社会問題を考える


by phtk7161
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<   2008年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧

このところ月曜に更新することが多いので、私のブログへのアクセスの数も月曜がもっとも多くなっている。それなのに昨日はついに更新しなかった。訪問していただいてた方に申し訳なく思う。おそらく大方の人は予想されていたと思うが、今回は中山成彬氏の暴言について書くつもりだった。

しかしいざ書き始めてみると、馬鹿さかげんが先に立ち果たして彼の言動が批評に値する意見なのか根本的に疑問が沸いてきた。書くだけ馬鹿馬鹿しく思え昨日はついに書く気にならなかった次第である。それでもこの騒動についてやはり放置するわけにもいかないような気がする。触れるのも馬鹿馬鹿しいけれど、とりあえず中山騒動について思うところを書いてみようと思う。

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彼の言動は人格的に破壊してしまっている。閣僚の責任的立場からすればありえない。TPOの区別のつかない人間は、政治うんぬんの前にまともな常識人ではない。その当たり前のことができていない。そういう人間がなんで政治家なんぞになろうと思ったのか。不思議だ。

そんな中山議員は今や時代に取り残され、広い世界を見渡せる能力も持ち合わせていない。狭い国家感で国粋的な意見でしか生きがいを見出せない可哀想な人物、それが中山成彬その人である。馬鹿げた放言もここまで来ると悲劇的だ。人格的な病理とすらいえると思う。受験勉強には長けていたとしても、人としての教養を身につけることが老齢になってもできずに過ごしてきた境遇。これを不遇といわずしてなんというのであろうか。

彼は公のために犠牲になる精神を強調している。しかしたとえば今回の大臣就任に際して、当初彼には行革担当大臣としての打診があった。しかし彼は「私ももと公務員。仲間の首をきるわけにはいかない」とその打診をことわっている。天下り問題の解決という「公の利益」より、個人の心情からくる仲間内での「利益」を優先したわけである。このどこに彼が公のための自己犠牲の精神があるというのか。いってることとやってることが、矛盾だらけである。

役人を辞めた後小林出身の彼は無所属で旧宮崎2区(現在宮崎3区)から立候補し、落選した。その後も当落の経緯のなかで候補者として選挙区を流浪くし(議員になる)為の候補者となって今や出身の区とはなれた1区が選挙区である。鹿児島ラサール→東大と→大蔵省キャリアとエリート路線を歩んできた彼にとって、議員になるまでの苦難は予定外だったと思う。「俺ほど能力のある人間がなぜ落選するのか」そういう思いのなかで、落選という現実が人格のゆがみを生んだことは想像に難くない。

面白いことに麻生氏もそうだが、当選できて当たり前と思ってる人物ほど思わぬ落選後は超タカ派となる。そうしないと保守系の有力者に気に入られないからだ。その時点で、自分という人格を捨てさってしまっているのである。ウルトラタカ派の萌芽はその時から芽生えだすのである。本来の地元を捨て他の選挙区からでてまでも議員でいたいその根性、そのどこに潔さがあるのか。議員でいたいがための利己的人間の象徴である。その彼が「公」を主張する。大笑いである。

日教組を破壊することが世のためだと中山いう。しかし私に言わせれば彼を支持する国粋街宣車団体をつぶす方がよりまともな世の中になる。迷惑な騒音をくり返し、掲示板でも馬鹿げたナチス張りの全体主義を書き込む集団は明らかに異常である。世の中の大半それこそ子供に至るまで、あの街宣車の騒音を嫌悪している人は多い。これまで賛助金の名目で企業にカネをたかり、闇の世界とも手を結んで脅し暴力などありとあらゆる反社会的行為を繰り返してきた集団。この連中こそ、戦後日本のダーティ分野でうごめき、大企業や公の金にたかってきた。

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中山議員のいう教育問題についていえば、今の教育の荒廃の原因は複合的である。教職員の問題だけでなく、父兄・メディア・文部行政・社会的風潮(特にバブル期の価値の変動)など様々である。さらにカルト中山のように「日教組が」という一元的な見方しかできないものが文部行政に強い影響を持っていた悲劇がそれに輪をかけている。それは教育も荒廃するはずである。

