社会問題を考える


by phtk7161
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<   2007年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

 もうすぐ、東京都知事の選挙が行われる。
投票率がどれくらいになるくらいかは分からない。一人でも多くの人が、今の都政のあり方を真面目に考え、一票を投じて欲しいと思う。投票率が高ければれば石原氏落選もありうるだろう。低ければ石原氏有利か。

 もし、都民が知事に最低限の品格を求めるなら、それだけで石原氏は落選してもおかしくない。勇ましいことをいうわりには、誤りを認めることの潔(いさぎ)の悪さ。たとえば、四男の件や公費をめぐる問題などに対する態度は、どうもにえきらない。

 彼のそういう面は、今までもあった。田中審議官宅に関するニセ爆弾事件をめぐる「爆弾を仕掛けられて当たり前だ」発言。一部の記者団の粘り強い追求によって、ようやく表現の誤りを認める始末だった。そういえば、「ババア」発言もあったけ。彼の表現には、時にかなり品格が欠落している。それに加えある種の強引さ。いいたい放題やりたい放題にも、みえてくる。

 もっとも、実際都政を牛耳っているのは浜鍋氏あたりで、石原氏は所詮は彼の取り巻きによって操り人形化しているような気もする(彼はそのつもりでいないだろうが潜在化した形で)。だから、取り巻きの利害を害しない範囲で、彼の希望(マラソン開催やオリンピックの招致)が認められているにすぎないのが実態なのかもしれない。

 オリンピックは、彼を支持する一部の人間にとっては「金のなる木」だろう。しかし都民にとってはこのオリンピック企画、開催地にえらばれようが選ばれまいが、将来お荷物となるのは確実である。しかし、石原氏の取り巻きにとっては、開催なんぞなくても、それまでの過程で十分ふところ「ウハウハ」なんだと思う。

     ☆      ☆      ☆  

 景気が回復しているといっても、地方が実際にはあいかわらず経済的に苦しんでいるのは事実だ。特に過疎的地域における人にとって、都市部との経済格差は、もはや現実だろう。

 では、多くの東京都民はどうか。格差の現実は地方ほどでないかもしれない。数字上の景気回復のなかで、それなりにこの恩恵をうけてる層が東京にはけっこういる。したがって、「べつにこのままでもいいじゃん」「あたしは別に生活困らないから、昔からファンである石原でいい」という人間が、半数以上いれば、石原氏はめでたく再選となるわけだ。

 もちろん東京都民であっても、格差の現実に苦しむ人間は決して少なくない。しかし、その中にはマゾ的というかなんというか一種の無気力感で「投票しても何もかわらない」、こういう人も結構いるような気がする。しかし浅野氏がいったように、東京を変えていかないと、まず地方の状況が良くなることはないだろう。もちろん、東京自身も。

 経済格差のなかで、システムの恩恵をうけるのは大都市圏だけ(それも一部の人間)地方はますます苦しくなるという構図(大都市にあっても、住民の格差は決定的になっていこう)はこれから先も続いていく。その構図をかえるためにも、都民はもっと「怒」らなければならないと思う(自分さえ良ければいいというなら別だが)。そのための一票である。

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 今回の都知事選、国政選挙ではなく所詮は知事選じゃないかと思う人もいるだろう。でも実際は、徹底的な市場万能アメリカ的自由主義国家VS福祉国家(もちろん自由主義経済を前提とする)、東京都の住人はそのどちらをこれから支持していくのか(地方のことはそれぞれの地方ことですますのか)、それが競争原理のもっとも恩恵を受けている今の東京都に最もふさわしい、根底となるべき争点だと思う。

 確かに、いまの東京はアメリカ化の進む日本で最もその恩恵を受けられる・・・アメリカブーム的経営にのった景気のいい企業からの税収も多い・・・地域である。しかしその東京でも、潤う企業がある一方で、数字的には景気がいいといわれながら、中小の商店が次々と閉店していく現実はまぎれもなくある。

