社会問題を考える


by phtk7161
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<   2008年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

  菅原NHK経営委員が所得隠しで重加算税を追徴課税された。記事をぱっと読めば「けしからん」ということになるだろう。もちろん誉められたものではない。ただ正直いってどうも今回の件はある意図のもと狙い撃ちされた感が強い。

  
  菅原委員はもう一人の女性委員とともに、古森会長の経営委員会での強引なやり口を会見を開いて表立って批判していた。実際彼のやり口がかなり強引だったことは事実だから、彼女たちの会見も、委員会の民主的質維持という点からみれば委員として許容される行為だ・・・むしろ古森氏の強引な運営手法に対し、自らの保身のために沈黙した他の多くの男性委員のほうが情けないといえる。

  

 もちろん古森会長は、彼女らの行為に対しいい感情は持たなかったはずだ。この手の人物はワンマンだから、なおのことこ「俺にはむかうとは生意気な。」「やめてもらいたい。」そういう気持ちは日増しに強くなっていたのではないか。

 
  
 そういうなかでの今回の件。対象となった所得隠しは1億5000万となっているが、しかし7年かけての数字である。1年当たりで換算すれば約2000万。もちろんそれでもいけないことである。重加算税をかけられても当然のことと思う。


  
 ただやはり不思議なのは、「なぜこのタイミングで?」ということだ。NHKはつい先日古森氏の肝いりで決まった新会長へのバトンタッチが行われたばかり。昨日新しい副会長も決まり新体制がスタートしたといえる。7年の間の中で、このタイミングでの所得隠しの発表。この件で彼女は経営委員から去ることになるだろう。うがった見方をすれば、そうさせるために明らかにされた事実といえなくもない。もし彼女が経営委員をやめることになれば、今後NHKNの経営委員会は古森氏の独壇場ということになる。


        ☆         ☆         ☆ 

 
  古森氏達の考えているNHKとは民主的なNHKではなく、彼らの利益にかなうという意味での国益(=権力者達の利益)に沿う放送をするNHKということである。戦前復古主義的な大和魂的日本であり、対外的には共和党型アメリカ(リベラル否定型)を応援するNHKにしたいということだ。中曽根氏や麻生氏や安倍前首相(古森氏を強引に経営委員会の会長に据えたのは彼だ)、実業界で言えばJRの葛西会長などがそういう人物の典型例であろう。もちろん古森氏もそうだ。

 
 だから今回のことも、菅原氏のスキャンダル探しをした結果発覚した所得隠しのように思えてならない。だれが仕掛けたかはわからないが、古森氏を応援するサイドから何らかの動きがあり、その中で国税庁が彼らの期待に沿う事件を見つけ表にだしたのではないか。今回のタイミングを見る限り、そうとしか考えられないのである。

 
 
 7年の期間があるのである。もっと前に発覚してもいいし、もっと後で発覚してもおかしくない。偶然にしてはできすぎだ。どうみてもあまりにタイミングが良すぎる。今のこの時期の発覚はどうみても古森サイドにとって、ベストすぎる時期での事件の発表である。国税局がそれ自体は本来の業務であるといっても、あるサイドの期待にかなうタイミングで動いて(発表して)いいものだろうか。これでは、特定サイドの利益のために、本業をスキャンダル探しのひとつとしてやっているのと同じではないか。

 
  
 もっともある意味、これがまさに権力をもつもののダーティさともいえる。お仲間達を作り自らの人脈・・・もちろん行政に携わる人物も当然含まれる・・・を使って自分達にさからうものをつぶそうとする。昔から行われてきたことであるが、今なお権力が如何にご都合主義で動くかを教えてくれる。


         ☆         ☆         ☆


  
 しかしいつまでたっても、あいかわらずこういうワンマン人間とその仲間達のやりくちは潔よくない。ま、だからこそ、権力の座にいられるのだろうが。でも、めめしいやり口である。こういう人間達がNHKの放送内容に介入し出したら、目も当てられない。今後経営再建の元、古森氏経営委員会サイドは放送内容(編集権)に対し、間接的に様々な圧力をかけていくだろう。そしてその雰囲気がNHKに蔓延したとき、放送側が自主的に古森サイドにあわない放送を自粛するようになるかもしれない。