先に述べたように、教育荒廃の原因はいろいろだが、その大きな原因としてバブル期右翼を含めた闇の勢力が金にまみれ好き勝手に動いてきた事実も大きい。そういう連中の「金」に対する執着が社会に蔓延し日本の道徳感をより低下させた。今社会的に問題を起こす世代はその現象を目の当たりに見てきている。中山風の言い方で荒廃の原因をひとつに求めれば、そういうことこそ荒廃の一番の要因といえる。カネにまみれた銀行、それを支えた中山の出身の大蔵(現財務・金融庁)行政こそ、今の社会荒廃の原因をつくったとえる。

「金こそ全て」その思想を放置してきた、そういう大蔵関係の人物が「徳」を語る。問題の全てを日教組の責任にしてしまうその思考の劣化。そういう連中が議員としてさらには閣僚としてまで政治にたずさわってきたかと思うと情けない限りだ。でももはやそういう連中を内閣を構成する起用するしかなくなっているのが、今の自民党の現状ともいえる。とっくに政権党としては壊れている証である。そういう中山成彬その人の言動こそ今の自民党の等身大の姿であるといえよう。

          ☆            ☆            ☆

「自分は優秀な人間。その優秀な人間の企てた計画に従わない下々の者達。」それが麻生政権とそれを支える者たちの考えである。だからそれに素直に従わない、成田の農民・アイヌなどの人たち・日教組の人間は、彼らにとっていずれもうっとおしい存在なのだ。しかしカルト中山君考えても見たまえ、君たちの理想のその国の姿を。それはすなわち北朝鮮であり、ミヤンマーであり、ロシアであり、中国そして第二次世界大戦時のナチスヒトラーのドイツなのだ。

人間は常に正解(正しい)ばかり出せるとは限らない。また何が正解とさえ分からないこともある。だからいろんな考えがあって当たり前なのだ。しかし算数式のようになんでもこれが正解と思い込む役人出身の君にはそれが分からない。でも人間のつくる社会の本質とはそういうもの(多元的な価値観を認める社会)なのである。中山成彬よ。もうそれに気づいてもいいはずだ。中山成彬議員に対して私がいえるのはこのこれぐらいである。
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by phtk7161 | 2008-09-30 01:27
昨日民主党では小沢代表の三選が決まり、今日は自民党の新総裁が決まる。麻生新首相誕生というわけだ。私はもともと今度の内閣は選挙管理内閣と考えているから、大臣などの内閣人事に興味はない。

小派閥の総裁だし、派閥のバランスを重視し他候補も加えた内閣になることは想像がつく。小池氏は冷や飯をくわされるだろうが、所詮麻生色など出しようもない。やれることは文部省の改悪程度。国粋的な教育の促進というまことにもって陳腐この上ない政策くらいである。

総裁選で石原候補が「医療制度、年金、介護制度。この3つはどんなに財政が苦しくてもきちんと保障していかなければならない。新たな福祉国家制度を実現していかなければならないのです!」と昨日のテレビで叫んでいる姿が映っていた。

おやおやである。彼も小泉内閣で汗をかきその政策を支持していたはずだ。それが今になってこのせりふ。こっちとらこのブログでも福祉国家の重要性は常に指摘してきている。

小泉改革はその守るべき福祉政策のラインをぶっ壊し「痛みに耐えてください」といってきた政策だった。だから郵政選挙時、岡田代表の言いまわしの不器用さはともかく民主党は「中身の伴ったセーフティネット(福祉の維持を含む)の重要さ・・・竹中式いうだけハリボテではない」をとなえてきたわけである。

官僚と戦って行政の無駄は省かなければならない。その一方で生活に直結する福祉政策は維持していかなければならない。それを郵政選挙で民主党は主張していたのである。そういう意味では石原氏が今ようやく気づいていっていることは、実は民主党の郵政時から今に至るまでの基本政策と同じである。

そうであるなら中身の伴わない改革の過ちに気づいた以上はむしろ本来は自民党は一度下野して民主党に政権をまかせるべきなのだ。財政的に合理的なそれでいて中身のある福祉国家の実現、それは民主党の専売特許である。

