オリンピック競技をふり返って・・・その(1)野球
2008年 08月 25日
オリンピックが終わって、中国もいよいよこれからが政治的に大変な時期をむかえることになる。各競技については私はそれほど熱心にみていたわけでもない。活躍したそれぞれの選手個人(もしくは団体)に対しては敬意をはらうが、ただそれに国家がからむとどうもうっとしくなる。だいたいメダルで本当の国力や国家の成熟性などはかれるものではないし、愛国心も質の悪い形で出ると、これはもういけない。辟易としてしまう。
野球は叩かれるだろうな。でも結果がでてから批判されればその批判は的を得ているように見えるが、実際のところ勝負どころで裏めっただけのことだ。
準決勝での岩瀬が李に浴びたホームランも「なぜ岩瀬を使った」との批判もあるが、左には左のセオリー、それに彼の球自体はさほど悪かったわけではない。あの打席岩瀬は李をツーストライクまで追い込んだ。追い込まれてからの李の読みは、次は「内」に気持ち7分「外」3分。バッテリーはその裏をかいて外外を攻め続けていた。それはいい攻めだったといえる。
ただ李にはそれをカットしてファールにできる技術があった。それまで不調が伝えられていた李だが、あの打席では不調ではなかったといえる。何度かカットされて、ついに内に投げたその球を、李が見事に読みきりホームランしたそれがあの打席である。つまり「李は大したもの」そういうことである。
岩瀬が悪かったわけではないし、起用した監督も悪かったわけではない。李を討ち取れれば勝機ももちろんあった。それがそうならなかった。それが「勝負」。いつもの野球の形である。
もちろん全体からいえば、準備不足・外国との練習試合(日本と違うストライクゾーンをもつ審判に慣れておく)など反省すべき点もある。でももし一番の敗因を挙げるとするなら、ここ一番の外国選手の勝負強さ(実力)を星野監督がいくらか甘く見ていたその点だろう。実力は上位どのチームも紙一重。なのに星野ジャパンの戦い方は、いくらか「上」から目線でのやりかただった。実力5分同士なのに、潜在能力は日本が「上」のやりかたで戦っていた。
それが間違っていることは、キューバのレベルを見ても分かる。キューバの投手はかつての剛球スタイルから、もっと細かい投球スタイルにきりかえている。タイミングをはずしバッターに引っ掛けさせる、それはかなりのレベルだ。日本のプロでやれば、先発なら当然ローテー入りで中継ぎ・即抑えならその一番手になれるだろう。潜在能力からいえば、やはり今回はキューバチームが一番だったと私は思う。そのチームが金をとれなかったのだから、だから日本チームを必要以上に批判してもしょうがない。
メディアにだって責任がある。彼らも日本チームの実力を「上」的にあつかっていた。金をとれると。甘い・甘い。初戦のキューバ戦で分かってよかったはずだ。これは何色かのメダルがとれればましだと。それがいつのまにか「金」「金」「金」となった。むしろ、今の実力ではメダルも危ない。「5分」ないしは「下から」目線で戦え。そういう報道のほうがメダルにつながっただろう。
もっとも、野球という競技自体もっと世界に広まっていかなければ、今の形ならオリンピックでやってもしかたがない。経済的にある程度の力を持つ国だけそれもヨーロッパもまともに入らない形でやって、それで金を金をとさわいでもしょうがないだろうと思う。今のままならただ単に今のプロ野球(大リーグ含め)を楽しむだけで十分である。
次はいつ公式競技になるかはわからない。プロだけでなく、それでもオリンピックでも野球で金をというのなら、オリンピックで「勝つ」そのことよりもそれ以前に野球そのものの国際的な広がりを考えるほうがさきである。そうであってはじめて、そもそもオリンピックで野球をやる意味があるというものだ。
野球は叩かれるだろうな。でも結果がでてから批判されればその批判は的を得ているように見えるが、実際のところ勝負どころで裏めっただけのことだ。
準決勝での岩瀬が李に浴びたホームランも「なぜ岩瀬を使った」との批判もあるが、左には左のセオリー、それに彼の球自体はさほど悪かったわけではない。あの打席岩瀬は李をツーストライクまで追い込んだ。追い込まれてからの李の読みは、次は「内」に気持ち7分「外」3分。バッテリーはその裏をかいて外外を攻め続けていた。それはいい攻めだったといえる。
ただ李にはそれをカットしてファールにできる技術があった。それまで不調が伝えられていた李だが、あの打席では不調ではなかったといえる。何度かカットされて、ついに内に投げたその球を、李が見事に読みきりホームランしたそれがあの打席である。つまり「李は大したもの」そういうことである。
岩瀬が悪かったわけではないし、起用した監督も悪かったわけではない。李を討ち取れれば勝機ももちろんあった。それがそうならなかった。それが「勝負」。いつもの野球の形である。
もちろん全体からいえば、準備不足・外国との練習試合(日本と違うストライクゾーンをもつ審判に慣れておく)など反省すべき点もある。でももし一番の敗因を挙げるとするなら、ここ一番の外国選手の勝負強さ(実力)を星野監督がいくらか甘く見ていたその点だろう。実力は上位どのチームも紙一重。なのに星野ジャパンの戦い方は、いくらか「上」から目線でのやりかただった。実力5分同士なのに、潜在能力は日本が「上」のやりかたで戦っていた。
それが間違っていることは、キューバのレベルを見ても分かる。キューバの投手はかつての剛球スタイルから、もっと細かい投球スタイルにきりかえている。タイミングをはずしバッターに引っ掛けさせる、それはかなりのレベルだ。日本のプロでやれば、先発なら当然ローテー入りで中継ぎ・即抑えならその一番手になれるだろう。潜在能力からいえば、やはり今回はキューバチームが一番だったと私は思う。そのチームが金をとれなかったのだから、だから日本チームを必要以上に批判してもしょうがない。
メディアにだって責任がある。彼らも日本チームの実力を「上」的にあつかっていた。金をとれると。甘い・甘い。初戦のキューバ戦で分かってよかったはずだ。これは何色かのメダルがとれればましだと。それがいつのまにか「金」「金」「金」となった。むしろ、今の実力ではメダルも危ない。「5分」ないしは「下から」目線で戦え。そういう報道のほうがメダルにつながっただろう。
もっとも、野球という競技自体もっと世界に広まっていかなければ、今の形ならオリンピックでやってもしかたがない。経済的にある程度の力を持つ国だけそれもヨーロッパもまともに入らない形でやって、それで金を金をとさわいでもしょうがないだろうと思う。今のままならただ単に今のプロ野球(大リーグ含め)を楽しむだけで十分である。
次はいつ公式競技になるかはわからない。プロだけでなく、それでもオリンピックでも野球で金をというのなら、オリンピックで「勝つ」そのことよりもそれ以前に野球そのものの国際的な広がりを考えるほうがさきである。そうであってはじめて、そもそもオリンピックで野球をやる意味があるというものだ。
by phtk7161
| 2008-08-25 09:41