  
 
 もしそうなったなら、もう受信料を払うのをやめたいと思う。私はこれまで受信料はきっちり払っているが、しかしこういうダーティな権力者達に牛耳られるNHKならもう一銭も払いたいとは思わない。

  
 
 今後NHKがどうなっていくか。新会長と経営委員会の関係や放送内容に注目していきたい。いくら財政的によくなろうが、肝心の放送内容が駄目になるなら公共放送の意味がない。民放と変わらないNHK(視聴率優先)など、何の存在価値もないのだ。そういう意味で今後NHKがどこまで古森氏サイドからの放送(内容)への介入に対抗できるか。そこにNHKの今後はかかっているといえるだろう。

   

 
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by phtk7161 | 2008-01-30 19:08
 今日の日経平均は大幅反落。株価はここのところいくぶん持ち直してきているが、しかし当面株価の低迷は避けようがない。従前まで戻るには、ある程度長い期間がかかるだろう。

 ところで今回の株暴落の原因、それがサブプライムローンであることは間違いない。メディアや評論家などは、他にもいろいろ補充的な理由をつけるが、もしサブプライムがなかったらこういう状況になることはなかったはずだ。原油の価格にしても、結局はサブプライムに端を発して金が投機的に動いたに過ぎない。そういう意味では、サブプライムこそ今回の株価暴落の唯一の原因であると言っても過言ではない。

 株価が下がりつづけて以降、メディアや評論家は政府の株価対策まずさ(遅れ)を批判している。なかでも特に馬鹿げているのは次のような意見。「アメリカは迅速に今回の株式暴落の問題に対し経済政策を発表し、次々テコ入れを行っている。それに対して日本は・・・。アメリカのようにテキパキ株価対策ができないものか。これでは今ようやく定着しつつある国民の個人資産運用の流れに水を差す。こんな政府では駄目だ。・・・etc。」

 しかしちょっと待ってくれである。その前にまだ批判(自己批判を含めて)しておくべきこと(対象)が先にあるだろう。それをしないでおいて、政府を批判する資格は彼らにはない。

 投資における(個人)資産の運用にリスクは確かにつきものだ。しかしあまりにデタラメな環境下での資産運用はバクチである。バクチと投資は同じではない。バクチをあおり、それを一般の国民に勧めてはいけない。

 サブプライムローンは低所得者に2年間は低利で住宅ローンを貸し出しその後は10パーセントを越える高金利になるというデタラメなものだ。低所得者の収入が2年後10数パーセントの金利に耐えうる程度上昇しない限り、破綻は見えていた。収入が上昇しない場合、借り換えや住宅の売却でなんとか金利上昇によるリスクをしのごうとしても、結局貸し出し側は誰も貧乏くじなど引きたくないからそううまくはいかない。

 ようするにこの株価高騰をもたらしたサブプライムローンというものは、最初から話しにならない馬鹿げた企画だったわけだ。真面目に考えれば、最初から通るような話ではなかったのである。

 それなのにメディアの経済番組や経済アナリスト達は、このインチキに警告を発しなかった。それどころかむしろ煽っていたといえる。彼らにとって株価さえ上がれば、その中身はどうでもいいのである。 それは道端の石ころさえそうであって、価値の幻想さえ増幅させてくれるものならなんでもOKなのだ。なぜならそれは、彼らに大きな報酬をもたらしてくれるからである。


          ☆         ☆         ☆


 それにしても今回の問題を引き起こしたサブプライムローンという企画(こういっていいであろう)。それはこれまでバブルもたらしたどの原因よりも一層ひどい。過去日本では土地やITがそうだし、アメリカでも鉄道・ラジオ・ITなどが株価の投機的高騰をもたらしてきた。ただそれでも、その価値の幻想のもとは有機的物体だった。

