社会問題を考える


by phtk7161
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ブログをはじめた当初の頃、知人から「長すぎるから、もう少し短い文章にしたほうがいいよ。」とアドバイスされた。
でも私は、自分の考えを整理するためやってるんだから、長さは気にしないと返事した。
その後も好きなだけ長く書いて、おまけにコメント拒否トラックバック拒否というスタイル。

しかし、これだけすきかってにやっても・・・でも、ブログとは本来そういうものだと思う・・・ありがたいことにアクセスしてくださる方がいる。
もちろん有名ブログや、ランキングにのるような多大な数ではないけれど、定期的にきてくださる方もおられるようだ。

そこで、私も少し考えるようになった。
コメントやトラックバックはこれからも拒否の形にするけれど、こんなブログでもきてくださり、そういう方がもし拙文まで読まれる場合には、そういう方に読む負担をあまりかけないためにも、もう少し短い文にすべきかなと。
どこまで実行できるか分からないけれど(なにしろいろんな問題が次から次に出てくるし書きたいテーマはやまほどあるから)、すこしでも努力してみようと思います。

最近気になる問題をあげれば、メディアと政治に関わる広告代理店の存在(Tミーティングで分かったお金の問題も含めて)。
ロシアの、最近のある一線を越えたような危ない動き。
教育改革をめぐる政治家や役人、改革賛成派の専門家の「パンがなければお菓子を食べればいじゃない」的発想。

まず、最初の問題だが、これはようするにマスメディア的なものに対する、背後にいる広告代理店の影響力のこと。
この前の郵政選挙などでもそうだが、この広告代理店が政治がらみで得た金額はそれこそ莫大な金額といわれている。
億といっても、その桁数はひとつではなく、ふたつか(ウン十億)、もしかしてみっつか(ウン百億)、とにかく莫大な金額だ。

政党には、政党交付金という公金(なにしろ、もとは税金だから)がはいるが、こういう公的性の強いお金も含まれているはずの政治資金から、政治がらみで広告代理店が手にする金額は、莫大に増えているようだ(しかも、その具体的中身の透明性は低い)。
特に電通は圧倒的ではないか(Tミーティングに関わったのが電通か博報堂かは分からないが)。

メディア(特にテレビメディア)は、国民に政治や社会における問題や出来事(気象的なことも含めて)を国民にいち早く伝え、あるいは権力を監視する職業任務を担っている。
そこが、金になればと、背後にいる広告代理店に影響されて動くようだと、ある意味テレビの世界は独占され固定化されて自由さを失い、独裁国家的よいしょ放送や、情報操作が簡単に行われることになってしまうだろう。
これが続くなら、自由を基調とする立憲民主主義国家は終わりである。
だからこそ、そうならないためにメディアには報道の自由が認められている。

放送が免許制であるのも、新聞の価格が一定の擁護をされるのも、メディアの職業任務に支障をきたさないためといえよう。
それが、簡単に操られるようであれば、もはやテレビの免許制や新聞の価格の一定化は意味がない。

もちろん、広告代理店側の問題もある。
私は前々から、電通の弊害がこのまま続くようようなら独占禁止法的なもの(解釈上なんとか意味をみいだして)あるいは公取委の役割で、電通を企業分割させるべきではないかと思っている(電通がらみで市場の70%は明らかに多すぎるだろう)。

無駄な公金は使うなというキャッチフレーズのもと、小さな政府遂行者の小泉政権や、それを引き継ぐと明言している安倍政権が、一方で公金もはいっている政治資金や予算を使って特定の広告代理店に巨額の利益をもたらすなら・・・なにしろ大臣送迎や大臣のためにエレベーターのボタンおす係りなど、明らかに余計な人員使って日当一人1万5000円という明細だったと思う。実質労働時間での時給にすればいくらになるんだろうか・・・これは詐欺的行為ともいえるだろう。

小泉劇場などと、国民を熱狂させた小泉政権だが、一皮向けばこいう問題が多く内包しているような気がする。
特に大手広告代理店とのかかわりについては、小泉元首相の秘書の飯島補佐官がメディア対策を重視していたことからも、おきるべくしておきた問題といってもおかしくない。
メディアと政治の問題に電通がこれからも深く関わるなら、一度は整理すべき問題だと思う。

