社会問題を考える


by phtk7161
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あるある大事典のデータ偽装があり、また裁判員のフォーラムで産経新聞や千葉日報(この件には広告代理店電通も関わっていた)がバイトの「サクラ」を使っていたことも明らかになった。

フォーラムでのサクラについては、すでに去年から大手広告代理店(電通など)による同様の疑惑が問題となっていた。
それでもなお、今年になってもやっていたということは、広告代理店やメディアがいかに「サクラ」を使うことを「それほどたいした問題ではない」と考えているかを示している。

あるある大事典でのやらせは、問題をおこしたテレビ局、下請けプロだけの問題にとどまらない。
それは、今のテレビ界全体に蔓延する問題そのものである。

テレビメディアは新聞などの他のメディアに比べ、その情報伝達度ははるかに速く、社会的影響も大きい。
いったん「ウソ」が「ホント」とされてまうと、その弊害は他のメディアに比べはかりしれない。
だからこそ、情報の正確度は何よりも図らなければならない。
しかし今のテレビの世界では、情報の正確さは後回しにされ、伝達の速さと視聴者の嗜好を煽ることがより優先されている(この背後にスポンサーや広告代理店の意向があることはいうべくもない)。

その結果が、ワイドショー化したニュースや視聴者の嗜好の煽り役であるうコメンテーターというばかげた存在を生み出した。
そこでは、もはや視聴者はやり方しだいでどうにでも動く対象と化し、人の「思考」が奪われることとなった。

私は時々テレビを見ていて、本当にかわいそうになるときがある。
コメンテーターという存在に。
テレビに生きるためにすがりつき、たえず業界(社会ではない)の空気に神経をとがらせ道化を演じる彼らのことを。
弱者となった組織や人間はきつい調子で叩けるけれども、本当の強いものには決して牙をむかない彼らを(もちろん全員ではないが、大半はそうであろう)。
しかし、それでも彼らの影響を受ける人間はいる。

東国原知事を、民放テレビはあいもかわらずさかんに取り上げる。
政治社会問題の情報の提供のためではない。
それは、彼が視聴率のとれるタレントだからである。
宮崎で鳥インフルエンザが発生し、岡山でも発生した。
しかし、岡山の知事がほんとどとりあげられないのは、岡山の知事がタレントでないからに他ならない。

テレビは、政治家をタレント化することに多大なる貢献をしてきた。
そのぶん、政治や社会問題は、本質からはずれた視点でテレビの世界では取り上げられるようになった。
おそらく、今後もこの調子でいきつくとこまでいきつくであろう。
アメリカのFOXはいきつくとこまでいきつき、イラク戦争で国民の愛国心という嗜好を煽った。
その結果が、今のイラクの状況である。
日本がそうなる日も、そう遠くないのかもしれない。

もはや、テレビは真面目に政治や社会問題を取り上げる場所でなくなった(少なくとも民放はそうであろう)。
少なくとも今のテレビが、政治や社会問題に関し、できるだけ正確な情報を迅速に伝えるという役割において、正確さという点ではもはや消費期限ぎれをおこしていることは間違いない。
今後は、正確な情報を提供し「人間にものを考えさせる」新しい媒体の出現が、必要であると思う。
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by phtk7161 | 2007-01-30 18:10
宮崎知事選で、東国原(そのまんま東)氏が当選した。
保守王国宮崎での知事選の結果は、何を示すものだろうか。

今回の知事選は、確かに保守分裂の状況だったことは確かだ。
官僚出身の2人の候補の票を合計すれば、東国原氏の票数を上回ることになるが、しかし、仮に一本化できたとしても、それはそれで今回いずれかの候補にいった票の一部(それもある程度の)は、東国春氏に流れたと思われる。そのため、一本化していても結果はやはり東国原氏が私は当選していたと思う。一本化した候補が川村氏なら川村氏の僅差負け、持永氏なら持永氏の完敗という結果であったのではないか。