 しかし今回の価値の幻想は金利変動ローンという企画それ自体である。有機的物の価値の場合客観的評価はあってないようなもので・・・もちろんある程度常識的な範囲というものはあるはずだが・・・高騰を招きやすい。これに対し今回の場合は中身・・・ローンの仕組み・・・を見れば、論理的にかなり無理な企画ということは明白である。2年後低所得者の収入が大幅に増える経済政策が取られていない限り通る話ではない。


 そのインチキ話を経済メディアやアナリストは誰も真面目に批判しなかった。彼らにとって・・・飯のタネである・・・株価にマイナスの影響を与えるような意見はタブーだからである。いつかは崩れるインチキ企画。それを容易に予想できるリスクを見逃しながら(しかも故意に)、一方では積極的に資産運用を国民に勧める。今回の問題では彼らの責任もまた大きいといえる。原因を作りだした責任という点では、彼らは決して他人ではない。

 あらゆるものが証券化される今の時代は、知らないうちに高リスクのものが自らの資産の運用の過程に容易に入り込んでいる。そういう時代にあっては、資産運用を支える有機的物体や無機的な計画(企画)そのいずれに対しても、その客観的価値(期待値も含めた)を厳しく見抜く力が必要なはずだ。それを見抜く力もなくあるいは見抜けてもそれを口にできない経済メディアやアナリストなど、唯のサクラにすぎない。


          ☆         ☆         ☆


 ことが起こってからの、対策のまずさを批判することももちろん重要だろう。しかし今回のことでもっと重要なことは、こういうインチキ企画を簡単に通してしまう現代の経済社会のありかたである。一般の国民に積極的な資産運用を求めるなら、バクチまがいの原因による投資のリスクは軽減しなければなならない。そのためにはインチキ企画を未然に投資の対象に入れないシステム作り、それが現代の経済メディアやアナリスト達に・・・さらにはこの手の経済に携わる役人や政治家にも・・・今もっとも求められていることなのだ。

 政府の株価対策のまずさを口々には厳しく批判する一方で、暴落を生みだした唯一の原因であるサブプライムローンの無謀さとそれを企画したアメリカに対し、こと今に至っても沈黙を通しつずける彼らの姿には、もはやあきれるほかない。どこのMBAをでようが、どういうりっぱな肩書きをもっていようが、インチキ企画のリスクをきちんと情報公開できない限り(事前に国民に知らせることができない限り)、彼らは詐欺師そのものだ。そういう点では、彼らに政府の株価対策について批判する資格などない。株価対策で動きの鈍い政府以上に、今回の問題での彼らの責任は大きいのである。
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by phtk7161 | 2008-01-28 18:01
 杉並区の和田中学の夜間授業の問題。どうも釈然としない。一番違和感を感じるのはなんといっても私的企業である学習塾(SAPIX)が有料(たとえ割引があったとしても)でこの企画にかかわるということだ。学習塾と学校とでは生徒に対する役割が違う。

 
 利益を生み出すことに主眼がおかれる学習塾は、利益の対価として学習的サービスを提供していく(それこそテスト的ノウハウを含め)。これに対し学校(公立の中小学校)は「集団的な社会学習(公的場での他人とのかかわり方)」あるいは「生徒全体の学習能力の底上げ(民主主義の成熟度を高める)」が主眼的役割となる。両者は本来めざす役割(のエリア)が異なるのである。和田中の場合関係者が学習塾と学校の本来的役割の違いをどの程度意識しているのか疑問に思える。


         ☆         ☆         ☆

 
 こういう企画まで通ってしまう背景には、今の風潮すなわち何でも民営化何でも競争原理の流れがあるといえる。「小さな政府」のかけ声の下、とにかく金をかけるなと福祉的なものをどんどん民営化していく風潮である。この風潮にのっかり、医療や教育までも民営化でいくべきそれが改革だと軽薄な世襲の小泉的議員は叫ぶ。