 それが今の世の流れ仕方がないという人もいようが、私はそうは思わない。それを目の当たりにするたび、「このままでは、やっぱりまずい」「この構図を、かえなければ」と思う。都内でも経済格差は確実に広がっている。それはあらゆる面で見て取れる(教育やレジャー面などでも)。

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 今の日本の経済の構図は、グローバル化した自由主義を錦の旗に掲げ、少し大きな波が来ればすぐ沈んでしまうような平地(この部分の面積はかなり広い)がずっと続いている中に、一部だけ巨大に高くなった場所(しかもそこには外資との共有地の場所もある)があるようなものである。しかもこの場所はさほど広くない。

 ここ(高い場所)は水没することはないが、このまま時がたてばその場所の面積は、高さに反比例して高さが高くなればなるだけ、だんだんせばまっていく。しかし、ここがもっと高くないと水没するぞと叫びつつ、この部分だけをさらに高くしようとしているのが今の日本の姿である。

 改革好きの人間は、高台をたかくすればするだけ、平地もいずれは高くなるというけれども、決してそうはならない。なぜなら、高く積んだ土が低い平地に流れる構造になっていないからである。今の構造だと、へたすれば、平地より少しだけ高い程度の場所の土など簡単に「外資」にもっていかれるのである。

 そして、これをみて、本当の高台にいる人間は、自らの能力の高さ(高いつもりでいる)に酔いしれる。それでも、この高台になんとか自分だけは上がろうとする(あるいは上ったつもりになっている)「改革」好きの軽薄人間は多い。

 本当はそうではなく、高台の土を削ってもっと水際の土地に回すか、あるいは高台のことより、今後は平地の全体的な底上げ(高さをあげて)をして、もっと水をかぶらない土地の面積を広げる構図をつくらなければならないのである。今、自分は水をかぶるはずはないと思っていても、今の商法の認めている企業戦略(ホールディングスによる合併指向清算指向)の結果次第では、誰がいつ水際にたたされてもおかしくない。

 今は東京で安泰の生活ができている石原ファンのおばちゃんも、あなたはいいが、子あるいは孫の世代が、はたして水没することはないか。運良く子孫が高台に上がれたとしても、そのとき日本が、今のアメリカのように人間間(かん)において、決定的な経済的等級を持つ社会でいいのかということである。もちろんそれを望む人間もいるかもしれない。でも、著しい格差を望む人間は、やはりある意味で「下品」だと思う。私はそういう社会がいいとは思わない。

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 石原氏が知事になって、確実に福祉は後退した。彼の福祉に対する基本姿勢は、事情に関係なくまずは「自己責任」でということであろうか。しかし、ファミリーに関することについては、彼の「自己責任」の意識は著しく薄い。それは、結局は彼の根底に差別意識があることに他ならない。

 私は、彼の排気ガスやカラス対策などは一定の評価はするけれども、都教委のありかたや公費の使い道(彼の4男をめぐる問題も含めて)、情報公開の低さ(他の都道府県都と相対的に比較してもかなり東京は低い)、オリンピック招致(負の遺産の危険や築地移転など・・・食の安全の問題も含めて)の問題などからみて、今の彼に負の面のほうが多いことは、否定できない。

 さらにつけ加えるなら、もし彼がもう一期やることになれば、かならず彼は「裸の王様」になってさらに暴君化(取り巻きも含め)・・・もっともこれは彼にかかわらず、当選の回数がふえればふえるほど権力の甘いわなに陥る人間は多い・・・してしまうだろう。それも含めて、このあたりが彼の引き際だと思う。

