社会問題を考える


by phtk7161
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

<   2008年 11月 ( 7 )   > この月の画像一覧

厚生省元次官と家族に対する殺傷事件の容疑者として、小泉毅という人物が出頭し逮捕された。彼が実行犯であることに私も異論はない。ただ、これまでのメディアから伝えられている情報・・・その大半は警察発表に依拠しているが・・・だけでは不可解な部分があることも否定できない。

犯行の動機が幼少の頃のペットに関してのことという点もそうだし、彼のここ数年の収入源(生活費のもと)についてもそうである。前者は内心的な事柄であるからその性格の特異性からくるものだとしても、後者は物質的な事柄であるから、犯行の解明にとって客観的な裏づけは重要になると思う。

私は別に推理ごっこをしたいわけではない。彼が精神的に病んで(あるいはもともとそういう素養があって)、それに経済的困窮が加わって社会に強い憎悪抱き犯行に及んだというのが真実なら、それならそれでいい。

ただコンピューター会社に勤務していた経歴から見て、ネット世界とのなんらかの関係があった可能性も一概には否定はできない。闇サイトでの偏狭的な正義ごっこ(もちろんそれは正義などではないそれどころか悪である)を標榜するサークル活動の実体や闇社会・・・ネットを通じてあるいは直接的な依頼という形で・・・とのつながりはあったのかなかったか。その点の解明は今後の事件の予防にとっても必要だろうと思う。

巷間伝えられている情報によれば、おそらくこういう実体はないということになるのだろう。たとえば収入源も、それに沿った形で徐々に明らかにされている。借金(数百万)やネット株・たかり(もっともこれらはたいした金額ではないないようだが)が、生活費のもととされている。

しかし本当に200万~300万で2年~3年くらしていたのか。家賃が6万円ちょっと、それに×24で150万円ほど光熱費もくわえれば、それ以外の食費などの生活費は2年で100万ちょっということになる。それでもちろん生活できなくはないかもしれないが、そうだと言い切るには疑問も残り全く別の収入源の存在もまだ完全には否定できない。たとえば、表に出せない何らかの金(闇的な借金や違法な行為の対価としての報酬)得ていた可能性もありうる。

そういう点で彼のここ2~3年の収入源やネット(携帯・パソコンなど)の行使の内容を客観的に明らかにすることが、今度事件の解明には最も重要である。怪しい形での収入の存在の有無が、この事件の真相の深さ(彼をはさんでの背後関係)の有無にも関係すると私は思っている。

もちろんこういう見方に対しては、「考えすぎ」「テレビドラマの見すぎ」「滑稽だ」といわれる人がも多々おられるであろう。そしてそれが、現在の常識的な方でもあることも十分承知している。

ただ過去において「豊田商事長野会長刺殺事件」や「石井鉱喜衆議院議員刺殺事件」も経済的に追い詰められた人物による事件だった。そしてその背後関係は現在も曖昧にされたままである。

豊田商事事件などは、その後真相を解明しようとした人物に対してかなり強い脅しがあったとも聞く。また「オウム真理教の村井刺殺事件」も、解明されていない部分も多いままだ。豊田商事の実行犯は「義憤にかられ」といっていたが、とても額面どおりにはとても受け取れなかった。そしてこの事件を境に豊田商事詐欺事件の解明は困難となってしまった。

そういう意味では今回の「ペットを昔・・」も同じようなものである。「ペットを昔・・」を父親への手紙の形でわざわざ示していることも、ある意味では動機についてのずいぶんな念押しである。それは、見方を変えれば今回の事件の真相から遠ざけるための行為にもみえてくる。

経済的に追い詰められた人物ほど利用しやすいものはない。借金に関して生命に係わる脅がなされ、借金がチャラになるならなんでもしてしまう人物はいる。そういう場合本人がその背後関係について認識があろうがなかろうが(ない場合には知らぬまま誘導された形となるのだろう)、場合よってはシナリオをねる人物(組織)の意のままに動かされていることもありうるのだ。

もちろんネットへの関わりや収入源が解明され、その内容が彼の単独犯行(企画も含めた)を示す説得力を客観的にもつなら、今回の事件は経済的に追い詰められて自暴自棄になった者の犯行といっていいだろう。そういう結論ももちろんありうる。

そのためにも・・・事件を客観視していくためにも・・・被疑者のネットへの関わりとその収入の源を明らかにしていくことは不可欠なことといえる。この点をあいまいにしたままなら、どういう決着であれ事件は解明なされないままの幕引きといえる。