 
 連中にしてみれば、教育において進歩的なことをやってるつもりかもしれないが、もともと生活の困難さを実感できない環境で育ってきたものだから、たちが悪い。学習塾の費用どころか大学あるいは高校の行かせることさえ経済的に困難な家庭もあるのだ。学校にかかるお金の心配などなく当然に払ってもらえる環境で育ち(もちろん塾や家庭教師代なども)、親の政治家業を当たり前のようについで臆面もなく教育改革を叫ぶ連中のやることなど的外れもいいところである。

 
 学校特に義務教育における中学なかでも公立中の役割は、なんといっても学習環境の整備と学習の底上げが一番大事である。底上げではなく、それ以外のいわゆるできる生徒のための成績向上については、各個人に任せるか学校関係者による指導が本来の形であって学習塾と結託した形で学校(の施設を使って)がそれをやるべきではない。

 
 SAPIXもSAPIXである。公立学校に入り込んでその中で学習に関わっていくことは、学習塾が本来もつ、学校や学習指導要綱と関係なく私的分野のなかでの自由に学習サービスを提供するという学習の多様さにも反するものだ。多様さは私的な形態でこそできる。学習塾が学校の中に入り込んでいくとすれば、それは学習塾本来の利点である自由さ多様さを捨てるということである。和田中学のやり方がもし普遍化して、どこの公立校も一定レベル以上の生徒のために学習塾と結びついて学習指導を行わなければならないとすれば、それはもはや公立学校の私立化・予備校化といえよう。

 

 今度のことにもし私的学習塾が絡むとき、それが許される場合があるとすればそれはあくまで学習塾が純粋なボランティア(必要な教材費や交通費以外は無料にする形)として関わるときだけである。和田中の場合やはり一定の営利を目的としているといわざるを得ない(SAPIXの経営者自身今回のことが宣伝的目的も含んでいることを認めている)。それは公立学校の公的意味合いを阻害しているといえる。


        ☆         ☆          ☆


  和田中の校長は民間であるリクルートの出身の校長である。確かに公教育に関して民間校長による影響の利点も多々あろう。しかし今度のように公立の公私の区別をけとばし、競争原理こそ至上のものであるとして公立校を私立化・予備校化するようなことは、公立校の公的利点を捨て去るものといわざるを得ない。この点で明らかに彼は、公立校の主要な役割を誤解している。

 
 もし偏差値を高めるこそ教育における競争原理の生き残りのポイントであり公立校もそれに順じなければならないとすれば、もはや教育における公的制度の意義(集団との関わりや全体的学習の底上げ)等ないのと同じといえよう。全ての垣根を取り去って新しい企画を何でもかんでも導入すればいいというものではないのだ。公立校は民間企業とは違う。


  
 一定水準のものを差別なく提供するこれが「公」の役割であり、それを実現することが政治の使命でもある。有利(優秀)な人間はほっといても有利(優秀)である。別にそれをさらにサジェストする必要はない。特に福祉的分野(特に医療・教育)でこれを維持していくことは、本当の意味の先進国を日本が目指すなら当然のことといえよう。


 どうもこのところの日本は分野を問わず人を分化して特定の層のみ有利な政策が取られる風潮がある。小泉以降安倍政権までの政治は特定の有利な人間をさらに有利にするためにレッセフェール以上のことやってきた。そしてこれが「格差」の問題につながったともいえる。そういう点で今度の和田中学の夜間授業の騒動も、今の「何でも民営化」・「なんでも競争」の風潮の結果起きた問題といえよう。
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by phtk7161 | 2008-01-25 17:39
 改革派といわれる知事らが「せんたく」という運動体をたちあげた。地方分権をうたい国民をより実体の伴った民主主義へと啓蒙することを目指してのようだ。超党派の議員も加わることも当然視野にいれている。また地方分権の発展とそのための国政のありかたを模索し、政党がマニュフェストをかかげることも積極的に奨励している。