いやいやまだ自民党もそれをやる気があり実現できるというのなら、補正予算成立後早く衆議院を解散してどちらにその力があるか国民に選択してもらうしかない。そういう点で言えばやはり麻生内閣は補正予算の成立させることを除けば、その実態は前述したとおり選挙管理内閣にすぎないのである。

もっともあいかわらず改革の継承を唱え続けていた小泉マニアが一人いた。もちろん小池議員だ。そのフレーズは小泉父さんの「自民党をぶっ壊す!」から「霞ヶ関をぶっ壊す!」にかわっていたが、まあ小泉縮小コピーのようなモンである。ここにいたってもこう言い続けるこの根性「見上げたもの」というべきか「アホか」というべきか。

彼女の好きな「小さな政府」のアメリカでさえ今「大きな政府」的なもの(政策)をAIGでやってもうた。「ぶっ壊す(かえる)だけじゃダメなのだ。人の尊厳を守るために維持すべきものは維持しなければ(ただアメリカの今回の対策は個人の尊厳に根ざしたものとはいえない。)」そういうことなのだ。

もっとも前回郵政選挙の大勝の構図から言えば、本来真近の衆議院選では国際競争をにらんだ改革継続(当然著しい格差肯定)VS生活重視の福祉国家(共生)で戦うべきが筋なのである。そういう点で言えば、改革の小池氏が本来なら与党の首相には適任なのだ。

でも結果は麻生氏。しかも彼がおそらく選挙で述べるであろう政策は、財政改革(債権)は端っこにちょこちょこにじませるだけの積極財政型。まあ民主党の二番煎じである。いやはやカメレオン自民党というべきか。まあなにはともあれ「補正予算成立後は一刻も早い解散総選挙を」これだけは今の時点でも明確に分かっている正解といえよう。
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by phtk7161 | 2008-09-22 07:43
これから書くテーマで今日3本目の記事になります。しばらく書かないまま、けっこう期間がたってしまったので、その分たまにはこんな日もあります。気が向いた方はよろしければ手前の2つも目を通してみてください。

          ☆           ☆          ☆

テレビを見ていたら、「(自民党総裁選のためということなのであろう)影の薄い民主で・・・」というタイトルで小沢党首が刺客になるかもというニュースを伝えていた。

自民党総裁戦による政治空白に辟易している人も多いし、総裁選が盛り上がっているとも思えない。それは集会での人の集まりの数にも現れている。客観的に見てどうみても盛り上がっていない。だから別にこのところ、特に民主の影が薄くなっているとも思えない。でもこのタイトル(ニュースでの)である。

もっともこのニュースは、あの大連立で、メディアの掟をやぶってオーナのNTさんとともに画策的な政治行動を行なったあの放送局で流れたもの。「なるほどそういうことかい」という気もしてくる。

メディアが、「メディア自ら多く取り上げたこと=世の中で盛り上がっていること」ということではないはずである。選挙についていえば、国民がそのことにかなり興味を持っているかどうかそれは、結局投票行動(投票率もそのめやすとなる)を見てみるまで分からない。でもメディアの一部には、自分達が宣伝的に多く取り上げればそれは盛り上がっているということであり、国民もそうなる(思う)はずだと思っているところもある。でもそれはメディアの思い上がりである。

政治面に関してもはやテレビは、国民から完全に捨てさられようとしている。活字離れがもっと進めば、今のままではいずれは新聞もそうなるだろう。それはそうだろう。「真実」の解明と「権力」に対するチェックを忘れたメディア、に何の存在意義があるのか。

メディアの浮沈の鍵はその存在意義をつらぬけるかどうかそこにある。今の情報化社会にあって、本当はメディア本来の働きはこれからますます重要なのだ。場合によっては、あの巨大な怪物「グーグル」とも市民のために戦ってもらわなければならない。

それが自民党ごときの総裁選でゴマすってようでは、あの怪物と戦えるものか。今でもそういう戦いをやっているメディアは存在している。そういうところが本当のメディアなのだ。今度の自民党の総裁選とそれに続く選挙報道で各社の今後のメディアとしての価値は分かることになる。

メディアといえるメディアかそれともただハリボテにすぎない政府広報の局や紙か。そういった意味では、今のメディア報道にこれまで以上に注目すべきである。それは彼ら自身の中身をみきをわめるまたとないいい機会となるからだ。こんなチャンスはめったにない。

