社会問題を考える


by phtk7161
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岡田外相が天皇の議会での「おことば」について、文字きり型ではなく柔軟な発言を認めるような趣旨のコメントを述べた。天皇の「おことば」は天皇の非政治性を意味するうえで非常に重要なものである。

明治憲法においては天皇は政治の主体(主権)であったわけだが、歴史的(明治以降の戦前までに限らず)にみてもこの権力行使は天皇自身だけでなく、むしろ側近の政治勢力が水戸黄門の印籠のように・・・天皇(朝廷)の権威(権力)を看板に掲げて・・・これを利用して使われることが多かった。それだけに天皇と政治の関係はよりデリケートな問題となる。

かつての絶対王政から現在の立憲民主政への時代の推移のなかでは、政治的権力を伴うような王政は、少なくともその国家が個人の尊厳を基調とする民主政治体制をとる限り、もはや過去の遺物といっていい。日本国憲法の定める「国事行為における内閣の助言と承認」もまさにそのことを示している。その点で、今回の岡田外相の発言はあまり軽率すぎる発言であり、議会における天皇の「おことば(公的行為の合憲性)」における形式の重さをきちんと理解していないものと捉えられても仕方がない。

以前のブログにも書いたことだが、私は岡田という政治家の資質を高く評価している。その岡田が記者との懇談会とはいえ、この体たらくだ。それだけに余計に腹がたってしかたがない。

自民党が与党から凋落していった背景には、なにも政策のまずさだけがあったわけではない。政権を支える要職者の放言の多さが政権の質の劣化性を顕著に示していたことにもあったといえる。

もっとも自民党の放言の多くは、政策に関してのものではなく、個人の尊厳を軽視する時代錯誤の放蕩発言だったから、今回の岡田発言はそれと同視はできないが、それでも法治行政(自然法的観念の憲法にもとづく)を遂行するトップの発言として明らかにボーンヘッドだ。本来はその政治責任を追及されてもやむをえないレベルの発言といえる。

その法的資質からみて岡田外相が天皇の非政治性を理解していないはずはない。だとすれば、どうして彼がこんな発言をしてしまったのか。おそらくそれは記者との気軽な雰囲気のなかでの気の緩みがもたらしたものではなかったか。

そのときの彼には、身近な人間との親近感に目を奪われるあまり、その先にある国民の姿をみえていなかったのであろう。政権内の要職者のことばは、その職にある限り・・・公的な場やメディアとの関係においては・・・常に国民へのメッセージとなることを忘れていたのだ。それはかつての自民党の要職たちがおかした過ちと形態においてかわりないといえる。

言葉はもちろん政治のすべてではない。行動(政策実現)のほうがむしろより大事だ。しかし言葉はその政権の質を見極めるバロメーターにはなりうる。

前原国土交通大臣の羽田ハブ化発言にしてもそうだが、ある政策の実現にはそのことで大きなマイナスを蒙る人たちもいる・・・たとえば羽田の24時間化が実現すれば騒音に悩まされる人も少なからず出るであろう。目指す政策がマクロ的には妥当だとしても、そのことに関する発言においてはまずマイナスを蒙る人たちへの配慮をよりにじませることは大事なことである。

人は感情をもつ動物である。配慮があるかないかで、受け取る側の気持ちも大きく変わる。その人の「感情」が政策の実現にも大きな影響をあたえる。政治は足し算引き算の算数ではない。「個人の尊厳」とはまさにそのことを意味する。それを理解しておくことは、いつの時代の政治家にも不可欠の要素である。

民主党がこれまでの政権党とは違う・・・質において高い・・・といえるためには、政策の実行力だけでなく、政権内の要職者の言葉を大切(質のよさ)にする姿勢もまた同じくらい重要な要素である。それを理解していないなら、民主党も政権党という魔力のなかで油断したまま、堕ちた自民党と同じ趨勢をたどることになると思う。
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by phtk7161 | 2009-10-26 08:47
公務員の公的意識を高めるにはどうしたらいいか。理想的にはその公務員が、担当する公的仕事が好きで好きでたまらないなら一番である。でもこれはまず無理だ。公務員に限らず民間の人間だって、時にただ金のために「やっつけ仕事」になっていることもある。「今の仕事=生きがい」であるなら問題ないが、人生はそううまくはいかないから経済性を離れただ仕事の内容だけでモチベーションを保つのは難しい。

このことはふまえたうえで、それでもあえて誤解をおそれず言えば公務員の職のあり方については、その職の安定(雇用契約の維持)についてはきちんと保証したうえで、その経済的対価(つまり給与)については民間と連動させる・・・つまり民間の給与にある程度影響をうける給与体系・・・形が望ましいと思う。

時に不必要な公務員たたきがおこる背景には、「俺らが苦しいときにお前らはぬくぬく給与をもらいやがって」という庶民感情がある。ならいっそのこと、公務員の給与のありかたにも好況の時にはそれなりのプラスを不況の時にはそれなりのマイナスをさせる給与システム導入するほうが、官民ともに互いに同じ労働するものとしての意識がもてるのでないか。

今でも人事院勧告は民間給与の水準を考慮して減額の勧告をだしているが、ここはさらにそれをすすめて官民一体となった給与体系を考えるときであろうと思う。民間の経済趨勢と官の経済趨勢を一体化させ官の給与も民と切り離さず考えていくことは、民による不必要な公務員たたきをやめさせあるいは自己防衛にはしりがちな官の意識をかえることにもなるはずだ。

もちろん営利目的でははかれず公的組織でしかできない仕事・・・民の感覚では無理な仕事・・・はこれからも不可欠である。自由主義を前提とする福祉国家では、質において公的(官的な)仕事と民的仕事の役割はより別々に必要である。

しかし給与体系まで両者を切り離して取り扱うべきかといえば、仕事の質的違いとそれとを同じように扱う(給与も別々にする)べきとする根拠はない。むしろ民と連動させるほうが、官の民への意識のあり方も変えていくことができるはずだ。

官がいかに民によい生活状況を提供できるか。それにより民がいかに経済的対価を向上させることができるか(官の経済的対価も民間次第)、両者の関係に経済的対価において相乗効果をもたせることも、変革がもとめられている今の日本にあっては、これからの官と民のひとつのありかたといえると思う。
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by phtk7161 | 2009-10-16 18:30