 小泉改革以降、日本は「改革」という言葉に翻弄されてきた。その中で主張されてきた財政再建、それは確かに必要なことだ。しかしだからといって国家の財政収支における数字的成果をあげることだけが、政治の全てでもない。

 権力(経済的利益につながるものも含め)の配分を如何にバランスよくやっていくか、あるいは国民の生活基盤を如何に安定して図っていくか、これらも政治の重要な役割である。

 早い話、いくら国家の財政収支がよかろうがそれで国民がばたばた倒れては意味がない。したがって改革といっても、その政策の変化で影響をうける人をフォローできる仕組みがともなっていなければ、そういう改革者は単なる「破壊者」にすぎない。

 多くの場合改革を進める者にとって、その改革による自らの生活への影響はまるでない。何らマイナス(実質的な)をうけることもなく安泰である。つまりかれらのやってることはこのような場合、単なる自己満足(自己陶酔意)的政策にすぎない。小泉改革における竹中的政策論は、彼らの改革によりマイナスを受ける者へのフォロー的視点を全く欠いていた(ほとんどど無視していた)。

 中高年のパソコンの訓練などお遊びもいいところだ。人がお金を得ることに値する技術といえるには、その程度のことでは何の役にも立たない。結局彼らのやってきたことは自らには痛みのない範囲での「自己満足」的政策にすぎなかった。

         ☆         ☆          ☆

 「せんたく」が掲げる「改革」がこのレベルのものであるかどうかそれは分からない。談合がいけないとしても、一方で建設業(公共事業)は地方においては基幹産業的意味合いも強い。談合をなくすとしても、それで建設業がばたばた倒れては経済の疲弊は目にみえている。

 もちろん必要もない箱物的公共事業を是正することは必要だ。しかし同時に改革に伴って大きな経済的損失を受ける者への生活基盤のフォローに目をつむることは、やはり無責任な「改革者」といえる。

 そういう意味では「せんたく」に名をつなれている知事(元知事含む)達も、まだまだ自己満足的改革の域を出ていないような気がする。具体的いえばゼネコン的産業に構築された(特に地方)産業構造を如何に他の分野に転換させていくか、その現実的政策が示されないようでは改革と叫んだところでただただ「空虚」なだけである。所詮は机上的議論でお茶をにごしているにすぎない。

 またマニュフェストもただ書けばいいというものではない。実質的に機能するためには政策の優先順を決めたうえで数点に絞りこむ必要がある。さらのいえばマニュフェスト自体、政治の持つ生き物的質的観点からはどのようにとらえるべきか、その視点も必要であろう(政治の硬直化の問題)。

 政治はある意味生きものであるから、学問書に書かれているような論理的タームだけでうまいくものではない。むしろ国民の日々の生活の満足度(充実度や安定度)こそ、政治の評価の尺度といえるだろう。

 本当に肉感的に肌で生活観を感じるとることのできる政治でなければ、例えメディア的にはうけようが何をやってもお遊びの政治である。「せんたく」もその点で言えば、まだまだ学問的政治のレベルにすぎない。テスト的な点数はよくても、さて実際に巧く機能するかまだまだ課題は多いといえる。

 政治における改革は、「変貌」と「安定」という二律相反的政策を融和して進めていくことができなければ改革でない。それをどうやれば実現できるのか。それが今の日本に求められている本当の「改革」である。
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by phtk7161 | 2008-01-22 01:09
 電子投票導入に、政府・与党さらにはあきれたことに民主党の一部までも熱心らしい。突如として現実化しそうなこの動きだが、もちろんその伏線はある。

 
 導入することになればそのための機器が当然必要となるから、またまた莫大なお金がからんでくる。アメリカが経済的利益を目的としてこの電子投票の導入を求め、国内でも政治広報センターの宮川隆義氏の名がとりだたされる。

 
 宮川氏とは新聞記者から政治評論家へと転身し、政治評論家のかたわら議員の選挙請負人としてコンサルタント業をやっている御仁である。その昔中尾元建設相と中曽根政治のありかたをめぐり、テレビの生放送で喧々がくがくの怒鳴りあいをしたことで有名となった。