では次にロシアのこと。
これも書きたいのだが、冒頭で述べたように、これからはなるべく短く書くように努力すると決めたので、これは次回に書きたいと思います。
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by phtk7161 | 2006-11-28 03:42
沖縄知事選挙は、与党の勝利でした。
福島で野党が勝ってただけに、与党は大喜びでしょう。
少し気になったのは、当日の投票数では野党候補がまさってたようで、期日前投票の票が与党候補にかなり多かったようす。
何らかの組織票がきっちり動いたということでしょう。
どことはいいませんが、仲間を監視する意味・・・つまり何人かのグループで期日前投票に行っているということでしょうか。
ともあれ、野党も共闘してまけたのは事実。
特に沖縄は、少し前までは野党が強かった土地柄だけに、ダメージを受けたのは事実でしょう。

私など、投票するなら、権力の監視的意味合いの観点から投票すると思いますが、そうでなく、経済的側面を重視して投票する人もいるでしょう。
それも、ひとつの観点だと思います。
そして沖縄では、都市部で与党票が多かったということは、やはり経済面を重視した人が多かったということでしょう。
選挙後の中川幹事長のハイテンションさをみると、どうもこの結果を与党は教育基本法改正の審議などに、いかそうとするでしょうね。

前も書きましたが、国が教育の経済的側面ではなく、中身までバリバリ関与しだすと、ロクなことにはならない。
改正の行き着くところは、公立学校などいずれは体育会系的なタイプの教師が増え、国家権力を背景に、きちっとお行儀のいい生徒が学校で生産されていくことでしょう。
今の先生は、生徒に対して圧力をかけるとこをかなり制限されてきましたが、成立後、時がたてばいずれは、さからう問題児などけっこう強く押さえつけられる・・・なにせ背後に国家権力がひかえてますから。

ま、最近の2、30代の世代は、学校で先生に対しては、けっこう好き勝手やってきました(あくまそれ以前との相対性でですが)し、権力の怖さを知らない人間が多いですから(ただ、身近でハブにされる怖さは必要以上に敏感です)、今の2、30代的な先生と保護者いずれにしても、教育基本法改正後、時がたてばアホみたいに公共性(その実は国家という意味で)を尊び、国のための自己犠牲を尊ぶ思想(特攻隊はアホナな政治指導者の犠牲者ではなくピュアに安倍的美しいものとする)がはやることになるのでしょうか。

もし軍事行動をとるときには、2世の政治家や世襲的経済勝ち組の子孫は安泰で、実際銃を取るのは家庭が経済的に貧しい子孫がほとんどということに。
そしてかれらは、国家的にすばらしい自己犠牲的人間として、政治遂行者にほめたたえられ、銃をとる本人たちもその構図のなかで、自らの存在理由を見出すことになっていく。
経済格差をごまかすのは、このシステムが施政者にとって、一番便利ですから。

この国の一番大きな過ちは、せっかく優れた憲法をもてたのに、まっとうな法的意識を培う教育がほとんどされなかったため、国民に権利の行使や公共の福祉の理念への理解が徹底されてこなかったことです。

公共の福祉、それは国家から権利が制限されるという意味ではなく、権利を行使するにしても互いに人権があることを認めた上で、お互いの人格を尊重しあって利害を調整していきましょう(多数少数という観点ではもちろんない)というのが、本来の意味です。
しかし、このことを政治遂行者もきちっと理解してこなかったし、教育の場でも反映されてこなかった、これが一番の問題でしょう。
その延長線上が、すきかってやりすぎた今の社会の姿ということでしょうか。
そして、その矯正の名目で、そこに国がつけこもうとしている現状があるといえるます。

戦後生まれの人間の、権力の怖さに対する希薄さ。
国民主権や基本的人権は、当たり前のものではないのです。
人類が多大の犠牲のもと、多くの血をながして得てきた産物です。
このことを、あらためて私たちはもっと謙虚にふりかえるべきです。

憲法が国VS国民の構図から、国の権力を制限する規範であること。
戦後生まれの人間に、これもまた教育のなかで本来理解させていくべきことだったといえましょう。
それができてないから、立法の組織の人間(議員が)が、好き勝手にずいぶん情緒的なあきれるような法案をつくろうとしてしまう(もちろん実際の作成者は行政官や結果ありきの審議委員会的なものですが)。

情緒的内容(愛国心)あるいは国の教育権強化をその目的とする,教育基本法の改正よりも、法的理念(個人の尊厳、公共の福祉、権力の監視・・・権力は油断すると暴走する)を、いまからでも、教育のなかでしっかり植え付けていくことの方が、ずっとましだと思いますね。

