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社会問題を考える


by phtk7161
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改革クラブをめぐる新党報道のお粗末さ・・・メディアによる紙面と時間の無駄使い

民主党離党者らによる改革クラブの一件。結局姫井氏は離党せず、改革クラブは政党交付金の要件をみたさない、お気の毒な「新党」となってしまった。この件をめぐってもうあきれかえるしかないのが、また毎度の野次馬的メディア報道。メディアのいずれもが保守・リベラル問わずばかげた伝え方をしている。

基本的に今回の離党者の面々については、もうとっくに民主党の支持者は「匙をなげている」。仮に姫井氏が移っていたとしてその後彼らの作った新党に加わるものは、まずないといっていい。新党に加わっている荒井氏などにしても、参議院の野党の大勝をうけて動きがとれず、いまや政界では彼らは居場所を失った存在である。

単独に近い形の政治家である田中康夫氏や鈴木宗男氏などは、その独自性で数の力とはまた別に独特の存在感があるが、改革クラブの彼らにはその能力もない。総選挙後ならともかく、今の時点で彼らの新党について騒ぐ政治的「価値」などまるでないのだ。

すでに述べたことだが、もう与党がどうあがこうとも野党新政権の流れはできているのである。仮に麻生氏や野田氏のどちらかを新トップに据え戦ったところで、多くの国民が今抱えている生活の困窮・将来への不安は消えることはない。「どうせ自民党政権では誰がトップになったって大して変わらない。なら一度違う形の政権に任せてみるか」。この流れはもうとめられないといっていい。

「どうしてそこまでいい切れるのか」そういう反論もあろう。「選挙は水もの。どうなるか分からないではないか」と。しかし今度の総選挙についてはそういいきれるのだ。

その根拠は簡単なことである。今の日本の現状はもはや最低のラインにあるからである。そして同じパターン・・・自民中心の政権・・・が続く限り、その下降線は幾分下降の度合いが緩やかになることはあっても下がり続けるであろうことは、もはや国民は肌で感じ取っている。

かっこよく「痛みに耐えて」みたが、どうもそれは一部のアメリカ的経営者と人買いの人材派遣に大金をもたらすためであって、こちらのためではない。「国が生き残りるためだ!」と叫んではいるが、それは結局、福祉国家の理念を捨て人も捨てる、そういうことらしい。多くの国民(市民)がもうそれに気づいている。そういう国民が、「いつでも自民・公明、何があっても自民・公明」支持者より楽勝に過半数以上いるであろう現在では、どうみても与党には勝ち目はない。

それが分かっているはずの新聞メディアまでが、今回の改革クラブの件をうれしそうに騒ぐのは、彼らに遊び的政治騒動大好きの癖がぬけてないからだ。それは日々の情報媒介の役割とはまた別の、メディアに内包している困った彼らの体質である。いつ何時でも、メディアはこういう騒動を好む。そしてそこには国民(市民)は不在なのだ。

この手の騒動を、国民(市民)に伝える価値ある騒動として騒ぎ立てるのは、総選挙後の政界再編のときであろう。民主党中心の政権ができたあと、そう時をかけず必ず新しい形で政党はできる。自民党も下野すれば分かれるしかないであろうし、政権が維持できる間はともかく行き詰れば民主党もそうならざるをえない。

その場合新たに政権をとるのは、国家像を自由主義を前提とした福祉国家理念におき、そのうえで財政画的にコストパフォーマンス・・・余計な無駄を省く・・・をはかりながら、福祉効果をよりうまく効率的に発揮できるような社会システムを提供できる政権である。難しいことではあるが、しかしそれができなければ「政治(家)」などやっていてもしょうがないであろう。それができる人物を掃発掘し国民(市民)に伝えること、それはもちろんメディアの役割である。

だから今回のような、お騒がせ・こわもて人間の集まりできた新党など、メディアは大げさに伝える必要もないのである。メディアは、そんな暇があったら先に上げたような国民(市民)にとって高い政治能力(優れた政策の提示)をもつ政治家を、今のうちに見極めておくことである。

あと姫井氏新党離脱の件についていえば、これは彼女自身のために、ましな選択であったと私は思う。私個人でいえば、彼女の離党はあってもかまわなかった。

しかし彼女のためにいえば、新党に加わったところで、彼女は他の議員に先輩面をされ利用されるだけだっただろう。彼女は単に政党交付金の要件を満たす数的存在としての意味しかない。そこでも彼女は相手にされず、他の4人だけで話し合ってことがどんどん決められたはずだ。結局新党行っても彼女には居場所などなかったとえいる。そして弱小政党所属となれば、彼女は民主党にいるときよりも、いろいろな面でますます苦しい状況に置い込まれることになったであろう。

そういう意味では今回のぎりぎりでの決断は、彼女自身にとって懸命な選択であったといえる。今後は彼女なりに地道に活動を続け、何らかの政策スペシャリストになって弱者の立場つ動きをすることである。それしか今の彼女には議員を続ける道はない。

民主党も、彼女に何らかの居場所をつくってあげることだ。現実論から言えばどんなに腹がたとうが・・・その気持ちは分かるけれど・・・彼女を切れば補選が待っている。次の補選で、平沼がどうしたことろで・・・民主党についたところで・・・「片山虎之助」に勝てる可能性はほとんどない。岡山県民は、補選である種の同情票を片山氏にいれるであろう。そうなれば、みすみす「一議席」を与党にくれてやるようなものだ。そこまで考えれば、彼女に民主党での居場所を作ってやるほうが、今の民主党にとってもプラスといえる。そういう現実的選択をすることもまた、政権獲得への地道な一歩といえるのである。
by phtk7161 | 2008-09-01 08:29