 
 怒鳴りあい直後別の番組で御仁がのたまったせりふ。「あいつは有線(放送)に絡んでいるんだ(利権をもっているという意味)。」かくのごとし、この世界にどっぷり浸っているだけあって議員の裏事情にもお詳しい。
 
 
 高級寿司店が大好きな御仁でもある。一度テレビのライブ中継(ニュース番組のコーナー)でお勧めの高級寿司店で舌鼓を打つお姿をお見かけした。「政治評論家とはやりかた次第でかなり儲かる職業らしい」そう思ったものだ。

 
 こういう御仁が電子投票に絡む以上、導入の目的は導入に際しての「お金」がまず第一であることは間違いない。またまたあらたな利権にむらがる輩が登場する。秋山氏の絡んだ防衛利権が明るみに出た後で「またまたこれかい」という感じがしないでもない。

        ☆        ☆        ☆

 
 電子投票の導入についてはすでにブログに書いた(2007年7月17日付)とおり絶対に反対である。電子投票では票数に対しての真実性の担保の二次的手段(現行のやりかたなら、現実の記名票が残っている以上再度の票数の数えなおしができる)がない。

 
 議会制民主主義の根幹をなす選挙についてのシステムでは、有権者の意思を示す数字の正確な反映が何よりも求められる。開票のスピードアップはこれに優越するものではない。開票に半日かかる現行のありかたも、正確さの担保とあわせて考えれば、電子投票のシステムより民主政治の観点からははるかにまさっているといえる。

 
 それにしても民主党の一部が電子投票に賛成する理由のひとつ「ボタンの位置が上位にあるから物理的にみても押してもらいやすという」には、あいた口がふさがらない。賛成の動機がせこすぎる。

 
 また「システムがトラぶって無効票が多くなったらどうするのか。」という問いには「投票箱をなくしたのと同じに考えればいい」だと。まさに「アホか!」である。一度に多くの投票箱が紛失することはそうないが、電子投票の場合集計段階でのトラブルは、結果としてとてつもなく広い範囲の票数に影響与える性質を内包している。

 
 何より間違いを修正することの不可能さは現行の投票箱紛失レベルの比ではないのだ。あとで数え直しができないとなれば場合によっては故意で数字をかえてしまったり、意図的に機器の機能を無効にすることすらありうる。


 それは考えすぎだって?あなたは選挙時の人の心理をご存じない。選挙時の人(候補者や関係者あるいは支援者を含め)の心理状態は尋常じゃない。不正など平気でやるものだ。なぜなら彼らは、当選はそれくらいはちゃらにできる価値のあるものと信じているからだ。

 
 法的にも、電子投票では選挙の数的(票数の)正確的事項に対する、現行の不服申し立ての制度が機能的に低減することは避けられない。一度でた数字が「虚偽」の数字であっても、それで通してしまうのが電子投票の制度である。

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 便利さやスピードをうたい文句に、導入に絡むお金の問題あるいは数字の不正の危険にはみないふりをしてことをすすめる電子導入賛成派。私には賛成する議員の多くに、選挙に対する公正さへの意識の低さと導入に際しいっちょ甘い汁(利権的な)を吸おうとする動機が垣間見える。

 
 またメディアも速い開票を望むあまり、正確さへの危険について軽視しすぎている。電子投票に警鐘を鳴らすメディアは殆どいない。メディアの民主的監視能力もかなり限界にきているといっていいであろう。防衛汚職も従前に警鐘を鳴らすメディアはほとんどなかった。

 
 電子投票に問題についても、今や政府広報と化した今のメディア(全部ではないがテレビはほとんどすべて、新聞ではYやSあるいはAなどもそうだと思う)の姿がみえてくる。電子投票に最初に大きな警鐘をならすメディアはどこか。そこに私は注目している。電子投票への警鐘を示す記事は、そのメディアの信頼度を示すバロメーターともいえるだろう。
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by phtk7161 | 2008-01-18 19:04
   大連立騒動以降どうも小沢党首の行為には首をひねりたくなる。新特措法の採決欠席が特にそうだ。つい先日もまた議会を欠席した。

