赤塚不二夫さんについて・・・その(2)赤塚さんとタモリさん
2008年 08月 06日
赤塚さんとあのタモリさんとの関係は深い。私が受験生だった頃、タモリ(タモリさんいついては以下「さん」を略します)の深夜放送(オールナイトニッポン)をよく聞いていたが、このときの彼の話の中に赤塚さんの話が時々でてきていた。
例えば、福岡だったかどこかで赤塚さん達が宴会的なものをやっていた席に、別の部屋で宴会をやっていたタモリが突如乱入してギャグ(何のギャグだか忘れたが)をやった。それが大うけして赤塚さんに気に入られ、東京まで来ることになった話。これが本当の話かどうかは分からない。しかし、いかにもの話だった。
タモリが話していた赤塚さんにまつわるエピソードで、今でも私の印象に残っている話がある。東京にでてきたタモリはしばらくの間(そこそこ長い期間だと思う)赤塚さんのマンションに居候していた。そこは当然赤塚さんのマンションだし、彼の住居である。ところが、普段忙しい赤塚さんはあまりそこにいない。たまに帰ってくるだけ。普段はタモリの一人住まいのようになっている。
だから赤塚さんはたまに帰ってくると、まるで他人の家に来たようなことになりタモリに対して「お邪魔してすみません」「すぐに帰ります」的なことを(素で)いって、こそこそ必要な荷物をとりだして(たぶん仕事場に)帰っていく。タモリもタモリで赤塚さんに対して「何しにきた」という感じで、当時は当然に自分の部屋の感覚でいたらしい。放送の中で彼は「ほんとに、今考えると(俺の態度は)ひどいよね」「よく何にも(文句を)言われなかったものだと思う」と話していた。
赤塚さんはタモリの大ファンだった。彼が芸能界で売れようが売れまいが関係なく、彼のギャグやキャラクターが好きだった。ウマが合ったのだと思う。それはタモリにとっても、赤塚さんにとっも幸運なことであった。一人で居ることが苦手なさみしがりやの赤塚さんにとって、タモリはそれを癒してくれる貴重な存在であったのだと思う。人生おいてなかなかそういう出会いを持つ人は少ないだろう。
タモリとのエピソードにもみられる彼のおおらかな寛容さ、それは結局彼が「人間」というものを「好き」だという証でもある。そのことが多くの人を「笑わせる」作品を生み出す才能につながった。
漫画の作品も多様化している今の時代。漫画でも赤塚さんの時代に比べ、「夢」や「笑い」より「憎しみ」や「死」を扱うものが多くなった。もちろんそれがいけないとはいいきれない。漫画も時代により変容する。それで当たり前である。内容的に評価される作品も多いであろう。
それでも、それが人の心の内面の「すさみ」や友人・親子(家族)・政治・宗教あらゆる面での「寛容さ」の喪失を表していることは否定できない。それはすなわち、今の時代の質が赤塚作品の持つ「寛容な」性格からは、遠く離れた時代になってしまっているということでもある。
例えば、福岡だったかどこかで赤塚さん達が宴会的なものをやっていた席に、別の部屋で宴会をやっていたタモリが突如乱入してギャグ(何のギャグだか忘れたが)をやった。それが大うけして赤塚さんに気に入られ、東京まで来ることになった話。これが本当の話かどうかは分からない。しかし、いかにもの話だった。
タモリが話していた赤塚さんにまつわるエピソードで、今でも私の印象に残っている話がある。東京にでてきたタモリはしばらくの間(そこそこ長い期間だと思う)赤塚さんのマンションに居候していた。そこは当然赤塚さんのマンションだし、彼の住居である。ところが、普段忙しい赤塚さんはあまりそこにいない。たまに帰ってくるだけ。普段はタモリの一人住まいのようになっている。
だから赤塚さんはたまに帰ってくると、まるで他人の家に来たようなことになりタモリに対して「お邪魔してすみません」「すぐに帰ります」的なことを(素で)いって、こそこそ必要な荷物をとりだして(たぶん仕事場に)帰っていく。タモリもタモリで赤塚さんに対して「何しにきた」という感じで、当時は当然に自分の部屋の感覚でいたらしい。放送の中で彼は「ほんとに、今考えると(俺の態度は)ひどいよね」「よく何にも(文句を)言われなかったものだと思う」と話していた。
赤塚さんはタモリの大ファンだった。彼が芸能界で売れようが売れまいが関係なく、彼のギャグやキャラクターが好きだった。ウマが合ったのだと思う。それはタモリにとっても、赤塚さんにとっも幸運なことであった。一人で居ることが苦手なさみしがりやの赤塚さんにとって、タモリはそれを癒してくれる貴重な存在であったのだと思う。人生おいてなかなかそういう出会いを持つ人は少ないだろう。
タモリとのエピソードにもみられる彼のおおらかな寛容さ、それは結局彼が「人間」というものを「好き」だという証でもある。そのことが多くの人を「笑わせる」作品を生み出す才能につながった。
漫画の作品も多様化している今の時代。漫画でも赤塚さんの時代に比べ、「夢」や「笑い」より「憎しみ」や「死」を扱うものが多くなった。もちろんそれがいけないとはいいきれない。漫画も時代により変容する。それで当たり前である。内容的に評価される作品も多いであろう。
それでも、それが人の心の内面の「すさみ」や友人・親子(家族)・政治・宗教あらゆる面での「寛容さ」の喪失を表していることは否定できない。それはすなわち、今の時代の質が赤塚作品の持つ「寛容な」性格からは、遠く離れた時代になってしまっているということでもある。
by phtk7161
| 2008-08-06 07:23