社会問題を考える


by phtk7161
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昨今の週刊誌ばなれは、この職業にたずさわるものにとって大変深刻な問題だと思う。しかし生き残るための方策であっても、ジャーナリズムを語るものならばやっていいこととやっていけないことの限界はある。週刊新潮が数回にわたって特集したいわゆる赤報隊による朝日新聞襲撃事件の実行犯の告白記事は、このやっていけないことの限界をこえるものといえる。

今回の告白者はこれまでの状況を見る限りまず偽者であるといっていい。金目当てに新潮に今回のネタを持ち込んだ可能性が強い。この人物が新潮にこのネタを持ち込む前に他の雑誌にもちこんで相手にされなかったという情報も明らかになっている。

まだ記憶に新しい亡くなった永田元議員の偽メール事件。永田議員にこの偽メールのネタを持ち込んだのも、業界で鼻つまみの人物だった。同じネタを永田議員に持ち込む前に他のところに持ち込んで、やはり相手にされていない。

今度の新潮のネタもそれと同じようなものだ。今度の告発者も、この種の業界で・・・右翼の世界・メディアの世界で・・・殆ど知られていない(相手にされていない)人物である。そういう人物の持ち込んだネタに「売らんかな」の功をあせった新潮がもろにのっかってしまった。今回の件での新潮の軽はずみな行為は、非難してもしきらないくらい愚かな行為である。

朝日新聞阪神襲撃事件は関係する思想がどうであれであれ、それは「ペン」に対する「暴力」というもっとも許されない形の事件であり、法治国家における表現の自由に対する最大の敵ともいえる事件である。ことにジャーナリズムに携わるものは自らの職業に直接関わる問題であり、その姿勢は真摯なものでなければならない。

真実と名乗るもがあらわれそれを記事にする以上、その内容は警察を動かす・・・たとえ時効が成立していても真実である可能性が強ければ警察はその人物に事情を聞くなど何らかの行為を間違いなく起こす・・・レベルのものでなければならない。しかし今回の記事は、警察に鼻も引っ掛けられないほどの低レベルの内容であった。この程度のヨタ記事を記載した新潮の、事件の被害者や遺族に対する罪は大きい。

最終回の新潮のしめくくりは、とってつけたように「亡くなった記者のご冥福をお祈りする」という形で締めくくられていた。そもそも結局なんのために新潮がこの記事を掲載したのか、その趣旨が全く分からない。真実など関係なく目だって雑誌が売れればそれでいいのか。それが週刊新潮の全てなのか。ジャーナリズの最低限の誇りも捨て去った「週刊新潮」。今回のことは編集長の辞職のみならず、「週刊新潮」の廃刊すらあっておかしくないことだと私は思う。
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by phtk7161 | 2009-02-24 02:04
小泉元首相が会合で述べた麻生批判に象徴される自民党の内紛の現状。与党支持者ではない私のような立場のほうが、岡目八目的見地でむしろ与党支持者よりも今の状況が客観的にみれるのではないか。

麻生首相と私の考え方とは、彼の国家感、歴史観、あるいは失言などからしてもとうてい相容れない。しかし実はこのところの彼の発言には、私は抵抗感はない。何故かというと今彼のいっていることは、与党野党問わず実は多くの議員の本音の部分でもあると思うからだ。

官僚支配による行き過ぎた行政国家現象や財政赤字は、確かに是正しなければいけない。小泉元首相はこの後者の問題を解決するための一施策として「郵政民営化」をアピールし、その観点から国民は衆院選で彼を支持したわけである。

しかし強度の「官から民へ」「小さい政府」の市場原理絶対の新自由主義路線には、数字の絶対化だけでことを判断し負の面に配慮するバランス感覚など全くない。その路線は経団連に大いに歓迎され、そのことは小泉政権誕生前にすでに発表されていた経団連の白書にからもよみとれる。日本を「アメリカ化」するためのシナリオは当時からすでにできていた。そういう経緯からすると、国民が小泉政権に期待していたことと実際に政権で行なわれていたこととの間には大きな齟齬があったといえる。

たとえば郵政民営化について、小泉政権を支持した多くの国民はこれが問題(行政国家現象や財政問題)解決の端緒策になると期待していたであろう。しかし現実に行なわれ(ようとし)たことは、郵貯にある莫大な国民資産のアメリカへの融通である(例えばアメリカ債権買い)。小泉首相がこれを意識していたかどうかはともかく、竹中元総務大臣はこれを厳然としてやろうとしていた。

齟齬の改革による日本の「アメリカ」化は、他にも多方面で行なわれてきたのだが、国民の側にはそれがどういうプラス面とマイナス面をもつのかはっきり分からない。実際郵政についても麻生首相のいうように4分社化のことすら知らなかった人が多かったはずだ。

小泉政権では改革に伴うセーフティネット面への配慮は言葉だけで中身などは全くなかった。そのこと・・・負の面の対策の不備・・・を郵政選挙の直前に野党はかなり追及していたのだが、国民のほうにこの面の問題意識がなかったため選挙後小泉路線このアメリカ化路線ははさらに進んでしまい、改革の負の面の問題はその間さらに山積していった。そして国民が現実に負のつけに直面した今、その対応に麻生政権はおわれているのである。