どうみても日本の今後の政治進展は、政権交代とその後の政策的な政界再編をおいて他にない。自民党では、誰が首相になってももはや浮上できないことは国民にも分かっているはずだ。これほど明確な解答がすでに出ている状況は、めったにないのだ。そのわかり安い解答に対して、各メディアどういう行動をするのか。みなさん注目していきましょう!どこがゴマするのか、どこがきつく突っ込むのかけっこう面白いですよ。
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by phtk7161 | 2008-09-16 06:59
私にとって小沢氏がどこからでようが、それはさほどのニュースではない。選挙への意気込みは感じるが、それと選択に値する政治家であることは関係ない。「政策」と「そのために地道に汗をかける」人、政治家としてはそれがなによりも重要である。そうでなければ、小泉郵政選挙が選挙のあるべき選挙の形になってしまう。確かに話題性だけは十分の選挙だった。でもその後の結果がその過ちを示している。

だから小沢氏には、「話題性」に必要以上とらわれず「政権交代の唯一のチャンス」であること「政権交代すればこうなること」を積極的にアピールして正攻法でやってほしい。あまり策を弄すると「策士、策におぼれる」ことにもなりかねない。盛岡からでないのなら出ないんでいいが、あまりに不必要にこの話題性を使うと政治的には「不真面目」な印象をあたえてしまうだろう。もったいぶらず、公明党と駆け引きなどせずとっとと決めることだ。勝敗は真面目な無党派層をどうとりこむかにあるのだから。

参議院選で愚鈍な「格差」を主体にした戦いで勝利したのは、別に話題性があったからではない。真面目に生活に密着した政策を期待した国民が、郵政選挙のときより増えたからである。人気投票で入れた人より、現実を考えた人が多かったから勝てたのである。

多くの国民の生活のレベルは、そのときよりもっと苦しくなっている。こういう状況のなかで、人気投票・話題性だけで投票行動をする国民などそう多くはいない。そういう状況なのである。多くの国民の日々の生活は。話題性など喜ぶのは、野次馬的根性にまみれたメディアぐらいである。

参院選と同じように地道に真面目に戦う、その姿勢で十分である。それで勝てる。それで負けたのなら、小沢さんよ日本国民が「そういう有権者」なのだからしかたない。そのまま日本が落ちていくのは、政治のせいではなく国民自身の責任である。党としてはそれで今の責任を果たしたといえる。参議院選の「初心に帰れ」。今はそれだけである。
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by phtk7161 | 2008-09-16 06:56
多数決とい方法が民主主義の基本的な形であることは否定できない。しかしあのヒットラーのファシズム政治もその方法で誕生したこともまた事実である。だから多数決も絶対ではなく、どうして守らなければならない自然法的な権利については、純理的に物事を決する司法制度が機能することになる。

「一人の人間の生命がその意思に反して犠牲になっても、それで多くの人間の経済・生命の利益にかなうのであればそれは正しい」とすることは、多数決を持ってしても決してできない。もしそれが肯定されてしまえば、ヒトラーのドイツ法治主義も正当なもので、人種あるいは障害者と健常者を差別し、多くの人間を抹殺したあの恐るべきシステムさえ許容されることになってしまう。

もちろんまともな思考の人間であれば、こういうシステムを許容するものなどいるはずがない。「法」がどうたらこうたら言う前に、人としてナチスのような出来事を二度と起こしてはいけないことは「人間」であるなら当然分かっているはずだからだ。

ところがやっかいなことに、人間は度を越えた(何らかの)コンプレックスや権力への強い執着心を異常なほど持ち出すとそうでなくなってしまう。ヒトラーやスターリンなどその典型である。そしてその恐怖政治に「考える」心を捨て去った、ドイツやソビエト国民も同じであったといえよう。

ばかげた話だが、学校で使われる補助教材のなかに「一人の人間の命が・・・・多くの人間の利益にかなうなら・・命を投げ出してもよい場合がある」という内容のものがあるという。

こういう教材作成した人間ほど、決して他人のために自らの命を犠牲にする「その一人」には決してならない。彼らにとってその一人は自分(それと自分と同じ考えのを持つ人間)以外の人達を指しているのである。