  確かに政党による議会政治は、多くの場合投票以前の段階ですでに政策への賛否がはっきりしており、その数も与野党で見通せている。したがってその投票の結果はかなりの高い確率で・・それこそ大きな造反(党とは反対の意思あるいは欠席)でもない限り・・・事前に分かっているといっていいだろう。

  しかしそうはいっても、やはり議論を尽くすことは重要だし、多数の意見の中に少数者の意見もそれなりに反映させていこうとするところに、議会制民主主義の良さはある。そして決着はどうあれ、政策に対する議員としての意思(票)を投じることも、やはり議会制民主主義を構成する議員の重要な役目といえる。

  もし小沢党首の欠席の本音が「オレ一人くらい」というところにあるのなら、もうこれは論外だ。もしそれが通るなら、極端に言えば数が全てであり議会による討論すら無意味なものになってしまう。それは選挙時の「どうせ○○は当選する(あるいはしない)からおれが一票いれたところで同じこと。棄権しよう。」という考えとも同じといえる。この考えが間接民主制(議会制の政治形態)のなかで如何に危険なことか、それは議員といえども同じはずである。

          ☆         ☆        ☆ 

  法治国家的観点から論を述べることの好きな小沢代表のことだから、今回の件がまさかこのような本音による行動とは思いたくもない。そしてもしこれが理由でなかった(どうせ的な)とするなら、どうして彼はこのような行動をとったのか。

  もし他に真意があるとするならそれはやはり大連立が支持されなかったことに対する、彼流の「腹いせ」的な行動ということであろうか。これだとまるで子供と同じ発想だが、そうとしか考えられない。それはいいかえれば、自らの考えを理解してくれない野党(民主党も含め)の議員に対する、サポタージュ的行動ともいえるのかもしれない。

  どうも小沢氏は政治とは「選挙」と「議会(あるいは委員会)外での政治行動」が中心だとする哲学があるようだ。確かに政治にはそういう面もあるだろう。しかしそれが全てではない。選挙の評価もまた、議会(例え形式的要素が強くても)での行動で決められることもある。決して安易なスローガンやパフォーマンスでのみ選挙の勝敗が決められるわけではない。その証拠に郵政造反組でも反対の意思表明(投票)を評価されて逆風の中当選した議員もいる。

  やはり小沢氏は「密談型」だけの政治家なのであろうか。空っぽパフォーマンス場借りの政治もしょうもないが、形式を軽視する政治もまたしょうもない。成熟した民主主義には、実質も形式もどちらも重要なことなのだ。それを小沢代表が理解しない限り、彼の考える政治では決して民主主義の成熟性望めないといえる。

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  この先彼がさらに大連立への未練への残り香的動きをみせるみせるようなら、参議院選で日本の民主主義の危機を救った小沢氏だが、代表を交代すべきと思う。彼の大連立の構想は参議院選で民主党を支持した有権者の意思とは反対方向をむいている。与党の「独裁(的手法による国民生活から乖離た政策の遂行)」がいやで野党の民主党を勝たしたのだ。何が悲しくてその野党が与党と新たな「独裁」を作り上げなければならないのか。

 生活に密着した問題は政策協定により十分バランスの取れた国会運営は可能である。「アメリカ追従オンリーに国連を法的要件にして何とか歯止めをかけたい」その気持ちは確かにわかるし、私も妥当だと思う。しかしそれでもである。たとえ理由がどうあれ大連立は結局は政治の「独裁」化に他ならない。それは議会制民主主義の最大の敵なのだ。それを小沢代表にはより肝に銘じて欲しいと思う。


 
  
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by phtk7161 | 2008-01-16 06:06
  あけましておめでとうございます。今年も当ブログよろしくおねがいします。