与党に衆議院議院で3分の2とらせたということは、今の国民がいかに権力の怖さを認知していないかというあらわれでもあります。
このやばい状態は、参議院選で早急に変える必要がある。
ですから、沖縄知事選はたしかに地方選挙ですが、与野党が結集した構図だっただけに、野党は弾みをつけるために勝ちたかったところです。

しかし結果は、権力監視よりは経済面重視でということになりました。
野党に勝ってもらって、今の政府の審議の流れにストップかけたかっただけに、残念です。
ま、でも福岡市長選は野党が勝ったようだし、沖縄の結果にいつまでもめげないで、野党には頑張ってほしいです。

ちなみに、老婆心ながら、今回の沖縄戦の結果で、民主タカ派の前原グループが調子に乗っては困ります。
彼らは、ある意味ばりばりタカ派自民党です。
ただ自民では、世襲でないとなかなか出世できないから、こちらにいるだけというのが本音のところでしょう。

彼らが民主の中心では、民主は自民の一派閥になるだけで、いずれは憲法改正の賛否あるいは改正の中身をめぐって(前文や9条・・・ちなみ私は国連中心・・・決議かそれと同等のレべルを要件とする派遣は賛成です・・・しかし集団的自衛権などを目的とする今の改正なら絶対NOです・・・集団的自衛権目的とする9条改正はやるべきではない・・・日本近辺の問題は周辺事態法の扱いで十分です・・・・・・いずれこの問題は書きたいと思っています・・・少なくとも前原石破議員とは考えは違います)政界再編が必要でしょう。

したがって、選挙結果のたびに、彼らがガタガタいうのなら、早く自ら政党をつくって独立するか、まるごと自民党に行ってほしい。
これが、私の本音でもあります。
彼らがそうしたくないのなら、非自民非公明政権獲得のため、あるいはリベラルな福祉国家(ただしばら撒き方でない)実現のため、参議院選で与党に勝利することを目指して、小沢民主党として、今は一緒に戦っていくべきでしょう。
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by phtk7161 | 2006-11-20 17:12
アメリカ中間選挙の結果は、民主党の勝利となった。
下院のみならず上院まで、非改選分を含めて民主党(無所属民主よりの議員を含めて)が議会の多数を占めた。
改選分のみで考えると今回の選挙結果は、まさに民主党の圧勝といっていいと思う。
もちろん、これは民主党が対案で勝利したのではなく、遅ればせながら(それもかなり遅ればせながらではあるが)アメリカ国民が、ブッシュ大統領とネオコンにイラク攻撃に関する政治責任をとるよう求めた結果である。
私は下院は勝てるとおもっていたが、正直なところ上院は、非改選の数を考えるとぎりぎり過半数には届かないのではないかと思っていただけに、この結論をだしたアメリカ国民には素直に敬意を払いたいと思う。

今回の中間選挙の結果が導き出した結論は、いかに軍事力の優れた国であっても、単独(有志連合という名のその実突出した国が仕切る場合も含まれる)での(軍事)行動では、国際紛争は解決しないということである。

テロ問題を例にとれば、アフガン攻撃時には世界は国連レベルでまとまっていた。
もしアメリカが、アフガンに専念して、アフガンの復興とそれを起点とするテロ対策に集中していれば、テロ撲滅は一種の世界的ブーム(言葉は妥当でないかもしれないが、質的にはそのようなものだと思う)となり、世界がまとまって、もっとましな方向に進んでいたと思う。

それが先制攻撃的自衛権(その実質は侵略戦争)というたわごとで、イラクを攻撃したために、すべておじゃんになってしまった。
イラク攻撃については、面とむかっては外交関係上アメリカを非難できない国でも、内心ではアフガン時のとちがって、アメリカに対し嫌悪感を抱いた国も多かったと思う。
特に中東の国ではそういうケースは多かったのではないか。
アメリカのイラク復興政策や、パレスチナ問題などの中東の政策が、なかなか思う方向に進まないのは、そのことが大きく影響しているとはずである。

ネオコンが跋扈した世界ではあるが、そのネオコンのやり方もいよいよ手詰まりとなりつつある。
ネオコン的人間(世界中にいる、もちろん日本にも)の愚かなところは、「力」それも軍事力中心の「力」で、歴史的地理的文化的風土に違いを持つ世界のあらゆる国を、平坦な「価値」(自由主義・・・それも実質的不平等を前提とする)一色にすることができると信じていることである。
そして、軍事攻撃による世界外交戦略についても彼らは抽象的イメージしかもっていない。