これまで、国家を声高に叫ぶ人間の「根性なし」「へタレ」の姿を幾度となくみてきた。主体となって騒動をおこし、しかしいざその騒動の責任を問われると「オレはそんなことしなかったよな」と否定するその「へタレ度」。いまごろは若旦那として商売をやっていることだろう。安倍もありえないタイミング途中で総理をやめた。

「国家」を叫ぶ奴など所詮そんなもんなのである。決して国家のために命を捨てる根性などあるわけがない。あればとっくに自衛隊に入り、あるいは私財の多くをなげうって国家の防衛のために使ってと寄付しているはずだ。でもそんな話聞いたことがない。

「一人=個々の国民、多くの人間=国家」を意味することは一目瞭然。いい加減馬鹿げた選民思想はやめるべきだ。安倍の支持する麻生も総理になればこういう仲間とつるむつもりだろうか。

彼らのいう国家とは、キャリア的エリートと政治家2世3世の世襲バカボンしか意味しない。彼らの理想とする国家は、まるで、北朝鮮そのものだ。北朝鮮を非難するくせに、その矛盾に気づいていない。

彼らは北朝鮮を非難する前に、あの国の指導者のもつ非人間て的な選民思考同じ思想におさらばしなければならない。それが人としてのスタートである。中国のチベットやオリンピックに起因する人権問題もまさにその点にあるのである。

それに気づくことのない人間は、ナチス下のドイツ国民と同じである。そういう意味では安倍や平沼や三浦(朱門)など人間的に本当にかわいそうな人達であり、彼らに比べれば、「一人の人の生命は地球より重い」といった福田赳夫のほうが、人間的にははるかにましなのである。
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by phtk7161 | 2008-09-16 05:32
産地偽装、消費期限の偽装、手抜き工事、試験における口きき、コネ採用、明らかにおかしなことなのに、これまで「それが業界の常識」「世の中ってものは・・・」てことで見逃されてきた馬鹿げた常識が如何に多かったことか。でもだんだんそれを、文字通り間違っていることといえる時代になりつつある。

大分県教育委員会に端を発した教職員採用汚職事件。この件で去年不正合格者したものが解雇されることとなった。処分を下した側は、解雇は不正を行なったことの当然の帰結と考えたのであろう。でももしそうなら、こうもいえる。大分の去年採用の(不正のあった)教職員だけを解雇すること、それもまた公正なことではないと。

すでにブログで述べたが、教職員のみならず自治体の職員(都府県庁、市町村の役所の職員)など公的職員採用についての不正はまだ他にも明らかに存在している。だから不正があればこれらの職に関しても、本来は調査し解雇された彼らのように同じ処分をやるべきなのだ。そうでないと、今回の彼らは結局人身御供にすぎない。これは公平なあり方ではない。

公的職務の採用について、その「公正さ」に関する問題の根は深い。それは以下の出来事からも見て取れる。文部省が地方の教育委員会に試験のあり方に関して点検を求めたという。その中で試験の公表を渋る県が2つあった。山梨と宮崎である。宮崎のほうは公表検討中ということだが、あきれたの山梨県。この期に及んで、(公表すると)試験対策に使われるという例のごとくのわけの分からない屁理屈で公表しないと明言している。

教職員の採用、昇進の不正に関して明かしたメールが文部省に28件とどいたそうだが、その中に山梨県についてのメールもちろんあった。試験を「公正」に行なうための方策を、この期に及んでも拒否するその神経私には理解できない。

でもそれくらい、山梨の口利き政治家や有力者はやっかいな連中だということだろう。こうなると不正の判断を下す側(採用側)より、口利きをする連中を徹底的に叩いたほうが是正の早道のような気もしてくる。それこそメディアの出番である。だいたい公的職員の採用の口ききなど政治家の仕事ではない。政治家の第一義的な仕事は「立法」行為とそのための調査行為である

公的職員の採用試験のあり方については、文部省だけではなく自治省も各自治体での試験の「公正・中立」について、調査に積極的にのりだしていいはずである。もう時代は、不公正をそのまま放置できる時代ではないのだ。それに気づかないなら、自治省の役人など存在しても意味はない。過去を処分すると混乱するというなら、せめて今年以降の採用試験について「公正」をめざしていはずである。しかしそういう話は聞かない。今回の出来事についても、自治省は他人事のようである。