宮崎は長年保守王国が続いてきた。
特に江藤隆美元建設大臣(現在引退)が、宮崎の政治家ではもっとも有名な人物だと思われるが、彼が宮崎県政に多大な影響を与えてきたことは間違いない。
以前の県議会議長が彼の秘書だったことからもそれは見て取れる。

江藤氏は初当選の時、かなり多数(百人前後)の運動員の選挙違反者を出し、一時やめるべきではないかとの声もあった。
もちろん、彼はやめることなく議員を続け、山中貞則元通産大臣(自民党税務調査会のドン)に取り入り(地盤が鹿児島で近いよしみもあったろう)力を伸ばしてきた。
この彼のあくの強さは、彼に政界での一定の実もたらすことができた要素でもある。
かなり昔であるが、黒木元知事(ある事件で逮捕されたが後に無罪)の幕引きを山中氏とともにおこなったこともある。
いずれにしても、江藤氏的政治手法がなお従前と同じく続いていれば、今回の知事選の結果はなかったといえる。

もっとも保守王国宮崎が、日本において特殊な地域かというと、決してそんなことはない。
今までの日本が、いわゆる面倒を見る(ここでは仕事を持ってくる=そのための予算をとってくるの意味)政治的形をとってきたことからしても、そういう自治体は数多くあった。
ことに地方(モータリゼーションの十分でない)においては、その地域の仕事を生み出す(金を回す)手段として、公共事業が多々行われ、それが雇用を生み出し、地域にお金を落としてきた。
そして国庫支出金や地方交付税交付金あるいは財投(もちろん全部ではないが、)などが、その原資として使われ、そのことが、莫大な財政赤字を生みだした大きな一因であったことは間違いない。
しかし一方では、それにより過疎地であっても、諸外国に比較して、ある程度の生活ができることに貢献してきたこともまた事実である。
これまで地方であってもそれなりに福祉がはかれてこれたのも、この構図によってであることは否定できない。

ただこのことは・・・議員当選→支持してくれる有権者の面倒をみるためお金を中央からひっぱてくる→有権者が生活できる→これを安定して続けるため有権者が自分の面倒を見てくれる議員を支える(議員に投票する)→議員は当選できる→議員の地位を守る(長年議員でい続ける=政界で実力者となる)ためまた地元の面倒を見る・・産業の硬直化をもたらすこととなった(特に地方で)。

これが、つい最近まで(少なくとも小泉首相誕生前の)の地方における政治の典型例であったといえよう。
小さな町の長の選挙では、負けた側の候補者の支持に回った建設会社が、その候補の落選後倒産の憂き目(公共事業の仕事が回ってこないから)にあうことも珍しいこことではなかった。

しかし近年、候補者の当選につながる要因が変わりつつある。
すなわち、面倒を見てもらわなくて結構という有権者が増えている(地方においてもだ)。
これに、最近とみに多くなっている官憲による談合摘発の事実を加えるなら、今の日本に何がおきているか。
それは、公共事業などのゼネコン的産業の比重を減らすすなわち、産業構造の体質改善を目指しているものと思われる。
この背後に何があるのか。

おそらく、これまでの福祉国家型社会(もちろん自由主義国家であることが大前提なのは当たり前)からアメリカ的社会(おちこぼれの福祉国家)に日本を変えようという動きであろう。
こういう国家になれば、富は一部の層だけに集中し格差は当然かなり広がるが、帳面上の数字だけは経済大国にみあう額をはじき出すことはできる。
クラスに20点が6人いても100点が4人いれば計520点であり、50点が10人いるクラスより優れたクラスということになるのであろう。
そして、それを目指しているのが、今の日本ということである。