つまり、何千何万もの人間を一瞬にして殺戮できる兵器、あるいはとにかくハイテクといわれる兵器があれば、その力(それを背景とした力で)で狙った国は容易に征服できるとする単純イメージである。
なるほど、これらの「力」は物理的にはその国を壊し、外形的勝利はおさめられるかもしれない。
しかし、実質的にはそれでは、何ら得るものはない。
ただ不必要な混乱を世界にもたらすだけである。
ある国の政権をたおしても、個別には、テロが頻発するだろうし、その首謀者の把握でさえ困難を極める。
政治的にも、宗教問題が入り組んだ地域であれば、なおさら特にその統治機構(組織)をつくり政治的意思決定のシステムを再築するのは容易ではない。
そのことが、分かっていないか、考えようとしていないか、とにかくネオコン的人間は、流れ続ける時の経過(歴史は続く)に対し具体的イメージをもてない人間である・・・もっともかれらは軍事的妄想は必要以上にすごい。
彼らの世界では、外形的勝利をすれば、ヒーロー者のドラマのように「悪」を倒しドラマは終了ということである。

しかし、現実の世界はテレビドラマではない。
時は流れ続けるし「その後」は常に存在する。
「その後」があることを考えない人間の政治戦略など、ただの「ごっこ」である。

私がアフガン時のアメリカの攻撃やその姿勢をまだ支持したのは、そのことに「世界」の多くの国の理解があったからである。
一国中心で外形的に倒すことはできても、その国を復興させ世界のあり方に「プラス」(安定をもたらす)となるようにするためには、世界各国の協力が不可欠である。
そして、それをぶっ壊したのが「イラク攻撃」だったということである。

それでも、ネオコン的人間はいうだろう。
「歴史に戦争はつきものだ」「戦争が歴史上なくなることはない」と。
なるほど、たしかにそうであろう。
しかし、かれらのいう「戦争」観や「国家」観(日本で言えば明治維新的国家観)は中世ヨーロッパ的時代でとまったままである。

考えてもみてほしい。
今がどんな時代か。

アホ科学者がすばらしいハイテク「殺人兵器」を次々に作り出す時代である。
戦争ごっこ用の兵器がハイテクであればあるほど、軍事おたくが(でも現実の政治遂行者)がすばらしいとほめ、大喜びする時代である。
その気になれば、相手国どころか自国を含めた広い「世界」を一瞬にしてふっとばせる時代なのである。
したがって、世界を吹っ飛ばせるレベルまでの「兵器が」存在する時代の戦争と、これまでの戦争を同質のものと理解していくことはできない。
このレベルまで上がると「力」はその力が高すぎるゆえに、最終的に政治的問題を解決する本当の力にはならないのである。
これを解決するものは、互いの歴史的地理的文化的風土の違いを認識しつつも、共通の「哲学」(たとえばアフガン時点でのテロ封じ込めを必要とする世界的認識)をさぐり、それを共有しあっていくという形での世界の連携(協調)である

これに対して、防衛といいつつ核レベルの軍事的「力」をもとうとすることは何の役にも立たない。
不必要な、外交問題を引き起こすだけである。
これは、何も理想論的理由だけでいっているのではない。
日本の「核議論」は現実的理由としても無意味である。

なぜ、理想的のみではなく現実的にも日本が核を「議論」する必要はないか。
具体的に考えてみれば分かる。
日本が「核」をもてば(もちろんアメリカも含めアジア諸国がこれを容認する可能性はかなり低い・・中国のみならずロシアなどもかなり反発すると思う)韓国ももつ(もちろん、韓国は北がもてば日本に関係なく当然に持つだろうが)。
問題は台湾である。

この流れで台湾もどこかで核をもとうとするだろう(独立派は特にそれを望むだろう)。
当然、中国は黙っていない。
その場合、台湾が核を持とうとする動きが出る前に、中国が実際に交戦に踏み切る可能性はかなり強いといえる(このパターンの場合、戦争のおきる確立は9割以上あると思う)。
そして、アメリカはその場合おそらく中国の動きを黙認することになると思うが、実際にアメリカがどういう動きをするか、こればかりはおきてみないと分からない。
アメリカの出方次第では、アジアは相当の混乱に陥ることになる。
台湾有事は日本にとって、かなり危険な問題である。
このきっかけになるようなこと(核議論)は、避けなければならない。