もう馬鹿親とその馬鹿息子・娘のために公的職を世話する時代ではない。当たり前におかしいことはおかしいという時代になったのだ。たとえば、それは政治家も同じ。2世3世がダメだとは言わないが、やはりあまりにも多くなりすぎた。もうそろそろこれを機会にそれぞれの世襲政治家の質についても見直すときなのではないか。それもまた広い意味で、今回の事件の教訓とすべきと思う。
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by phtk7161 | 2008-09-10 08:07
総裁選効果で自民党の支持率があがったそうな。共同通信が間違いをやるとは思えないから、この結果は正しいのだろう。で私の感想はといえば「あいかわらずの日本国民」の一言である。

人は誰でも間違いをやってしまう。そこで大事なことは、その経験を生かし次に同じ間違いをしないことである。それでこそ、歴史的な経験則も生きてくる。

前回の衆院選で、政策の本質的意味も知らず国民は与党を大勝させた。今その国民がブウブウ文句をいっていることの多くはそのことの必然的な結論である。小泉のとる「上げ潮」派思考による民間主導の経済政策は、経済的な優越関係を一層鮮明にするだけであり決して本当の意味の底上げではない。

それは今の社会状況を見ても分かる。まわりで経済的に明るい兆しがみえているところなど殆どない。大方は、将来に対しある種の「不安」を抱えている。だから政策的な面を国民が少しでも学習していれば、また与党支持などという結論など出てくるはずがない。

これでまた与党の支持があがるとすれば、今後世の中の生活の質がどう落ちていこうがそれは決して「政治」責任ではない。自民や公明が悪いのではなく、まして民主・社民・共産・国民の野党が悪いわけでもない。ひとえに学習しない愚かな「国民(有権者)」の責任である。「もう浮上するには政権交代を置いてほかにない。」。それでうまくいかなければ、担保として政策的基軸による政界再編。その提示で十分なのだ。

今後に及んでまた小泉のときのように、「勇ましくはっきりものをいう」「面白い」「痛みに耐えて日本を救う」というような概念的政治お遊びごっこを、有権者が麻生で繰り返すならそれはもう政治の責任ではない。主権者としての地位を真剣に行使しない、国民自身の責任である。

だから民主党も一々支持率の結果にオタオタしないことだ、。政権交代のメリットとを示し、基本政策を提示していけばいい。所詮政策的に矛盾を抱えている与党に合って、今麻生の提示する政策などその場しのぎのハリボテである。どうということはない。

民主が一番やっていけないのは、愚かな国民振り回されて基本の軸がぶれることである。その場しのぎで面白半分に政治を考える国民の存在など気に留めてはいけない。仮にそれで支持を得たとしても、それでは国民にとって決して本当の意味のよい政治ではない。提示するものを提示し、あとはどっしりと構えておけばいい。「私たちに任せてくれればこうします」「さあ国民(有権者)のみなさんはどうしますか」それで野党として十分なことなのだ。

国民がいつでも懸命な選択をするとは限らない。それに気づくのもまた国民自身の責任である。今度の衆議院選挙は「国民の」「国民による」「国民のための」選挙である。それでができない以上、政治がどうなろうともその結果は国民自身の責任にほかならない。
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by phtk7161 | 2008-09-07 23:31
福田首相が辞任した。以前「サミットを終えた以上、彼は首相の地位にもう恋々とはしないだろう」と書いたが、それがマイナスにでて早々の政権放棄となったようだ。それにしても内閣改造から一月程度、臨時国会を前にしての辞任であるから、さすがに「え、ここで?」という感じはする。

辞任の理由はいろいろあるだろうが、一番の理由はやはり麻生氏を含む公明(創価学会)との関係だろうと思う。今の現状では今度の臨時国会で急に野党が豹変して与党に協力することはまずない。それは首相も分かっていたはずである。敵が敵であることはそうこたえることではない。しかし本来味方であるはずの公明から、非協力の弾が飛んでくるのはさすがに嫌になったのではないか。