 今年最初の記事(テーマ)でいきなり去年の話を持ち出すのもどうかとも思うけれど、年末気付いたことを少し書いておきたい。クリスマスや暮れの動きを見て思うのは、やはり格差は本物になっているということだ。もちろんメディアもこのことは伝えてはいるが、それが真実かどうかは身近で感じないとなかなか見極めることができない。
 

 私の住んでいるところは都心でもごく平均的な場所(庶民的)で、生活基準もセレブといわれる層とはほとんど縁がない。六本木などの場所はかなりのにぎやかさだったようだが、私の周囲はかなり静かだった。

 
 もちろん商店街ではそれなりに喧騒はあったが、それでも相対的に見ると例年に比しておとなしかったと思う。これは平均所得層(以下)の人たちがもはや、夢みるクリスマスといえどもそう浮かれてばかりもいられない。生活を現実的に見て少しさめてきているようにも思える。欧米のクリスマスの風習がお祭りかしてしまった日本で、クリスマスをだいぶ客観的にとらえてきていることもあるかもしれないが、やはり経済的事情が大きく影響しているように思えてならない。

         ☆         ☆         ☆
  
 
 経済動向は数字的には総合ではそれなりの値をだしてきている日本だが、給与の上昇は一部の層に限られ、平均所得はむしろ下がる傾向にある。バクチ的経済のなかで、短期での限りない収益の上昇をCEOの能力の価値基準とらえる今の経済システムでは、よりコストをさげ(人件費はもちろんその主要なターゲットとなる)製品の質をあげるという、マジックもどきのことが経営能力として評価される。彼らにとって(経営者)は数字が全てであるから、人件費はかけたくない。結果正規雇用は減り、格差は広がり続けることになる。

 
 さらにこういう経営評価システムは、「偽」的ものにも拍車をかけることになる。去年立て続けに判明した「偽」の問題の多くは、ずっと以前からの続けられてきたケースも多かったが、無理なコストダウンを要求する現在の経済システムはこれに拍車をかけることにもなろう。もし質を下げずに廉価な価格(利潤の少ない)価格)でものを売るとするなら、収益は下降せざるをえない。

 

 半永久的な上昇をめざす馬鹿げたバクチ的経済システムをよいものとするのではなく、安定した息の長い形で信頼を培い「ぼちぼち」儲かればよい。その形のなかで製品の向上を競い、時により儲けるられるならなおさらけっこうだ。こういう考え方も経営者の能力評価のひとつの基準にしない限り、今後も「偽」の問題はついてまわるだろう。数字が全てではない。

        ☆          ☆           ☆



 特に住宅問題を私は今興味深く見守っている。これまでマイホーム(マンションも含め)を買われた人たちで、満足した買い物をしたと思っている人はかなり少ないはずだ。その原因にもちろん消費者の無理な要望も時にはあるだろうが、多くはやはり売り手(作り手)側に手抜きやコストのごまかしがある場合も多い。売り手の言うがままになっていると、ずいぶん高い買い物をさせられることになる。これがこれまでの住宅業界の常識であったといっていいだろう。

  

 しかし昨今例の「ヒューザー」などの強度不足の手抜き問題もあり、建築基準はかなり厳しくなっている。はたしてこれを遵守した形で、昨今の経済システムの中で利潤がきちんとだせるのか。遵守するならコストのダウンはなかなか困難(人件費はもうすでに限界であろう)ということになる。常識で考えれば今後住宅価格は高くなっておかしくない。あるいはそうならないとしても、少なくとも安くなることはないといえる。

 

 そうであるなら、経済格差の進んだ今の日本では住宅の需要は下降することになる。「さあどうする住宅業界」である。もしこの環境の中で、「偽」なくこの業界がうまくしのげたなら(例え利潤少ない低成長でも安定して)それこそ有能な経営者の証といえよう。そういう意味で私はこの業界の動きに今年注目したいと思うのである。
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by phtk7161 | 2008-01-01 18:21