日韓中露台湾を含め、幸い日本周辺の地域では、朝鮮戦争以降は大きな戦争レベルの軍事混乱はなかった。
しかし、もし日本を含めた「核」問題が現実になればこれを機に、日本が戦争に巻き込まれる可能性はかなり強くなるといえる(もっとも、日本板ネオコンはそれを望んでいるかもしれないが)。
だからこそ、アメリカも含めアジア周辺諸国(もちろん日本も)は北の核問題解決に乗り出しているわけである。
したがって核をもつことに何の利点もない。
「核議論」(少なくとも強い政治権力をもつものの議論)など無意味であり、もっと議論すべき政治課題は、ほかにいくらでもあろう。

北朝鮮が「核」をもとうとするなら、それは「現北朝鮮体制」の終わりを意味する。
「核」なし金体制の存続は認めるとしても、「核」をもった金体制の存続認める国はほぼ皆無であろう。

結局この問題のポイントはこうである。
核つき金体制はみとめられない。

しかし、核なし金体制は、不必要な混乱を避けたい以上、中国、韓国、ロシアは認める。
アメリカは認めたくないが、ネオコン路線に限界が見えてきたため、路線を変更するかどうかは微妙なところであろう。
日本は拉致問題もあって、少なくとも今の政権では、金体制は認められない(本音のところでは)という立場をとるしかない。

そもそも金正日が核をもとうとするのは、アメリカから「フセイン」扱いされて攻撃される危惧感を強くだいているからである。
核を持とうとしてもほろばされる、持たなくても体制は約束されない。
なら結局どっちにころんでもダメなら「持ったほうがマシ」ということである。

北朝鮮がダメな最も大きな理由は、まともな経済政策がもてない(偽ドル、覚せい剤問題をとってみても分かる)国だからである。
この国の問題を解決するのは、結局はまともな経済政策(レベルは低くても)をとらせることしかない。
そのことが、結局はこの国のしょうもない動きを解決させることになる。
もっとも望ましい姿は、金日生を亡命させ、まともな経済政策をもった「北朝鮮」を新たにつくりだすことであろうが、これも容易ではなさそうである。

いずれにしても、結局北の問題はアメリカがカギをにぎっていることにはかわりはない。
日本がいくら拉致問題を強調したところで、北に関する関連国の中では日本は主体的立場にはたてない。
それどころか、むしろ日本は「拉致問題」があるため、とにかく「核」をあきらめさせることを最優先課題としている中韓米露からは、日本が「拉致」を全面的におしだせばだすほど、核問題の解決を遠ざけるものとして、やっかいもの扱いされる危険すらある。
ここにジレンマがある。
そしてこれが、外交というものの冷徹な現実である。

中間選挙でアメリカの民主党が力をつけた以上、北をめぐるアジア政策にもなんらかの変化はでてくるだろう。
小泉安倍政権のなかで、日本はブッシュ共和党べったりの政策をとってきた。
靖国で不必要にもめ、中国、韓国と北の問題解決への協調路線をなかなかとれなかった。
そして、アメリカ民主党とのまともなパイプもほとんどない(安倍首相など幹事長時代の訪米時、ネオコン主催の会で講演したくらいだから)。
これから北の問題も含め、日本の外交は厳しい試練を味わうことになると思う。
○×発想ばかりで、いく筋もの流れの可能性を頭にいれて、外交活動をしてこなかったつけである。

これは拉致問題についてもそうだ。
本当に拉致問題を解決する気があるなら、日本としては早くからアメリカばかりでなく、中韓とも協力して解決をめざすべきであった。
しかし、不必要なもめかたをした。
尖閣、竹島は、おとしどころをめざして、ある程度もめてもてもかまわない(日本も十分言い分はある)。
しかし靖国は(私はそもそも憲法上の政教分離で公式的色彩の強い参拝アウトの立場であるがそれを別としても)感情論的側面が強く国益的に見てもなんらもめる価値はない。
本気で拉致問題の解決を望むなら、公式的色彩の強い参拝はやるべきではなかった。
私は拉致問題を支援している政治家でも、中韓が嫌がることが分かっていて、あえて強く公式参拝促進の行動する政治家は、結局本気で拉致問題を解決する気はないのだと思う。

外交の基本は軍事的「力」ではない。
利害の関わる国と如何ににおとしどころをさぐりつつ協調の道を見出していくか。その中で自国の「哲学」を相手国にどう理解してもらうか、それが外交である。
政治における日本版ネオコンブームも、すでに対外的には行き詰っている。
そのことに日本国民が気づきだすか。
日本の外交の今後の再生は、そこにかかっていると思う。
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by phtk7161 | 2006-11-13 19:21
アメリカ中間選挙の結果が、明日(今日)にも判明する。
9・11以降のこの5年間、NYで被害にあわれたかたにとっては、もちろん悪夢の5年間だったと思う。しかし、彼らほどではないにしても、私にとってもある意味で悪夢の5年間だった。