その意味では、ここのところの報道はあるひとつの結論といえる形へずいぶん急ぎすぎているようにもみえる。できればメディア(記者)には、ネットへの関わりと収入の源について足を労しての単なる警察発表とは別に・・・結果的に結論が同じでももちろんそれはそれでかまわない・・・独自の解明をしてもらいたいと思う。
[PR]
by phtk7161 | 2008-11-28 02:09
歴代の厚生事務次官を狙ったテロと思われる事件が起きた。犯人には怒りを禁じえない。犯人像は明確ではないが、抽象的なら想像はつく。日常の生活では社会にまともに相手にされないコンプレックス人間か、あるいは年金で何らかのマイナスを受けた人物のような気がする。

ただ、私は前者の可能性が高いと思う。拉致問題を批判してテロを起こした建国義勇軍や、四国での中国との友好施設を狙った連中のようなタイプだろう。自ら勝手につくりあげた正義・・・もちろん正義などではない悪である・・・にとらわれ、やっていいこととそうでないことの分別のつかなくなった恥ずべき連中である。

この連中は自らの存在ディーテルを確認する行為したいがために、それを正当化できる・・・もちろんそれは正当ではない、ただそう勝手に思い込みたいだけである・・・理由を欲しがっているだけである。

たとえば拉致の問題や厚生省の不祥事などその理由のいい例である。こういう連中は、実際にはこれらの問題をこれっぽちも公共の利益とからめて真面目には考えていない。本質は、馬鹿なヤンキーが自ら暴れるための理由を欲しがっているのと同じである。ようは、真っ当に考える脳みそがないから、こうした馬鹿げた行為をしているだけなのだ。

以前から思っていたが、これに関して述べておきたいことがある。ヤフーサイトの個別のニュースにつく掲示板はもうやめるべきだ。2ちゃんねるのミニチュア版のように思える。アクセス数を上げたいがためにやっているのだろうが、あの書き込みには時に怒りを禁じえない。今回の事件も、夜帰宅してこの事件を知り、ついでに記事を確認したら(夜12時過ぎ)掲示板にはもうそれを正当化するような書き込みがされていた(朝7時すぎに確認したら消されていたけれど)。

ヤフーは、企業として社会的に高い認知度をほこる。ある種の公共的責任も担っているといっていい。そこが(書き込のできる)ニュースを選別したうえで、国粋的あるいは短絡思考的な攻撃性の強い書き込みができる場所を提供する。これはいったいどういうつもりなのか。

こういうたちの悪い場所を、いくらアクセス数をあげたいからといって設けるのはよくない。明らかに社会的に害悪といえる。こういうことを認めていると、自分勝手な妄想にひたり遊びの領域を超えるものもでてきかねない。それはヤフーという企業にとっても決してプラスになることではない。

田母神もヤフーでの支持を自らの正当性の根拠のひとつとしていたが、そんなもん、ただ暇人コンプレックス人間のなかで支持があったというにすぎない。むしろそれをまともに相手にして考えている彼の頭の馬鹿さ加減がすけてみえてくる。まだまだネットは、政治参加の手段としては質的に限界がある。極端な思想・表現があふれているようでは、明らかにまともな場所とはいえない。

ここまで読まれてきて、私の表現に戸惑いを覚えた方もいらっしゃるかもしれない。でもそれほど私は右左とわずこの手のテロが大嫌いなのだ。極右のおこした朝日新聞阪神支局を襲った赤報隊の事件、企業爆破事件を起こした極左どちらも反吐が出る。こういう自己満足的動機で重大犯罪を犯す連中が私は一番嫌いである。そしてそれをたきつける連中、例えば掲示板でたきつける連中もそうだ。勝手な理由をつけて人を傷つけたり殺めたりしないことは、人間としての第一歩である。

今回の事件がテロ的ものであれば私は絶対許さない。またそうした行為を支持するような書き込みをする連中も許さない。そういうことがわかっていて(馬鹿げた意見が書かれることが分かっていて)そういう書き込みの場を設ける企業も強く非難したい。今回のような犯罪は、まっとうな批判行為もできにくくしてしまう。それは民主社会にとっての大敵である。警察には一刻も早く犯人をあげて欲しいと思う。
[PR]
by phtk7161 | 2008-11-19 08:22
田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長の問題は、中山成彬議員の時もそうだが正直書くのも馬鹿馬鹿しくなる。園児を相手に「いっていいこと、悪いこと」を教えなければならないようなものだからだ。とはいえ、相手は責任ある地位にいた人間。やはりふれないわけにはいかないだろう。そこでより重要な点にしぼって、今回の問題を整理しておきたい。