 ある意味で、今の東京は自由放任主義的改革路線の標本かもしれない。しかも現知事は、国家より先走っているところもある(国家主義的な面において)。そういう意味では、今の東京において、どの程度都民が反石原票を投じるか・・・経済面における自由放任国家VS福祉国家か、これに加えて、放言型政治VS最低限の品格(発言のありかたをめぐって)ある政治か、さらには人権(君が代をめぐる件に関して)に対する考え方はどうかなど・・・そういう点で、私は今回の都知事選の結果に注目している。
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by phtk7161 | 2007-03-29 01:38
 堀江判決がでた。私は堀江氏個人が、まったく粉飾的なものに責任がないとは思っていない。だから、有罪判決はありえる結論だと思う。しかし、実刑判決には大いに疑問を持っている。

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 今回の粉飾は堀江個人の能力では、それはできない。彼に今回の「画」を描くことは無理だ。宮内という会計の専門家がいてこそできた話である。つまり、一番の責任者は彼である。したがって、もし宮内氏が実刑でない場合、それは明らかにおかしな判決だといえよう。だから私は、彼の判決のほうに大いに注目している。ちなみに、宮内氏の場合、反省の状は決して実刑を免れる理由にはならない。彼の反省の形は、明らかに堀江を人身御供にして自らの保身を図る手段にすぎないからだ。

 日興コーディアルの件もおかしい。粉飾が黒字部分であろうが、そうでなかろうが、粉飾したこと自体で株価に大きな影響はあった。すなわち株主の利益を害した、そこに非難の最たる根拠(ライブドアの場合もそうだ)を求めるなら、当然日興だって起訴されてしかるべきだし、上場廃止は当然だろう。なのに、国策的都合でそれがなされないなら、それはアンフェア(不公正)というしかない。

 ライブドアをめぐっては、ファンドの存在も取り上げられている。自殺したとされる野口氏が関わっていたHIS証券がらみの件は、結局闇に葬られそうだ。自殺をめぐるメディアの報道も、結局腰が引けてる感はぬぐえない。空港で人と待ち合わせていた事実、現場の様子、検死解剖されたのかされなかったのか。とにかく、この事件はおかしな点がたくさんある。

 HISの社長が、小泉首相や森元総理などとともに、小泉最後の総理外遊に一緒に動向している写真をみるにつけ、何か「豊田商事事件」的ものを感じるのは私だけだろうか。いずれにしても、今回のライブドアに関わる問題を、堀江中心で乗り切ろうとする構図には無理がある。まさに、This is unfair である。

 とはいえ、堀江氏自身彼の価値の捉え方が社会に与えた影響は大きい。そこに彼の帰責性は見て取れる。すなわち、中身を無視した感覚的経済ゲームがそれである。もっとも、その本当の原因はアメリカ的スタイルにあるのであって、彼はそのスタイルをまねしたにすぎない。その証拠に、いまや日本ではホールディングスという名の傲慢会社が、「いつでも新会社作りまっせ」「使えん会社(短期で利益を生み出せない会社)はいつでもつぶしまっせ」と大威張りで、やりたい放題やっている。そこでは子会社の人間など、駒以下の存在である。


 オリックスの社長をみるまでもなく、そういうホールディングスのトップは、不遜で謙虚という日本の美徳さえ捨て去った、アメリカ人型日本人になりたい恥ずかし人間の集まりである。おまけに、現場を何にも知らないのに、時には教育にまで口出す始末だ(根が傲慢ゆえ、これも当然といえば当然か)。

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 小泉以降の、日本の社会は完全に壊れた。教育について、しょもない道徳叫んでいる日本会議や安倍とその仲間たちは、個人主義がいきすぎだと批判しながら、一方で自らの企業経営については、今の自分たちに都合のいい政策ばかりを強く主張している。そこには、自分の企業さえよければいいとの思い・・・エゴイスト的個人(企業)主義・・・ばかりで、経済的弱者への配慮などまるでありはしない。「いきすぎた個人主義」をあらためよとばかりに、憲法改正を熱心に主張する人物ほど、それは自らにつばする行為だということに気づいていない。