自由放任市場主義における「能力」「能力」を連呼する人物が、忘れていることがある。
彼が今の力をもてたのは、自分自身の努力だけというのならそれは大間違いである。
もし40代以降で彼が国立大出身なら、それは授業料の安い恩恵を受けることができたからこそ大学に行け、そのことが自分の人生に大きなプラスとなった人もいよう。
彼が企業の世襲的経営者なら、彼の先代の時代が面倒を見てもらう政治の構図の中で成長を遂げた会社もあろう。
どんな人物でもそれなりに福祉国家の恩恵にはあずかってきたはずである。

もちろん、面倒を見る政治はあまりに調子に乗りすぎ、今の体たらくを招いた(プラザ合意があったにせよ)。
不必要な箱物は作ったし、明らかに配置を間違えた形で公的機関の人材を抱えた(必要なところに配置せず、不必要なところがさらに余剰の公務員を抱えることとなった)。
しかし、そういうマイナスがあったにせよ、それが地方で仕事を生んだ事実は否定できない。
田舎であっても、一定レベルの生活ができた事実は、なお存在する。
それを非難一辺倒でばかげたことと、自由放任を連呼するのは「お馬鹿」がやることである。

アメリカ型社会は、決して豊かな社会ではない(アメリカの民主党的リベラリズムは評価するが)。
公的保険制度すら、十分ではない(この面では、日本はアメリカよりもはるかにすぐれている・・・これから先は分からないが・・・すくなくともこれまでは)。
もちろんこれは、文化も風土も違ういかなる人種も受け入れる(現在はそこまでないが)国ゆえ、そうでなければ、国を維持できない側面もあろう。

日本は地理的、風土的、文化的にもアメリカと同じではない。
いまだに多くの難民を受け入れる度量もない。
そのような日本が、アメリカの経済構造の面だけまねして、より自由放任型の市場を作ろうと改革ばかりを連呼することは、愚かなことである。

これからの政治の課題は、公共事業的な建設産業中心の仕組みから政治が脱却するなら、それに代わるあたらしい産業を生み出せる具体策を提示しなければならない(特に地方に)。
いまだ公正とはいえない社会であるのに(世襲が当たり前のようにはびこる世界は、なおまだ多い・・・特に政界はひどい)、それをさしおいて、レッセフェールばかり主張するのは、まやかしであり、無責任政治である。
能力あるものだけが生き残ればいい社会というなら、そもそも政治なんて不必要だろう。
そんな国家が失敗作であることは、ヨーロッパの歴史ですでに証明済みだ(もちろん共産主義の失敗も証明済みだが)。
福祉国家は今なお自由主義国家の必須要件である。

前回の郵政選挙で、もう面倒を見てもらわなくてけっこうといった国民も多かった。
今回の宮崎知事選の有権者もそうであろう。
しかし、彼らは気づいてないだけである。
このままの改革オンリーだけでは、いずれ将来(20年~30年後か)前世代の蓄えが尽きたとき、食うことすらままならない層がふえるだろうことに。

こういう人が、面倒を見てもらわなくていいと気楽に思えるのは
老齢者なら、十分な年金をもらえる立場からか、ないしはそれなりに蓄えがあるからか、現役を引退した以上、雇用のことは自らにはあまり関係ないと思っているからか
若い世代なら、これまでの前世代のたくわえ(遺産)により、長年築きあげてきた生活基盤のシステムの恩恵を・・・ライフラインや義務教育などの福祉的資産を・・・あって当たり前のことと(自分は食えなくなることはないと)捉えているからである。

彼らは、国がもう雇用(産業)をわざわざ創出する必要はないと考える。
それは、金の無駄であると。
官から民で十分であると。
仕事の性質がそもそも違うのに(営利を目的としないところに官の本質がある・・・例えやり方しだいでその機関が黒字になるとしても、だから官である必要はないということにはならない・・・内容の質こそ重要なのである)その線引きを具体的に示しもしないで、連呼されても困る。
また、彼らが思うほど、市場も万能ではない。