今回の問題点をあげればきりがない。歴史観の極端な中身や自衛隊幹部(公務員!)にあるまじき、思想をともにする民間人との蜜月関係。その金銭的問題。例えば、論文の300万という賞金も、従前からの彼らのつきあいの一連の経緯をみるかぎり、いわば合法的に「こずかい」をもらったとする声が出ても不思議ではない。少なくとも「李下に冠を正さず」の観点からすればそうである。さらに「自衛隊の不祥事を表に出すな」という発言。とても戦後の防衛組織の幹部の発言とは思えない。彼の頭の中は、戦後生まれなのに戦前で止まったままである。

しかしこれらのことは主たる問題ではない。一番の問題は、彼がシビリアンコントロール(文民統制)を逸脱する行動をした、まさにその点である。彼は退職会見時「この程度の表現の自由がなければ北朝鮮と変わらないと」と述べた。しかし、彼が今回やろうとしたことは、長年にわたる地位を利用しての自らの「政治思想」を満足させるための政治に対する派生的行動である。それを周囲(防衛大臣を含む)の注意も聞かず、自らしかける(動く)ことによって政治機関・・・政府・議会・・の決定する政策に影響をあたえようとした。これはまぎれもなく、文民統制に反している。

        ☆              ☆               ☆

シビリアンコントロールはなぜ必要なのか。シビリアンコントロールは法的なレベル(立法)だけで導かれる制度ではない。それは立憲民主政治システムの本質ともいえる制度でもある。現代における民主政治は数(多数決)と理(討論)が柱である。そこでは物理的力(暴力)による意思の抑圧はもっとも大敵となる。自由な討論の確保のためには、物理的力(暴力)を討論の場所から排除していかなければならない。

ところで、国家の防衛・治安を守る自衛隊・警察は、組織として合法的に物理的力(武器)をもつことが認められている。この組織が、一般においては違法(たとえ総理大臣であっても許可なく持てば違法)である物理的力の保持ができるのは、その職務の対象(例えば相手国の軍隊)も物理的力をもつ・・・もちろんそういう相手ばかりではないが・・からである。その意味では彼らは特殊な存在といえる。

物理的力の保持は、たとえそれが使用されなくても潜在的脅威であることにはかわりはない。物理的力をもたず、政治への討論に参加している一般人の場合と彼らの参加は同列に考えることはできない。

「物理的力」と「理」はもともと性質的に相反する。もし「理」の領域に「物理的力」が入り込むと、どうしても「理」が「暴力的力(物理的力の一形態)」によって押さえつけられてしまう。戦前の5・15事件や2・26事件はまさにその例である。だから物理的力を持つ組織はその内包する性質上、「理」の分野(政治)に関わるのに適さない・・・関わってはいけない・・・のである。

仮に彼らが「いや俺たちは物理的力など使わないで討論に参加する」といっても、物理的力の潜在的脅威は消えることはない。彼らが討論に参加すれば結局は自由な討論の環境は阻害されていまうことになる。

「理」の側・・・・国民・間接民主制においては政治家・・・が、政治的意思決定において物理的力(潜在的脅威も含む)の参加を制限(コントロール)し、自由な討論のもとで政治的意思を決定していくこと、それがまさにシビリアシビリアンコントロールということである。だから彼らの政治参加(投票行動を除く)にはその職業からの離脱が必要となる。それは彼らの職務に本質的に内在している、立憲民主制の確保のための職務的制限といえるのである。

         ☆              ☆              ☆  

「表現の自由がない」のではない。彼の航空幕僚長という立場が、政治に影響をあたえる言動に関して一定の制限をうける・・・そこがまさにシビリアン・・・のである。政治形態として形式面だけでなく実質面も含め、政治機関>航空幕僚長(自衛隊)であって、決して政治機関<航空幕僚長(自衛隊)であってはならない。それはすなわち自衛隊から政治効果を狙った行動はしてはならないということなのだ。