 その矛盾をごまかす便利な言葉が「国際競争」という逃げ道なのだ。でもそういいつつ、コンプライアンスひとつまともにできない。現にトヨタなど、アメリカ法人の責任者のセクハラひとつ防げなかったではないか。その手本とされるアメリカでさえも、エンロンをみれば程度は押して知るべし。所詮その程度の国際競争である。

 ちなみに、現憲法に「いきすぎた個人主義」という側面などありはしない。現憲法には、多数少数で利害を決定するのではなく、利害の異なる私人間でも、互いの人権を尊重しあい、バランスのとれた解決をはかりなさいとする、「公共の福祉」という規定がちゃんとある。

 トヨタやキャノンは、自分らが日本をひっぱているつもりかもしれないが、こういう会社がいくら経済的に太ろうが、絶対経済的零細分野へお金はほとんど流れやしない。なぜなら、今の日本の進む方向は、歴然たる格差をよしとするアメリカ社会であるからだ。数パーセントの人間が、富のほとんどを独占する社会アメリカ国家、それが日本で自らを進歩的と自認する人間が、手本としている国家像である。

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 小泉以降、本当にこの種の恥ずかしい人間が、日本の政策に大きくかかわりすぎている。例をあげてみよう。

 塩崎官房長官。アメリカ帰りの俺。その俺の記者会見のスタイル。俺スマートでカッコいいだろう。アメリカの報道官すらおれほどかっこよくない。たぶん、テレビで自らの記者会見をみて、いつもそう思っているんだろう・・・恥ずかしい。

 奥田トヨタ元会長。いわく。これからのトヨタのリーダーは、「神の足音聞ける人」ときたもんだ。「神」などど、こういうせりふを臆面もなくいうところが、謙虚という美徳を忘れた人間の見事な完成モデルである・・・恥ずかしい。

 奥谷という派遣会社の女性社長がいる。この社長、自己管理をやたら主張するらしい。「過労死など存在しない」とのたまった、恥ずかし人間の最高モデルである。過労死ウンヌンについては、愚かな目立ちたがりやのいうことをいちいち真に受けるべきではないかもしれない。でもやっぱり言っときたくなる。

 なるほど、たとえば公益的仕事に関わる人間が、自らの都合だけで、職業をこなしていいとするなら、そういう主張もいいだろう。でも現実には、医療など人の生命に関わる職業の場合、まともな神経をもつ人ほど、当然自らの都合を抑制して仕事を優先している。また、そうでなければ、助かる命さえ救えないことにもなる。また民間の場合でも、今の会社が、社員の自己管理を優先することを認めるほど寛容でないことは、誰でも分かっていることだ。だからこそ、過労死にも「労災」が認められるのである。

 彼女の思い描く構図それは・・・能力ある人間→自己管理できる→それがこれから求められる人間像→そのための人材派遣会社・・・ということか。でもその後にも→(矢印)がある。それは→会社大喜び・・・なぜなら人件費のコストが抑えられ、使い捨てがきくから・・・という結論である。この矢印があるからこそ、彼女は企業経営者には重宝がられ、その結果林真理子や小泉などと、セレブを気取って、ワインの会を開けるというわけだ。・・・・ああ、すご~く恥ずかしい。

 ところで、統一地方選挙が近いせいもあり、最近地方議員立候補予定者が良く演説している。マニュフェストを連呼するものもいる。しかし、マニュフェストなど、実効性がなければただの「画餅」にすぎない。
 マニュフェストをつくりたくさんの政策を書き並べるより、本当にやりたい政策を優先的に3つ程度並べて、これだけはなんとしても全力を尽くして実現を目指すという公約スタイルのほうが、はるかにましである。そういう意味では、本当にマニュフェスト政治でいいのかよく考えもせず、マニュフェストを当選手段として連呼する議員を見るたびに、これもやはり恥ずかしくなる。