サラリーマンなら、あなたがもらえる手当ては当たり前のことか。
そうではない。
もしかしたら、労働運動の中で得たものなのかもしれないのである。
それがなかったら、家族手当や住居費はいまだになかったかもしれないのである。
もちろん、労働運動のありかたすべてを肯定はできない。
問題点も多々ある。
しかし、その果たした役割について、まったく否定するのは愚かなことであるし、これからも必要な場面は間違いなく出てくる。
例えば、アウトーソーシングという、ネーミングは一見かっこいいがのその実は「人飼い(買い)」にすぎない形の労働問題を、いい方向に是正すべきときはやはりその役割は必要とされるだろう。

国際競争を連呼する財界の主張なんぞ、結局は彼らの自己保身的主張にすぎない。
仮に彼らのやり方でやったとしても、20~30年もたって世代代わりしたころには、所得のそう多くない人たちは、親の世代のたくわえもなくなり、生活ひっぱくの問題はいずれ必ず出てくる。
そうなったとき、御手洗キャノンや奥田トヨタ的企業だけが栄えていても、果たしてそれでよいのか?
それで地方の雇用の問題を解決できるか。
竹中氏や小泉氏は痛みに耐えればできるというが、私はそうは思わない。
彼らのやっていることは、たんに点数(所得)の低い人間ををなきものがごとくに扱っているに過ぎない。
もっと、別の角度からの解決が求められるべきだと思う。
それが、次期参議院選挙の争点である。
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by phtk7161 | 2007-01-23 19:24
連日のように嫌な事件がおきている。
どうも、世の中がおかしい。
これは、今の日本人の心が、ある種の余裕をもてなくなってきてることの表れだと思う。
事件の加害者が必ずしも経済的に困窮した境遇でない(それどころか、裕福ですらある)なかでの事件が多いことからしても、それはみて取れる。

相手がどんなに嫌いであるとしても、ある種の一線(例えば犯罪行為)は越えないで、それなりに相手と対峙していく、あるいは決定的状況を避ける、それは社会で生活するうえでは必要なことだ。
しかし、この種の能力をもてない人間が、今の社会は確実に多くなってきているように思う。
犯罪者ではない一般人にも、それは当てはまる。
あまりに相手を不必要に「憎しみ」すぎである。

同じ状況にあるとしても(対人関係において)自らの感情を最低限コントロールできる人間とできない人間はいる。
最近の社会では、それができない人間が、明らかに多くなっている。
原因としては、ネット(掲示板やブログ)、メディア、質の悪いゲーム、などがあげられようか(もちろんほかにも原因はあろうが)。
いずれにしても、○×発想のみで相手の人格の尊厳を考えないことが大きいように思う。

この種の人間が、政治的問題に感情のまま、あるいは面白半分にノリでメディアやネットで声を上げだすと、社会の質は明らかに低下していく。

イラク戦争開戦前、アメリカにも「イラク戦争反対」に声を上げる識者(あまりこの言葉は好きではないが、ほかに適当な言葉がみつからないので)のブログはあった。
しかし、この良識的見解(これはその後の経緯を見れば明らかだ)は、ことごとく当時の多くの保守的「愛国者」ブログで叩かれた。
やれ「裏切り者」「テロの味方」などと、不必要にメディア(特にFOX)によっても増幅された、リベラル憎し、あるいは面白半分の感情のオンパレードにより、やがて良識的「声」はかき消されていった。

そのことは、アメリカに結局何をもたらしたか。
アメリカは、これから先長い間イラク戦争の後遺症に苦しむことになるだろう。
世界のアメリカの評価も、もはや従前にはもどりえない。
イラク戦争はある意味ベトナムよりも、質の悪い戦争(それは戦争の主導的役割を果たした人間の質においても)である。

イラク戦争時、日本でもノリでこの戦争を肯定した人や、当初イラク戦争に反対しながら、その後見事にイラク戦争肯定に転じた政治家や、内心ではイラク戦争反対ながら、ついに声を上げなかった学者は何人もいる。
こういう人物ほど、メディアで良く見かける(むしろ、こういう人物だからか)から、嫌になる。