もちろん彼は前回の衆院選後は小泉郵政路線を支持したわけだから、その点だけとらえれ一連の発言は無責任といえば無責任だ。しかし安倍、福田そして今の麻生政権が苦労している問題・・・小泉路線の負の面のつけ・・・は誰かがやらなければならない。これを放置してしまえば、社会は崩壊する。

そういった意味で、私は麻生首相の今回の改革をめぐる一連の発言には「抵抗感」はない。もちろん衆院解散選挙→政界再編→腰をすえた対策の流れがベストである以上、麻生政権に退陣してもらうしかないわけだが、少なくとも改革については最近の小泉元首相やその側近(竹中・飯島秘書官)の発言よりも麻生首相の発言のほうが数段ましなのは確かといえよう。
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by phtk7161 | 2009-02-17 18:15
公務員制度改革での、人事院の権能の一部を政府に移譲する問題。メディアや世論の大方は移譲に肯定的な意見が多いようだ。公務員の制度・組織が硬直化し公務員の目が国民よりも縄張り的保全のほうに「内向きに」なっている現状は私も否定しない。しかし人事院が公務員の採用・任官に際して「中立」性の確保のために重要な役割を果たす組織であることもまた事実である。

たとえばいわゆるキャリア採用試験の管理について、現在人事院がかなり厳格にこれを行っていることは肯定していい。よくペーパー試験ばかりでいい人材は確保できないという意見があるが、ではそうでない形で採用の基準をどうやってはかるかと問えば、それについて説得力を持つ意見はあまりない。むしろ後者の場合、今の採用のありかたよりアンフェアーな縁故・コネ採用がまかり通る危険のほうが高いとえよう。

教職員の採用についての記事でも述べたが、教職員の採用だけでなく一般の公的職採用に関して政治家(国会・地方議員)が口利きをおこなうことは珍しくない。金銭の授受がなくとも選挙時の支援を当てにして彼らは口利きをする。その結果地方の公的職(役所など)についてコネ採用がおこなわれ、それが今の公務員の能力低下の現状にもつながっている。

昨今は従全よりもこの種の口利きは減っているであろう(そう願いたいが)。そうであっても現在の人事院の行なう現状の採用試験のありかたは、これを政府が代わって行なった場合よりも公平性はやはり高いといえるだろう。政府にその権限が移行されれば、口利き・縁故的な採用がいまより高くなる危険は否定できない。今のキャリアが優秀だとは私も思わないが、しかし政府が行なった場合に比べコネではいるものよりははるかにましであることは否定できない。

渡りや天下りを是正する必要があるとしても、それなら今やろうとしている改正の形が公務員の質の向上に適しているかどうかといえば甚だ疑問である。公務員改革で大事なことは公務員の機動性の向上や採用の透明性・公平性、一般職とキャリア職の融合を柔軟にするシステム作りであり、決して公的職の機能を大幅に低下させて公務員コストを削減させていくことではない。

公的機能の大幅な低下のつけは結局は国民に帰ってくる。例えば「官から民」のスローガンが今の医療危機の現状にもつながっていることは否定できない。公的コストを大幅に削減させた結果、「能力のない公務員=使えない(何もできない)公務員」ばかりになってはどうしようもないであろう。

今の公務員のありかたの重要な問題点は、その機動性の弱さにある。その時に応じて公的サジェストが求められるさまざまな問題に対して、公的組織がなかなか柔軟に対応できない。その原因は組織の硬直化・縦割り(横割り)的行政・個々の公務員の能力の質にある。

これまで公務員は経済的身分が保証され「余計なことをしない=なにもしない」のが行動の基準とされてきた。しかしむしろ今後は組織の持つ縄張りを越えその体制を柔軟にして、問題に効率よく対処していくことが要求される。当然個々の公務員には様々な問題に対処できる高い能力が要求される。

国民生活の全体的な水準向上を営利性を追求しない形ではかる。その実現のために公務員には高い能力が求められる。経済的身分の安定はそのためにある。政府に人事院の中心的権限を大幅に移譲するなら、その前に徹底して現在の公的職に関する政治家の口利き・縁故採用に対する問題の現状を是正(金銭の授受を問わず罰則を設けるなどして)しなくてはならない。

そうでない限り、官でも政界のようにますます世襲が横行しその公的能力は著しく低下してしまうだろう。キャリア人材の採用(もちろん今の現状も大いに問題はあるが)までそうなっては、公的能力の確保は絶望的といえる。

公的制度の機動性・・・その時に応じ職員が多面的分野で対応していく・・・・の弱さ。そこをどう稼動させていくか。そこが公務員改革を考える上での大きなポイントである。機動性の弱さが公務員の余剰人員的感覚につながっていく。

たとえば今の特殊法人の人間が、本来稼動すべき公的分野は他にいくつもある。医療分野もそうだし、環境・農業・教育分野もそうであろう。これからは時に応じ、横割り・縦割りを越えてホワイト・ブルー的色彩など問わずに公的な職務を果たしていかなければならない。そういったことが今の公務員には求められているのである。人事院と政府そのどちらがそういった人材の登用を可能にして、公的職務の機動性を実現できるのか。今回の問題の重要な点はむしろそういった点にある。公務員制度改革の問題は、決して財政のみの問題ではない。
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by phtk7161 | 2009-02-08 10:23