 国際競争、弱きもの去れ、能力ある人間のみが残って当然、マニュフェストを用いなければ遅れた政治家、こういうことを臆面もなく口に出す人間、彼らこそ実は古~い遅れたヨーロッパ(レッセフェール=自由放任の姿)時代の人間である。そういう人間こそ、自分が進歩的どころか、だだのすごく遅れた恥ずかし人間であることを、本当は認識すべきなのだ。
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by phtk7161 | 2007-03-16 19:01
 少し前の新聞に、ある著名漫画家の9条に関するインタビュー記事が載っていた。そのなかで彼は、日本の自衛隊はシビリアンコントロールがちゃんとできているからもはや軍が暴走することはない、だから自衛隊を軍とみとめ、日本の防衛のためにも集団的自衛権をみとめるべきだと述べていた。彼のように考える若手の保守政治家(中川総務会長、石破議員は典型であろう)は多い。民主党でさえ鳩山前原グループは同じ考えだと見ていい。
 
 ところで、一見今回のテーマと関係ないようだが、おととい久間氏の秘書給与疑惑がとりだたされていた。公設第2秘書が私設秘書時代に、給与を民間企業から肩代わりされていた疑惑である。

 この問題のでどころについては、参院選前に内閣改造を加速させたいグループからのリークという説がでている。つまり、選挙の前に内閣改造をして、参議院選挙を少しでも有利にしたいためというわけである。それが事実なら私にとってこの問題はさほど心配ではない。心配なのは、発覚することになった本当の原因が、彼の発言・・・沖縄の基地問題やイラク戦争をめぐるアメリカ批判・・・にあった場合である。仮にこの発言がなかったなら、この問題が表に出ることはなかったとするなら、これはかなり憂慮すべき問題である。

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 なぜ、憂慮すべきことなのか。それは防衛省のつい最近の人事問題が関係している。メディアによると、今回の陸幕僚長と空幕長の人事は、制服組の強い意向が反映された結果のようだ。このことと、今の守屋事務次官が長期にわたり事務方のトップをつづけ、彼のみが地位がかわることなくその任期が5年目にはいる(5年の長期続投は異例)ことをあわせて考えなら、今何が防衛省でおきているか。

 以前このブログにも書いたが、私は久間氏は事務方、石破氏は制服組に近い防衛族議員だと思っている。守屋氏についてはよく分からないが、もし彼が石波氏に近いならば、今回の人事劇の示すところは、防衛省内での事務方と制服組の相対的力関係における、制服組の力をあらわしているといっていいであろう。この推測通りなら(そうあってほしくないが)ことはかなり深刻である。

 シビリアンコントロールとは文民統制のことだが、これは民主的政治を基盤とした非軍人よる政治遂行者の軍のコントロールをさす。物理的に圧倒的な力を持つ軍という存在に対し、これを政治決定から排除することで民主的政治基盤を強め、それにより、さらには、世界の平和の安定をめざすものである。これは人類が歴史的経験則からあみだした叡智といっていい。

 もちろん、いろいろシビリアンコントロールについては見解がある。しかし、少なくともシビリアンコントロールというものに、民主的要素が不可欠なのは絶対である。軍という組織は、もともとその本質において非民主的な存在である。これは当然で、だからこそいざというとき軍は、軍事的任務をはたせる。

 このような軍の特性を考えるとき、その軍をコントロールする任務を担う、本来的にその存在が民主的基盤である政治家には、当然軍とシンパシーにおいて一定の距離を保ち、適切な緊張関を維持できる能力が必要とされる。これがなければ、シビリアンコントロールは有効に機能しない。軍と完全に一体化した意向をもつ政治家による文民統制、それは結局形式的なシビリアンコントロールにすぎないといえよう。