ところで、憲法改正に関してはあまり書きたくない(前にも書いたので)のだが、憲法改正の空気を与党(というか安倍自民党)が作為的に作ろうとしているので、触れざるを得ない。

この前の衆院選挙では「郵政民営化」が正義の錦で「郵便局」が改革阻止となる悪の根源とされた。
今度の参議院選挙ではどうやら「憲法改正」が正義の錦で「護憲」はそれを妨げる悪の根源という構図に持ち込むつもりだろう。
もちろん、改憲(=ここでは集団的自衛権支持者としての意味で)支持者もいる民主党を分断させる狙いもあろう(選挙でのまとまりをくずすすため)。

将来的に改憲争点の選挙もありえようが、今は目の前の生活に密着した政治を担える政権か否かが争点である。
参院選を目の前にして、「争点は地に足の着いた生活権保障の政治の確保を以下に図るかである」と与党に言い返せず、民主党の集団的自衛権支持者が安倍自民のペースにのって改憲うんぬんをごちゃごちゃいうようなら、もはや民主党の存在価値(与党の対抗的政党としての価値)はないといえよう。

今の日本国憲法は、世界でもかなり優れた憲法であることは間違いない(もちろん相対的にだが)。
少なくとも、アメリカには、憲法改正をアメリカが望むとしても、おたくよりより優れた憲法であるから、自分の国の憲法を考えたほうがよいと十分理由をあげて言い返せるレベルにある。
アーミテージなど何にも分かっていないただのおっさんで、彼の言動は、ただ日本をパートナーという名の「属国」と認識していることからこそいった「グランドオンザブーツ」であろう。
もっとも、これとは別の次期に、中川幹事長(当時は幹事長ではない)がアメリカにわざわざ行き、そのときにアーミテージの改憲要望がでたことがある。
このときは、実際は自分たちが言いたいことをアメリカに代わりに言ってもらったことがミエミエだった。
なんとも情けない。

新聞で読む限りであるが、参議院選挙での改憲を争点にすることへの反対は47パーセント、賛成は42パーセントだった。
反対が多い結果ではあるが、私にはむしろ争点賛成が42パーセントもいることのほうが驚きだった。
このアンケートに答えた42パーセントの人に言いたい。
あなたは今の日本国憲法をちゃんと理解しているのか、改憲の争点(集団的自衛権の肯否など)はきちんと分かっているのか。
これが分かってる上でのアンケートの回答ならかまわないが、適当に改憲的ノリで回答しているなら、いずれは日本もイラク戦争時のアメリカの結末をたどることになる。

集団的自衛権は、明らかに日本が軍隊を使って開戦当初から攻撃的「戦争」に参加するということだ。
あのあやまった不必要なイラク戦争時の状況ではどうなるか。

日本が同じ状況で、あの血が頭に上ったアメリカに対し、軍隊たる自衛隊の派遣を断れるわけがない(99,9パーセント断れない)。
しょうもない先制的自衛権とやらにのっかかり、アメリカの一派兵部隊として参加することになる。
開戦からの参加により、まともにテロの標的とされて、テロのおきる危険も各段に高くなる。
多くの自衛隊の人の生命も失なわれるであろう。
このような決定的状況招かずにすんだのは、やはり9条の存在が大きい。
そういうことを考えずに、面白半分に改憲にノリで参加することは、許されることではない。

もちろん今の日本国憲法も完璧ではない(もちろん、今のままでも内政的にも国際社会にも十分対応できる・・・できないという人物はただ今の憲法を十分使いこなす能力がないだけである)。
いい意味での改正をどうしてもやりたいというなら、私も改正をまったく否定はしない(国連レベルの議決を要件とするPKO的要素に近い派遣など明示してもよいとは思っている)。
しかし、改正するには、それなりの環境がなければならない。