アフガン攻撃は、私でも容認した。
容認する理由は、ビンラディンをはじめとする9・11に関わった犯罪者に対する、アメリカの刑罰行使権、あるいは現の危険に対する防衛のため、攻撃もやむをえないと考えたからだ。

攻撃容認論のなかには、「やられたらやりかえせ」的発想からこれを肯定する人もいた。
しかし、いやしくもアメリカが自由主義をなにより尊ぶ法治国家である以上、「頭に血が上った」的な理由では攻撃は容認されるものではないだろう。
自由主義における先進国を自認する国であるならば、他国を攻撃するには、道義的にも理論的にも、それ相応の説得力が必要である。

そして、アフガン攻撃については、それはぎりぎりの線で備わっていたと思う。
たとえ罪のない一般アフガンの国民が被害にあうとしても、攻撃のもたらす被害とアメリカの攻撃の必要性を衡量すれば、やはり後者のほうがぎりぎり優越するといえるからだ(もちろん、反対意見もあろうが)。

しかし、ブッシュアメリカは、それに飽き足らず、特に差し迫った侵害の危険性もないのに、ネオコン主導による強引な自衛的先制攻撃理論でイラクを攻撃し、その結果多くの罪のない一般のイラク人が犠牲となった。

この攻撃は、
(1)まだまだ、査察継続が可能だったこと
(2)イラクへの経済制裁の効果によりイラクには、大量破壊兵器をもてるほど十分な経済力はないとされていたこと・・・これは当時のヨーロッパでは常識だった。
(3)攻撃を容認する根拠となる従前の国連決議よりも、現の国連安保理の多数の意思(攻撃すべきでないとする)が優先されるべきこと
(4)大量破壊兵器存在の情報は、すでに攻撃前から、その信憑性にかなり疑問があるとされていたこと
(5)フセインはビンラディンからは、むしろ非難の対象とされていたこと(両者は協力しあう関係とはとてもいえなかった)
(6)フセイン政権を倒しても、宗教を理由とする内戦の蓋然性を考えれば、安定したイラク政権をつくることは相当に容易でないこと
これらのことから、結局アメリカには、イラクへの攻撃を正当化できるほどの理由はまるでなかったといえる。

にもかかわらず、ブッシュはアメリカは、
パパのころからの復讐を果たすため(面子)のため。
石油のため、イスラエルよりの中東政策実施のため。
軍産複合体活性化のためetc、
これらのために、やってはいけないイラク攻撃を実施してしまった。
ようするに、この戦争は端的に言って「急迫不正の侵害もないのに」(そのことを知っていたのにあるいは容易に知りえたのに)他国を攻撃した「侵略戦争」であったといえる。

そしてアメリカは、この戦争により、もっとも重要な「自由」の精神さえもすてさってしまった。
自国の不必要な攻撃をとめることもできなかったし、その後の大統領選でもブッシュを再選させた
そして、この一連の出来事は、日本の現状にも大きな影響を与えたといえよう(タカ派的政策がふえた)。

今度の中間選挙は、イラクのかわらぬ現状や共和党の政策の矛盾などにより、少なくとも下院は民主党が勝利しそうだという。
ようやくアメリカも、FOXをはじめとする保守的メディアの攻勢(電通的ともいえるか)にかげりがみえはじめ、少しずつまともになろうとしているということか。

落ちるとこまでおちても、そからまた少しずついい意味での「リベラル」さを取り戻し、いい意味でのアメリカの真骨頂をきっちりみせてくれるか、中間選挙の結果に期待したいと思う。
仮に、上院まで民主党が制したならば、アメリカ一般国民もかなりまともに戻りつつある(少なくともイラク戦争の愚かさに気づききだした)ということになろう。
そうあってほしいと私も切に願っている。

ひるがえって日本の現状をみるとき、あいもかわらず庶民的とういなのあさはかな「感情論」がまだまだまかり通り、あるいは改革というなの「古い戦前の日本」を取り戻そうとする政策が政権サイドでは行われようとしている。

教育のためといいつつ「愛国」=究極的には「国のために命を捨てることはすばらしいこと」的なことを実現しようとする、あるいは国の教育権を強め「国の教育方針」=「教師の教授の自由を奪う」教育基本法の改正というものが、それである。
なんと意味のない改革であろうか!