もし発言を制限されるのが我慢できないなら、彼は隊員には向かない。とっとと私人となって存分に発言すればいいだけのことである。彼は、自衛官幹部として「表現の自由」よりそのもっと前提のことである、自らの職務の性質をきちんと理解していなかった。シビリアンが機能しないことのほうが、彼がいった「表現の自由うんうん」よりもっと日本がより「北朝鮮」のような国となってしまうことに彼は気づいていない。そういう人間が、自衛隊のトップの任務を担っていた。そこが今回の一番の大きな問題なのである。

今回の件で、自民党の国防族が彼を擁護する発言をしたという。彼らも「理」の場を預かる政治家であろう。物理的力の政治への参加を抑制していくのが、本来国防族の彼らに与えられた責務なのだ。それがシビリアンへの危機意識もなくのんきに擁護する。どういう頭の中身なのか。だから、田母神になめられる。擁護した議員は、バッジをはずすべきだろう。シビリアンコントロールの意識も持てない政治家など、立憲民主主義で求められる政治家ではない。その点では田母神田前航空幕僚長以上に、彼らのほうがより問題ともいえるかもしれない。
[PR]
by phtk7161 | 2008-11-17 08:11

筑紫哲也さんについて

民主党のオバマ氏がアメリカの大統領に決まり、ようやくブッシュの政治と共和党政権が終わりをつげたなと思ったら、翌日筑紫哲也さんが亡くなったとのニュース。なかなかよいニュースばかりは続かないものだ。

私が筑紫哲也さんのことを知ったは「こちらデスク」の頃。当時から、権力暴走と戦争への流れに結びつくような動きには厳しい目をむけていた。筑紫さんのジャーナリストしての大きな長所は、安定感のある落ちついた口調だったと思う。熱血漢でもなく、また冷淡でもなく、常に安定したフォームで聞き話す。それがかえって、人に耳を傾けさせていた。

ずいぶん前のことだが、ある右翼テロ事件が起きたときテレビで特集が組まれた。そのときのゲストの一人が経団連襲撃事件などを起こしたあの野村秋介だった。彼に対して筑紫さんと、もう一人今でもテレビにでている人物が・・・彼の名誉ためにここではあえて名前はださない・・・彼に質問をした。

その人物はかなり野村氏をこわがっていた。声はうわずっていたし、顔もこわばっていた。質問もつっこむようなものではなかった。もっともそれは非難すべきことではないといえる。普通であればこわくて当たり前である。ただジャーナリストとしては「?」ということなだけだ(ちなみにその人物は鳥越さんではない)。

でも筑紫さんは違った。例の通りの安定した口調のいつものフォームで野村氏につっこんだ質問をしていた。それができたのは、筑紫さんが人そのものより、実はその人の背後にある世の中の流れや出来事という空気(雰囲気)を本当の相手としていたからだ。それが筑紫哲也スタイルだった。この感覚をもつ人物は今のメディアにはもういないように思う。

今も昔も変わらず彼が言ってきたこと。「権力は油断すると(甘く見ると)、あるいは集中させすぎると)暴走する・・・権力の怖さ」「多数は常に正しいはいえない(少数者の視点の大切さ)」「歴史に学び、過ちをくりかえさない」。これらはどれも立憲民主主義にとって当たり前不可欠なことがらである。その当たり前のことを、メディアを通じて社会の出来事・・・いろいろな事件・・・を検証する中で、彼はくり返し伝えてえてきた。

「こんばんは筑紫哲也です」はもう聞けない。一人の人間が人間らしくあるための問題の指摘は、今のメディア人の誰かがやらなければならないが、もし誰もやれないのなら私たちが自身で考え気づくしかない。そしてそれを本当は筑紫さんは望んでいたのだと思う。

テレビの彼と身近で見る彼は全然ちがうのかもしれないが、私にとって筑紫さんは人柄的には「ダンディ」な印象が強い。そしてそれ以外の彼の人柄的印象についての表現を、私はできない。テレビでみるから、なんとなく彼のことをメディアの上では知ったつもりになっていたが、亡くなってあらためて彼のことをよく考えてみると、なんだか画面上に限っても何も知らないような気がして不思議なが気がする。

彼の「多事争論」はテレビだけでなく本でも読んだ。彼の主張は私なりには理解したつもりだが、さて人間筑紫哲也となるとよく分からない(知らない)。それだけ私にとっての筑紫哲也の存在は、ジャーナリスト筑紫哲也をおいて他になかったといえると思うのである。
[PR]
by phtk7161 | 2008-11-08 21:42
次期アメリカ大統領に民主党のバラク・オバマ上院議員が決まった。

