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社会問題を考える


by phtk7161
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大連立(構想)騒動における小沢党首の不思議な行動

 自民と民主の大連立構想が持ち上がり、すぐに挫折したのはご存知のとおり。「なぜに突如大連立か?」メディアも騒がしい。持ちかけたのは「福田だ」「いや小沢の方から」と水掛け論も続く中、もっともらしくテレビや新聞で評論家(大学教授含む)などが言いたい放題である。

 さて大連立をすべきかどうか。政治が混迷を極めるなか、なかなか法案が成立せず停滞がつづくことはいけないと、これを肯定する考えもあるようだ。しかし私の結論をいってしまえば、大連立など「なし」である。理由は簡単。これほど立憲民主主義にとって「命取り」になる政治の形態はないからである。私は鳩山幹事長はあまり好きではないが、今度の騒動に対し「翼賛的なものはいけない」とする彼の意見については強く支持したい。これこそまさに今回の騒動に対する「正答」だと思う。

        ☆        ☆        ☆

 ただ不思議なのは、「法的」観点からの思考を重視するあの小沢党首がなぜ今回の「大連立構想」に対してはっきり拒否の姿勢をとらなかったということだ。大連立構想は立法府の権力一点に集中させることになり独裁政治につながりやすい。

 目的が「政治の安定」であり、当初はそれなりにバランスの取れた政策が仮にできていたとしても、時がたてば多くの議員がその政策のスムーズさに快感を覚え、あるいはそうでない議員の場合でも巨大な数の前に無気力となり、いずにしてもその形での権力の「うまみ」あるいは権力への「絶望」のいずれかを知ったが最後、あとは独裁政治の始まりとなる。これは断言してもいい。

 今回の大連立構想を強く勧めた人物として、中曽根元首相や渡辺読売会長の名があがっている。両者とも「独裁型」の人物であり、自分の考えに自信満々のタイプである。彼ら考えの根底には唯一の「正しい」結論があって、結論に至る過程でもっとも重要な「バランス」は二の次となる。端的に言えば、彼らの思考法は立憲民主主義国家にふさわしくない思考法なのである。だからこそ、特に中曽根元首相などは復古主義的憲法観にもとづく憲法改正に入れ込むことになる。

 まあもともと「大勲位」などという勲章を自ら創設し、自分はどんな日本人よりも「偉大で」あるという形作りに熱心だったナルシスト中曽根氏ことである。自分こそが「正解」を出せる人間で「議会制などはうざいだけ」と思っている御仁であるから、今回の大連立の主張などこの御仁にとってはあたりまのことなのであろう。もちろんそうすれば「憲法改正もできる」という彼なりの計算もそこには当然含まれている。

 でそういう独裁の危険を熟知しているはずの小沢党首がどうして今回曖昧な行動となったか。確かに安倍政権の後それを引き継いだ福田政権の色彩は、市場万能というよりむしろ「共生」的面のほうが際立っているから、そういう意味では同じ「共生」を掲げてきた民主党としても福田政権を「対立軸」として戦いづらいのも確かだ。

 しかしそうであるからといって「大連立」はなかろう。もしこれをやれば、民主にとってそれが「自殺行為」に等しいことは誰の目にも明らかである。だからこそなおさら、私には今回の小沢党首の動きは不思議でしかたない。まあそれなりの圧力も彼にかかっているとは思う。そうも思いたくなるほどの摩訶不思議な今回の彼の行動である。

        ☆        ☆        ☆     

 今の混迷した政治を解決する方法は何も「大連立」だけではない。「憲法改正」や「安全保障」など大上段の問題はともかく、今の政治の一番の問題である国民の年金や医療に関する「生活」面の問題を「政策協定」という形で一定の時間内におとしどころを決め、やっていけばいい。大上段の問題はもっと時間をかけて決めていけばいいのである。

 そういうと必ず「でも国際社会が」という国際派気取りの評論家や政治家がつばを飛ばして反対する。でも彼らの屁理屈など付き合う必要はない。その屁理屈の向こうには、自らの中東政策(イラク戦争)の失敗は棚に上げ(反省せず)裏では「石油でウハウハ」笑いの止まらないブッシュ政権を喜ばす構図があるだけなのである。

 そのことは彼ら(国際派を気取る政治家や評論家)ももちろん知っている。ただ知っていても自らの地位の安定のためにそれをいわないだけなのだ。その世界(政界やメディアなど)で「用済み」となるのをおそれているのだ。だから彼らの屁理屈などに付き合う必要はない。

 だから今の膠着状態は、一定の問題については「政策協定」でやっていけばいい。もちろん「解散」もひとつの手段ではある。その場合には、一定の重要問題について政策を掲げ文字通り「政権選択」選挙でかたをつけるしかない。その場合、「市場万能」でいくのかそれとも「福祉国家」でいくのか、その比重を示してけりをつけていくべきであろう。

 もっとも選挙の結果如何ではなお「カタ」はつかないかもしれない。だからどうせ選挙をやるなら、その前に自民民主とも「憲法観」「安全保障(集団的自衛権の肯否)」「市場万能の自由放任国家」か「福祉国家」かで割れるとこは割れてシャッフルしてからのほうがいい。そのほうが国民のほうも選択しやすいであろう。

        ☆        ☆        ☆           

 もっともねじれ現象といわれる政治の形も、きちんと機能すれば本当は悪い形ではない。衆議院で与党が法案を成立させ、野党がその法案を参議院では徹底的にたたき台にして厳しい討論をへたうえで「修正」をしていく。そうやって当初より一歩上のバランスのとれた法案を作っていくことも可能なのだ。そういう点では今の政治形態のほうが、法案に対するチェック&バランスという点では理想的ともいえる。

 もっともこの場合「嫌がらせ」的反対や極端な国民受けをねらう(たとえば、政治資金規正において1円からは論外である。1万円で十分であろう)行動などやらないということが前提となる。その前提が備わっている形でやっていくことができるのなら、今の政治形態でも本当は十分「アリ」なのである。
 

 
by phtk7161 | 2007-11-04 04:35