臨時国会で、首相はテロ特措法についての再可決への手順をなんとしても確保したかったはずだ。ところが臨時国会での早期の召集を公明は拒否した。その後麻生幹事長と公明は日程を詰めたが、それでもいまだに再可決の可能性については不透明なままだ。アメリカも圧力をかけてくる。

賭けで据えてみた麻生幹事長も、首相のために汗をかくのではなく自らの存在感を示すために公明とタッグを組んで自らのために動くだけ。首相である自分の意向はとりいれない。唯一の武器であるはずの首相の専権事項「解散権の行使」も負けが分かっている以上やりたくない。なら「もういいや」。首相の心情を言えばそんなところだろう。

それにしても、麻生幹事長といい公明の太田代表といい、なんと福田首相を軽く見ているコメントか。麻生「(後継について)自分も適任かなと思う・・自分で言うか!」大田「首相は○○といっていた・・・ここは「仰(おっしゃ)っていた」というべきだろう敬語もまともに使えんのか!」。両者の小門がしれる。外の敵より身内の敵というものは、一番厄介なものだ。

           ☆            ☆            ☆

さて今後の政局は。与党は総裁選をはでにやり、メディアもそれにのっかかる。麻生はまともな若者などそういないアキバでおおはしゃぎ。でもメディア(特にワイドショーだろうな)は若者に人気の麻生という演出でさぞかし援護射撃をすることだろう。

深刻なワーキングプアーの若者事情などどこへやら、漫画とコスプレに熱中する若者が彼の政治の中心か。アホか。それだけでも腹が立ってくる。少なくとも福田首相にはそういう不真面目さがなかっただけましだと思う。その麻生がなったら、挨拶がてら早期に中韓訪問するだろうが、でもまたそのうち近隣諸国と不必要に摩擦をおこすのだろう。馬鹿げた表現つきで。なんせ人格の不遜さは天才てきなまでにお墨付き。ああまた政治の品格が十段下がる。

そして出ました小池ゆり子。「アメリカのためなら日本はなんでもします。自衛隊もどんどん派遣します。日本はアメリカの植民地です。経済政策は、国際化の標準アメリカ様で当たり前。人は能力で生きている。ない奴は一生時給800円で十分。それのどこか間違ってるの。私わかんな~い。」彼女も総裁戦に出る可能性があるようだ。ま、お好きなように。

いずれにしても、新首相と組閣その過程で派手なデモンストレーションを打ち上げたあと、解散総選挙。これは間違いない。そこで国民がやすもんの与党の芝居にひっかかるようなら、もう日本の未来はない。どうみても今の現状を打破するには、政権交代とその後の政策の質の違いによる政界再編それしかないのだ。だからこうなった以上とにかく解散・総選挙。それだけである。今の日本に総裁選の芝居のために多大な時間を割く暇などない。メディアもその観点から、今度の総裁選の動きを伝えることが重要だと思う。
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by phtk7161 | 2008-09-02 08:01
民主党離党者らによる改革クラブの一件。結局姫井氏は離党せず、改革クラブは政党交付金の要件をみたさない、お気の毒な「新党」となってしまった。この件をめぐってもうあきれかえるしかないのが、また毎度の野次馬的メディア報道。メディアのいずれもが保守・リベラル問わずばかげた伝え方をしている。

基本的に今回の離党者の面々については、もうとっくに民主党の支持者は「匙をなげている」。仮に姫井氏が移っていたとしてその後彼らの作った新党に加わるものは、まずないといっていい。新党に加わっている荒井氏などにしても、参議院の野党の大勝をうけて動きがとれず、いまや政界では彼らは居場所を失った存在である。

単独に近い形の政治家である田中康夫氏や鈴木宗男氏などは、その独自性で数の力とはまた別に独特の存在感があるが、改革クラブの彼らにはその能力もない。総選挙後ならともかく、今の時点で彼らの新党について騒ぐ政治的「価値」などまるでないのだ。

すでに述べたことだが、もう与党がどうあがこうとも野党新政権の流れはできているのである。仮に麻生氏や野田氏のどちらかを新トップに据え戦ったところで、多くの国民が今抱えている生活の困窮・将来への不安は消えることはない。「どうせ自民党政権では誰がトップになったって大して変わらない。なら一度違う形の政権に任せてみるか」。この流れはもうとめられないといっていい。