改正に直接関わる国会議員が、本当に今の日本国憲法をきちんと理解しているか、質のいいものをかえるというなら、それだけ多くの優れた法感覚の立法議員の存在が必要であるはずだ。
しかしはっきりいって、中学レベルでさえ危ない議員がいる(憲法の役割すらきちんと理解できていない改憲派の現某大臣・・・少し前まで改正に関わる委員だった・・・など、あげればきりがない)のは紛れもない事実である。
選民思想を背景に持ったり、明治維新的ノスタルジーのためだったり、はたまた軍事ごっこの延長線上でのっかたりと、とにかく改憲主導の議員の質が悪すぎる。

現憲法をきちんと理解したうえで、問題点を総合的に考え、妥当な結論を導く能力を持つ議員により行われる改憲なら、私も理解するだろう。
しかし、今はとにかくスタッフ(議員、役人、経済界これは具体的にいえばたとえば経団連・・・ここは軍事は金の成る木だからであろう、日本会議・・・ここはノスタルジーから、などetc)のレベルが低く、まじめに改憲を練る環境にはない。
そこが、今の改憲の一番の問題である。
そこをなおしてからの、改憲であろう。
今年の参議院選で争点にするなど、この前も書いたがただの現実逃避である。
改憲を叫ぶ前に、他に今政治がやるべき政治課題はいくらでもある。
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by phtk7161 | 2007-01-18 00:47
安倍首相の年頭あいさつは、「憲法改正」だった。
このところの彼は、完全に現実逃避してるようにみえる。

日本の未来は、温室育ちの「おぼっちゃま」ではとても処理しきれない難問が山積している。
明日にも職を失うとか、食うに困るとか、少なくとも本当の「生活苦」を経験したか、あるいはその立場を等身大で理解できる能力のあるものが、政策に関わっていかないと、この国はますますだめになっていくだろう。

防衛庁を「省」にしたところで、さらには憲法を改正してみても、この国の本当に重要な問題はなんら解決しない。
今の社会の山積した問題の本質は憲法にあるわけではない。
問題の本質は、生活というものを現実で捉えず、イメージだけで考える人間が増えてきたところにある(世襲的政治家、単なる偏差値人間、ゲーム的国家主義者など)。

たとえば安倍首相のような世襲の政治家の多くは、実際生まれてからずっと本当の「生活」からは距離を置いた世界にいた。だから、彼らがそれを知る努力をしない限り、今の日本の本当の問題を肌で感じることはできるはずがない。

これは、ネットで「国家」「国家」と書き込む人間や街宣車でがなりたてる人間(もっとも街宣車のかわりにネットを使うほうが安上がりのため、最近は街宣車は前より少なくなったが)も同じで、彼らは結局現実の生活世界からは逃避しているに過ぎない。
タカ派おぼっちゃま政治家もこれと似たようなもので、目の前の解決すべき問題には目をそむけ、もっぱら国のプライドをさけぶことで、現実逃避をしている構図は同じだと思う。
憲法改正は、彼らの現実逃避にもってこいの対象なのだ。

少子高齢化にともなう年金や医療の問題はどうするのか(自己責任だといえばそれでいいのか)、あるいは今や完全に現実化した格差社会における、所得の少ない家庭のまさに現実の生活保障をどうはかっていくのか、こういう問題から逃げてばかりいて、何が「美しい国」か。
年頭の挨拶を聞いて「こりゃダメだ」と思ったのは、私だけではないと思う。

今年こそ、現実の生活問題をきちんと捉えた、地に足の着いた政策論議が活性化することを望みたい。
いつまでも、現実の生活というものを理解できない「ごっこ」人間だけの政策論では、この国はますますダメになっていく。
これでは「美しい国」どころか「幼稚な国」になるだけである。
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by phtk7161 | 2007-01-09 18:08