。そしてその自信もあった。数の力でものをいうのではく、時には一人でも立ち向かう。その勇気を与えてくれる力が大場の試合には間違いなくあった。むろんそういう試合は何も大場の試合だけではない。輪島の試合をみて感動した人もまた多いと思う。
☆ ☆ ☆
過去に幾多の名チャンピオン、挑戦者による世界タイトルマッチが日本でもおこなわれ、幾多の名勝負がくりひろげられたきた。その世界タイトルマッチの中でもっとも最低の世界戦が今回の亀田大毅の試合といっていいい。こんな試合のどこに感銘をうけろというのか。
亀田家のボクシングに関係するもっとも大きな罪、それは「世界タイトルマッチ」に技術面でも精神面でもチンピラまがいの未熟なボクサーが登場したことである。それが最大の罪なのだ。その責任は大毅や親父ではなく、むしろタイトルマッチを企画した協栄ジムの会長、そしてデビュー以前からこのボクシングショーに関わったTBSに最大の責任があると私は思う。亀田家の言動・行動をそのままショーにしてボクシングをボクシングでなくしたこと。それが会長やTBSのやったことの本質なのである。
by phtk7161
| 2007-10-16 09:26