「どうしてそこまでいい切れるのか」そういう反論もあろう。「選挙は水もの。どうなるか分からないではないか」と。しかし今度の総選挙についてはそういいきれるのだ。

その根拠は簡単なことである。今の日本の現状はもはや最低のラインにあるからである。そして同じパターン・・・自民中心の政権・・・が続く限り、その下降線は幾分下降の度合いが緩やかになることはあっても下がり続けるであろうことは、もはや国民は肌で感じ取っている。

かっこよく「痛みに耐えて」みたが、どうもそれは一部のアメリカ的経営者と人買いの人材派遣に大金をもたらすためであって、こちらのためではない。「国が生き残りるためだ!」と叫んではいるが、それは結局、福祉国家の理念を捨て人も捨てる、そういうことらしい。多くの国民(市民)がもうそれに気づいている。そういう国民が、「いつでも自民・公明、何があっても自民・公明」支持者より楽勝に過半数以上いるであろう現在では、どうみても与党には勝ち目はない。

それが分かっているはずの新聞メディアまでが、今回の改革クラブの件をうれしそうに騒ぐのは、彼らに遊び的政治騒動大好きの癖がぬけてないからだ。それは日々の情報媒介の役割とはまた別の、メディアに内包している困った彼らの体質である。いつ何時でも、メディアはこういう騒動を好む。そしてそこには国民(市民)は不在なのだ。

この手の騒動を、国民(市民)に伝える価値ある騒動として騒ぎ立てるのは、総選挙後の政界再編のときであろう。民主党中心の政権ができたあと、そう時をかけず必ず新しい形で政党はできる。自民党も下野すれば分かれるしかないであろうし、政権が維持できる間はともかく行き詰れば民主党もそうならざるをえない。

その場合新たに政権をとるのは、国家像を自由主義を前提とした福祉国家理念におき、そのうえで財政画的にコストパフォーマンス・・・余計な無駄を省く・・・をはかりながら、福祉効果をよりうまく効率的に発揮できるような社会システムを提供できる政権である。難しいことではあるが、しかしそれができなければ「政治(家)」などやっていてもしょうがないであろう。それができる人物を掃発掘し国民(市民)に伝えること、それはもちろんメディアの役割である。

だから今回のような、お騒がせ・こわもて人間の集まりできた新党など、メディアは大げさに伝える必要もないのである。メディアは、そんな暇があったら先に上げたような国民(市民)にとって高い政治能力(優れた政策の提示)をもつ政治家を、今のうちに見極めておくことである。

あと姫井氏新党離脱の件についていえば、これは彼女自身のために、ましな選択であったと私は思う。私個人でいえば、彼女の離党はあってもかまわなかった。

しかし彼女のためにいえば、新党に加わったところで、彼女は他の議員に先輩面をされ利用されるだけだっただろう。彼女は単に政党交付金の要件を満たす数的存在としての意味しかない。そこでも彼女は相手にされず、他の4人だけで話し合ってことがどんどん決められたはずだ。結局新党行っても彼女には居場所などなかったとえいる。そして弱小政党所属となれば、彼女は民主党にいるときよりも、いろいろな面でますます苦しい状況に置い込まれることになったであろう。

そういう意味では今回のぎりぎりでの決断は、彼女自身にとって懸命な選択であったといえる。今後は彼女なりに地道に活動を続け、何らかの政策スペシャリストになって弱者の立場つ動きをすることである。それしか今の彼女には議員を続ける道はない。

民主党も、彼女に何らかの居場所をつくってあげることだ。現実論から言えばどんなに腹がたとうが・・・その気持ちは分かるけれど・・・彼女を切れば補選が待っている。次の補選で、平沼がどうしたことろで・・・民主党についたところで・・・「片山虎之助」に勝てる可能性はほとんどない。岡山県民は、補選である種の同情票を片山氏にいれるであろう。そうなれば、みすみす「一議席」を与党にくれてやるようなものだ。そこまで考えれば、彼女に民主党での居場所を作ってやるほうが、今の民主党にとってもプラスといえる。そういう現実的選択をすることもまた、政権獲得への地道な一歩といえるのである。
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by phtk7161 | 2008-09-01 08:29