以前のブログに私はオバマでは勝てないと書いた。大統領選挙では何としても民主党に政権を奪回してもらわなければならない。大統領として鍵を握るであろう人種(オバマ)と性別(ヒラリー)の問題。後者は許容されるが、前者は今のアメリカ国民のレベルではまだ無理だ。だからそれにはヒラリーが民主党の候補になったほうが勝てる、そう主張した。

その私の予想を覆してオバマは勝った。オバマ氏そして彼を支持したアメリカ国民には素直に敬意をはらいたいと思う。

オバマ氏の勝利は勝敗の鍵を握る層に対して人種の壁を越えて支持を得たことが大きい。ヒラリーの支持者もその多くが、オバマ氏に投票したことは間違いない。マケイン氏の敗因は、金融危機が起こりよりブッシュとの一体性としての見方が強まったこと、「ホッケーママ」の感覚でヒラリー支持の女性層に食い込むつもりで副大統領候補に起用したサラ・ぺイリンアラスカ州知事の起用が全く的外れだったことが大きい。

彼女のより強固な保守的考えは、共和党支持層の基盤をより固めることには有効だとしても、ヒラリーの支持層の獲得にはむしろ大きなマイナスだった。彼女が銃を撃つその姿をみせれば、ヒラリー支持層にはそっぽを向かれるだけである。今もってこの点だけは、私は不思議に思っている。

マケイン陣営は、どういう勝利のストリーを描いて彼女を起用したのか。どうみてもボンヘッドである。単に彼女の若さと個性の強さ着目しサプライズを狙ってだけのことだとしたら、あまりにヒラリー支持層の有権者としての質を軽く見すぎていたといえよう。

        ☆            ☆            ☆

メディアは今回の結果を「オバマ氏の大勝」という形伝えている。そのことに大きな異論があるわけではないが、ただ「大勝」といってもそれは相対的なレベルでの意味にすぎない。

代議員数ではともかく、全体的な投票総数でみれば、2000年はブッシュ47.9パーセント対ゴア48.4パーセント。2004年はブッシュ51パーセント対ケリー48パーセントだった。今回はオバマ52パーセント対マケイン46パーセントで、差は6パーセントだから、前2回に比べれば確かに大勝の部類にはいるのかもしれない。

しかし投票率が高かった・・・増えた中ではオバマ支持がより多っかた・・・ことからすれば、多くの共和党支持者が支持を変えたわけではなくある意味で「何がなんでも民主党」「何がなんでも共和党」の基盤の強い支持者は今もって40数パーセントいたわけである。残りの5パーセントから10パーセントの、投票行動において支持に変化をもたせる層の投票行動が、結局は選挙の雌雄を決したわけだ。

その意味では、昨今のアメリカ大統領選の構造と今回の構造も本質的に変わってないといっていい。数%の(10%に満たない)動きが、時に代議員の「大勝」を生んでいるに過ぎない。そこはきちんと認識してしておかなければならない。

そういう点からすれば、変革求める意思が多数であったとしても今だブッシュと変わらぬ政治を支持する者もかなりいたわけで、人種問題もまだまだ消えたわけではない。それでも若い世代のオバマ支持が多かったことから考えれば、時の推移ともに大統領選において人種を問わない流れは定着していくだろうと思う。

         ☆           ☆           ☆

バラク・オバマ第44代アメリカ大統領は今後ブッシュの残していく数々の難題に対処していかなければならない。国民の期待も大きなものがある。その支持が熱狂的であっただけに、一定のスパンで成果があがならければ急速に彼への批判は高まるだろう。選挙戦を通じて彼の政策論が抽象的・・・予備選時よりも本選の時はましだったとしても・・・だったことは否定できない。本番での政策能力への不安はなお残る。

ただ同時にこれまでの大統領にない未知の魅力(能力)があることも確かだ。世界平和の面でも大きなプラスであることは間違いない。その知性とともに選挙戦全般を通じてみせた冷静な姿勢と忍耐強さで待ち受ける難題にどう対処していくか。今はそこに期待したいと思う。
[PR]
by phtk7161 | 2008-11-07 01:49
少しブランクがあいていたので、今日はもう一本書きます。

田母神俊雄前航空幕僚長の退職が決まった。論文問題以前に問題発言を連発していたことを思えば、それでもこの結末はむしろ遅すぎたくらいだ。もっとも退職金は満額もらうということだから、ある種「カッコ悪りぃ」の感じがしなくもない。結局発言のわりには小役人だったということだろう。