 防衛問題とは、何もいざというとき戦争に勝つことだけがすべてではない。いかに戦争を回避するか、それをさける状況をいかに作り出すかが、もっとも重要な防衛問題である。形式上のシビリアンコントロールがすすみ、軍の制服組と世襲andシュミレーション的ゲーム感覚大好きあるいはヒーロー感覚大好き政治家のタッグがすすむと、避けられたはずの戦争を起こしてしまう危険は間違いなく高まる。そのひとつの形が、イラク戦争である。

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 最近、制服組のトップはとみに強気になっているといわれている。チェイニーが来日したとき、彼は制服組のトップと会談した。日本がブッシュ的アメリカに追従する限り、この先にあるものは、制服組が自らの親分は日本の政府ではなく、アメリカ国務省、国防総省だと考えだすことである。
 
 その場合制服組と同じ意向の政治家は、形式的なシビリアンコントロールの形で、うまく制服組に利用される。また意向の異なる政治家は、アメリカの意向を彼らに印籠のようにちらつかされる。そして、ますます彼らはシビリアンコントロール(民主的要素)を軽く見だすことになる。「政治は俺たちの意向を軽く見るな。俺たちは、世界に冠たるアメリカの国防とつながってるんだ。だから何も知らない日本の政治家は俺たちに口を出すな」と。そして、もし集団的自衛権が認められ、イラク戦争のときのようになれば、日本の自衛隊は海外で大いに活躍することになるだろう。

 その最初の相手は、軍事マニア政治家のいう中国よりも、イランである可能性のほうがはるかに高い。そこで隊員に死者をだしてしまうと、もう流れはとめられない。犠牲者の隊員の存在を世論の感情に訴えることで、自衛隊はいよいよ、形式はともかく実質的に(自衛隊シンパシーの政治家を表舞台で使うことで)政治の舞台で大きな力を行使することになる。その後は、軍の意向が政治の世界で跋扈する、窮屈な世の中が待っている。

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 戦後長い間、日本の政治家は狸(久間氏はこれに近いと思う)が多かった。子供的単純発想ではなく、いい意味でのあいまいさも持ち合わせていた。岸、中曽根政治の時でさえ、戦争経験者の側近による抑止、あるいはまだ派閥政治がいい意味で戦争の抑止力として働いていたため、結果的にアメリカについていくように見えても、軍事的に全開レベルにはならなかった。それが長い間日本が戦争に巻き込まれなかった大きな要素であったことは間違いない。
 
 しかし、戦争を知らない世代が増えるようになり、苦労知らずの世襲議員が増え、議院内閣なのに、まるで大統領の小泉内閣が登場し、これを起因として軍事マニアの単純思考の議員が、あさっての方向で国際社会を声高に叫びだした。それが政権の中枢に多くなってしまったときから、この国は大きな危険への一歩をふみだした。有事法制ができ、さらには今また集団的自衛権をもとめて憲法改正を叫びだしている。もちろん今の防衛省の制服組は、集団的自衛権はすでにあるものとして、速度をあげてとっくに進みだしている。でもそれに今、ブレーキをかける政治家が、政治の中枢にほとんどいない。

 この先、日本のシビリアンコントロールを維持していくためには、メディアの役割は重要である。民主的要素が軍からはなれてしまえば、もはや政治は終わりである。この意識をメディアが持つことが最も大事である。もちろんさしあたっては、シビリアンコントロールの問題も含む今の政治の流れを少しでも防ぐために、どうしても 今年の参議院選挙で安倍政権を惨敗させ、次回衆議院選挙で軍事マニア的世襲議員を落選させることが必要である。

 もう少しいい意味での狸政治家が、政権の中枢である程度の数を占めないと、この国は本当に危ない。狸政治家が希少価値となりつつあるいま、その保護に努め、数を増やしていく必要があると思う。狸政治家でないと、なかなかアメリカや制服組組ともわたりあえない。ただただのまれていくだけである。単純思考の政治家が多すぎる今こそ、狸政治家の存在を見直す時期であると思う。
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by phtk7161 | 2007-03-07 08:53