今の教育問題は、教育基本法をいじってみたところで、何の解決にもならない。
愛国心をいってみたところで、人に対する思いやり(憲法13条=人格の尊厳はこういう面でも該当する)などうまれようもない。
大事なことは、社会(公的)における意識改革であろう。

簡単な例えでいえば、道の向こうから老人や子供、体の不自由な人が歩いて来てる時に、彼らに対して、一定の配慮のできることを(彼らの行動の自由を妨げないことが)あたり前とする意識である。
こういう配慮のできる社会であれば、わざわざ文言で「愛国心」など入れなくても、日本は十分まともな国になるはずである。
親や教師の子供に対する教育哲学(公共性)は、そのためにこそ存在するといえよう。

さらにいえば、メディアもまた子供に対し、「弱者(言葉としては問題はあろうがあえて)への思いやりの必要性の」メッセージを日々伝えていくことである。
これに対して、国などが「愛国心」的観点から国民の心に介入しても、国民が坊ちゃん政治家のための「駒」になってしまうだけである。

小泉さんや安倍首相はアメリカ(共和党のアメリカというべきか)が大好きのようだが、そのアメリカのもつ本来の「自由」は、あくまで「国家」からの「自由」であって
教育もまた、経済的側面はともかく、教授のやりかたやレベルなどの精神的側面については、なお最大限国家からの自由は尊重されなくてはならない
(もちろん、学問の内容の最低ラインに関する地域間の均一性については国家がある程度権限をもつのは当然であるが)。

そうでないと、あっというまに日本は「戦前の日本」や「北朝鮮」のような社会になってしまうだろう。
そういった社会には、当然ながら思想良心の自由や表現の自由はない(あっても法律で、簡単に制限できるレベルのものである)。

9・11以降アメリカのみならず、日本でも、思想良心、表現の自由を制限する政策が強まりつつある。
そもそも、表現の自由は何のためにあるか

それは、もちろん自らの人格を発展させるためでもあるが、もっとも重要なのは、やはり「国家」という権力を「監視」するためである。
だからこそ、メディアの活動もより尊重されなければならない。
国を対象とする表現の自由は、国民(メディアなど)がきつめにこれを行使しても、ある程度ゆるされる。
そういう点も踏まえて、名誉毀損については「公共性」や「真実性」(証明可能だと客観的に思える程度の)が要件とされているのである。

一方で、一般人を対象とする表現の自由は、いたずらにこれを行使することは許されない。
これは、「2ちゃんねる」における誹謗中傷の被害や、週刊誌による一般人についての興味本位的ネタによる被害を考えみても、容易に分かると思う。

さらに、三権(司法、立法、行政)のなかで強い権力を行使できるものは、表現の自由があるといっても、飲み屋などならともかく、「公的」な場所で政策に関わる発言をした場合には、当然その政治責任は追及されてもやむをえない。
一私人とは違い、その発言の影響力の程度は当然違うものだからである。

したがって、中川政調会長の「核」発言に対して、表現の自由があることは彼の政治責任を免れる理由にはならないし、彼の発言を放任するなら安倍首相もまた政治責任を追及されることもありえる。

表現の自由を例にとって述べたのは、まともな自由主義社会なら、国民に保障された憲法の権利は何よりも「国」に対して行使していくべきということを、多くの人に理解していただきたいからである。
だから、もし、正当な理由もなく、国がこの権利(生命の安全)を揺るがすような社会をつくろうとする時には、国民は投票という形で、これを是正していく必要がある。

今のブッシュアメリカにも、これは当てはまる。
ブッシュ政権は、正当な理由をもたないイラク攻撃で、多くのイラク人の生命を奪ったし、また自国の国民の生命(軍人・・・多くは貧しいアメリカ国民、ないしはアメリカ国籍を得たい人たち)も奪った。
つまり、彼の政策は、イラク国民のみならずアメリカ国民にも彼らの権利に危機を与える政策を行ったといえるのである。

アメリカの政治は、アメリカ国民自身の手で、これを是正していかなければならない。
今度のアメリカ中間選挙で、アメリカ国民がこれを実践できるか。
世界の多くの国民が、その結果に注目している。
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by phtk7161 | 2006-11-08 03:12
中川政調会長がどうも、壊れだしている。
ご本人は、カッコマンナルシスト小泉張りに、タブーを破る「信念」を示すつもりでいってるつもりかもしれないが、ここまで乱発すると、核に関する彼の発言は、今や完全に度のすぎた、「軍事遊びごっこ」的発言と化している。