中山成彬議員にしてもそうだが、ここのところ戦前懐古派国粋グループの狂騒ぶりが目立つ。まるで何かをあせっているようだ。それが「改憲」にらんでのかどうかはわからないが、いずれにしても軽薄このうえない発言(論文を含め)ばかりである。

田母神俊雄前航空幕僚長の論文はアパグループ主催の懸賞だった。ここのトップはバリバリの国粋者だから別におどろきもしないが、ただ興味ある点もある。もともとアパグループのスタートは石川(県)である。石川といえば、あの森元首相の地盤。中山議員も町村派(前森派)だし、森元首相も防衛大臣を務めたこともある。そう考えていくと、なんだか一本の線でつながるようにもみえてくる。


今回の件で情けなく思うのは、こういう田母神俊雄前航空幕僚長のような、まるで旧陸軍(彼は空幕だけれども性格的に)的人物が出世コースを歩めるその点である。これではシビリアンコントローははかれない。シビリアンコントロールにのためには、戦前の軍隊的意識とは決別する隊員の意識が不可欠である。特に幹部レベルなおさらそうである。それができていないことは今回の件でもあらためて思い知らされる。

戦前の軍隊と自衛隊。両者は全く別物である。後者は政治には関われない。それは戦後の立憲民主主義の垂分線でもある。このところ明らかに制服組の幹部は例の虫が騒ぎだしている。物理的力を権力と勘違いしだしたとき、それは非民主国家のはじまりである。ここはきちんと政治遂行者が彼ら(制服組)の手綱を締めなおさなければならないと思う。
[PR]
by phtk7161 | 2008-11-03 22:43
ここのところ忙しくてなかなかブログを更新できませんでした。何度かアクセスしていただいたかたには申し訳ないです。もっとも私のブログは、もともと気分的な面も含めマイペースの自分勝手なブログなので、アクセスされる方には「時間つぶしにこいつのブログもたまにはみてやるか。」的におつきあい頂けたらと思います。

さて本題。金融危機の問題はそう簡単におさまらない。それはもうみんな分かっている。確かに公的資金注入は危機打開の有効な方策だが、しかしそれ(資金)自体、自然に沸いてくるお金ではない。当然になんらかの原資は必要となるわけで、それが税的なものかどうかにかかわらず結局私たちの日常生活を含めた実体経済に大きな影響がでてくることは避けられない。

さんざんいわれてきていることだが、今回の問題の大きな原因はわかりやすくいえば数字遊び的「マネーバクチ・マネーゲーム経済」が度をはるかに越え、有機的な産業経済にはいり込み経済構造の質を変えてしまったことが大きい。つまり有機的産業経済がバクチ・ゲーム的金に依存・・・消費・投資の両面で・・・してしまったからである。

数字ゲームだけの世界で遊んでいるうちはいいが、その規模が拡大し実体経済まで侵食するようになってはこれはもういけない。当然ある日目が覚めて無機の実体に気づけばその不信の輪は広がっていく。公的救済をするにしても、無機質的な経済のありかたを見直していくことは必要である。それにしても今回の金銭的規模はこれまでのようなバブルの比ではない。落ち着くまでには、かなり時間を要すると思われる。

「悪貨は良貨を駆逐する」ではないが、バクチインチキ経済に警鐘をならす声はまちがいなくあった。しかしそれを政治・経済メディアは無視してきた。なぜそうしたのかといえば、彼らも無機質的経済の生み出す財貨に支配されてきたからである。そういうお金に彼らも支配されてきたわけだ。2007年4月2日い書いた「日本版ニューズウィーク」の変容のケースはそこらじゅうにあったわけである。

そして今金融危機がおきた。、しかしあいかあらずテレビの画面に(ニューズウィークの)編集長はコメンテーターとして登場しているし、アメリカへの投資(アメリカ債権買い)を強力に推進してきた竹中センセイもテレビや雑誌でご活躍である。そういう生き方も、ま、彼らなりのひとつのき生き方なんだろうが、「でもなあ」である。「君たち時代に世界に遅れてる。俺たちは最先端の経済を知ってるんだ」と吼えていた彼らは、今この現実をどう思っているのだろうか。「あのときは、それが流行のファッション(経済)だったんだ。」まさかそう言うつもりではないだろう。
[PR]
by phtk7161 | 2008-11-03 06:38