今回の彼の核論議発言について、「これは中国へのけん制、すなわち北が核をもてば、日本ももつぞ、それでいいのかということで、中国が北に働きを強めるための、外交作戦のひとつ。」と擁護する人もいる。

バカも休み休みいってもらいたい。
どういう経緯でも、結果的に自国の核の保持を可能と容認するなら、それは防衛手段の一つとして、その存在を容認したのと同じである。
そんな小理屈こねたら、北がもつのはいけないということも、結局、核をもつことの後先の問題に帰してしまう。
それに、日本のこういう考えがアジアのみならず、世界に伝播されると、世界で核容認の空気が広がることにもなりかねない。
けっきょくは軍事産業が、大喜びするだけである。

私は広島、長崎の原爆で被害にあわれた方を、決してモルモット扱いにはしたくない。
日本も核をもつというなら、それは結局、アメリカのおこなった日本への原爆投下を、人類に対する罪ではなく、高度に進化する大量破壊兵器の端緒となる偉大なる実験と認めるようなものだからだ。
広島、長崎で被害にあわれたかたは、核兵器による戦争の「被害者」として、その悲惨さを歴史のなかで訴え、未来へのメッセージを伝承する人達である。
原爆投下という歴史的事実は、人類の敵である核を未来において廃絶するため、そのための核存在への抑止力として、捉えておくべきである。
その歴史事実は、決して核の威力のすごさをモルモット的にみせるために、存在しているのではない。

世界の国の中で、日本の運命的使命というものがあるならば、私は「核廃絶」に努力することはこそが、まさにそうだと思う。
少なくとも、原爆で犠牲になられた方に対して、哀悼の念があるなら、たとえ世界から「そんな核廃絶など、理想にすぎない」というわれようとも、その主張を貫いていくべきである。
それこそが、被害国のありかたであろう。

日本が核を持てるなら(可能性でもそれを容認するなら)、世界の多くの国が、核を持とうとするだろう。
なぜなら、それは、被害者の国自らが、「いざというとき、やっぱり核は必要です。頼りになりますから。」と核の多大なる幻影的有用性(実質は多大なる有害性)を、世界に広報しているのと同じだからである。
核レベルの戦争になれば、それはもはや人類存在そのものに対する戦争である。
これは決してあってはならない、結論である。

その萌芽となるような、発言がいかにに愚かなことか。
「軍事ごっこ」「底の浅い外交戦略ごっこ」の好きな、中川政調会長や彼の擁護者たちは、そういうところがわかっていない。

彼らは、きっと、彼らなりの法人的な意味での国というものに対し、すごい「愛国心」をもっているのだろう。
しかし、結局のところ、彼らは「国」や「英霊」は愛せても、原爆被害者のような市井の「国民」は愛せない(眼中にない)ということなのである。
でなければ、こんな発言連発するわけがない。


しかし、それにしても今回は、ほんと度がすぎている。
私も発言の当初は「中川、あいかわらずアホなこといってるな」と、苦笑い気味に、ほっとこうと(ブロでは)思っていたが、さすがににここまでくると、連発アホ発言への怒りで書かざるを得ない。


もしかして、中川政調会長、こりもせず酒飲みすぎて、酔いが残ったまましゃべってんじゃなかろうか。
きっと、そのため、酒の席だけでなく、公の場(メディアにとりあげられるという意味で)でも「本音」がとまらなくなってるんだろう。
今の彼には、説教するまえに、禁酒させることのほうが先だという気がする

それにしても、公明党はホント、なにやってるんだか。
いいかげん、彼の口にチャックできないようでは、何のために与党にいるのか。
学会の経済力維持、権力維持のため、自民にくっつくだけの存在なのか。
なら公明=自民の一派閥としかみれない。
坂口厚生大臣の頃、ハンセン病患者問題で彼が解決に尽力した時(小泉がいかにものいいとこ取りで最後に官邸で会う形で登場したが、、実際は坂口大臣の方が小泉よりはるかに功績は大きい)、支持していない私でも、公明もなかなかやるなとこと思ったこともある。
しかし、その後はジリジリ自民ペースで、もう最近はズタボロ状態。
学会は、平和、福祉を理念にかかげているはず。
所詮壁紙的理念なのか。
すこしは意地みせてみろ、学会、公明党。
中川だけでなく、ホントこっちにも、突っ込みをいれたくなる。
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by phtk7161 | 2006-11-02 03:44