社会問題を考える


by phtk7161
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辺野古移設をめぐる問題は、どうも従来の計画通りという結論になりそうな気配が漂う。私はこの問題を単なる日本の安全保障をめぐる問題とはとらえていない。戦後の日本のアメリカとの一方的な関係を構築しなおす・・・・一方的な従属関係でなくしていく・・・契機となる問題だと思っている。

もちろんこの関係を見直すということは、仮にアメリカ側にそれを許容する・・・もちろんほんの少しだろうが・・・つもりがあるとしても、彼らも本音では面白くないだろう。それに何よりこれまで「アメリカ万歳」忠誠をちかうことで自らの地位を確保してきた日本の人物にとっても困ることである。こういった人物は政・財・会・メディアを問わず日本のあらゆる分野に存在する。

鳩山政権ができた当初の流れのままであれば、アメリカと多少ジタバタしても辺野古の移設が回避される可能性は・・・普天間のままでもなく別の場所に・・・かなりあったと思う。

「アフガン派遣の見直し」「第7艦隊で十分」発言など小沢幹事長はかなり前から日米間のありかたを根底から見直すことに本気だったとみてよい。

もし単に政権交代をしたければ同じ発言でも、もう少しアメリカの「カン」にさわらない発言方法はあったはずで、たとえば「アフガンは国連レベルの承認ありいいが・・・この点小沢幹事長はないと考えているが・・・イラクはそのレベルにないから絶対だめだ」「アメリカの基地はいずれは縮小方向でかんがえていくべき」の表現でもう少しぼやかして言いこともできた。

しかし彼はそうしなかった。かなり具体的な内容に踏み込む発言をし、あえて火中の栗をひろうことをした。このことでアメリカは、彼に対してかなりの警戒心を持ったことと思う。その結果彼はアメリカに、戦後もっとも強い警戒心をいだかせたせ政治家(田中角栄以上)となった。

アメリカはこれまで日本のどの政治家に対しても・・・もちろん歴代の首相でも・・・その姿勢は(外面上はともかく内実は)上からのものであった。これに対し日本の指導者ができたことは、一方的な従属かせいぜいできて狸的なごまかし程度のレベルのことだった。

しかしこの1年来のアメリカの小沢幹事長に対する姿勢はかなり五分に近い接し方だったといっていい。つまりようやく対等(小沢幹事長に限ってだが)の相手・・・本当の交渉ごと(もちろん駆け引きごとを含む)ができるという意味で・・・の立場に近づきつつあったのだ。

もちろん交渉に携わるのは時の内閣である。しかし当然ながら、アメリカは鳩山首相・岡田外相以上に小沢幹事長の存在を相手としてみなしてきた。それは今日本がアメリカに対してようやく使える一枚の人的カードだったともいえる。

しかしそのカードを日本はいまやなくしつつある。もちろん原因はこのところの小沢問題だ。この問題は確実に小沢幹事長の政治力を低下させている。彼の政治力が低下すればその分党内での掌握度も弱体化する。

当然その党内基盤も弱まるから、その分対米関係においてもその交渉力に低下が出ることは避けられない。現に昨日の野田財務副大臣の発言は、その様相をみせはじめている。アメリカやアメリカに従属することで安定的地位を保ってきた人間たちは、このことを大いに喜んでいると思う。「法律なんか関係ない、やっちまえ」と検察に声援をおくっていることだろう。

辺野古については、もともとアメリカは2009年までの年内決着を2010年5月に延ばした(というか伸ばしてあげた)ことで、それまの日米関係からみれば十分な許容をしたと思っている。そして小沢というカードの威力が低下すれば、あとは本気で交渉を戦えない政治家のみ。

「小沢がいなくなれば、長い間やってきたこれまで通りの脅し透かしの交渉で十分だ。」これがアメリカ側の本音であろう。あとは日本の政権は悩むだけ悩んだポーズをとって、落ち着くところに落ち着かすだけである。これまたミエミエの結論といえる。最近の平野(官房長)発言もおそらくその延長線上にあったといえる。まあ官房長という仕事もたいへんなことで。

最近この問題めぐってアメリカ民主党の知日派といわれるなんとかイノウエ上院議員の「アメリカも我慢に限界がある」的コメントがメディアを躍らせた。私に言わせれば「で、それが何なの」なのだが、あいもかわらず日本のメディアは「日本をよく知っている議員が、そういっている。やばいぞ、やばいぞ。」と騒ぎ立てる。イノウエなんて上院議員の名前なんぞ、日本であんまり聞いたこともない。

「アメリカがこういっている=だから正解」あいかわらずのメディアのレベル。ため息がでてしまう。本当の変化を怖がっているのは何よりメディア自身(もちろん全部とは言わないが大手メディアのほとんどがそうであろう)ではないのか・・・何回もいったせりふだが。

検察の捜査&これに端を発する小沢たたきの根底に、小沢幹事長の対アメリカ見直しの姿勢があることは間違いない(他にも多々あるけれどもそのなかの一因として)。そしてその先には、これまで通り一方的に従属した日米関係が待っている。

まだ西松の事件がでる前2000年3月2日のこのブログで、小沢幹事長の「第七艦隊で十分」発言について書いた。そこで金の問題でゆさぶられる(圧力やバッシング)可能性についても言及した。そのときここまで露骨なやり方でなされるとは・・・検察をからめて・・・さすがに私も思ってはいなかった(実際それは反則技だ)。見方をかえれば、それだけこの問題(日米関係のありかた)は、日本の政治の変革(進歩)にとっては避けることのできない問題ともいえるだろう。
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by phtk7161 | 2010-01-30 04:37
前原国土交通大臣が、自民党の町村前官房長官の八ッ場ダムに関する質問に対し、色をなして「金の無駄遣いをやった奴はおたくらだろう(話の趣旨はそういうことだ)」と反撃していた。委員長からすみやかに答弁をやめるよう促されていたあとも、言い足りないのかなお近くに立ったままなお言い返すそぶりだった。普段前原大臣の安保政策は一切支持しない私だが、このときの彼の姿勢はなんとなくわかる。

人は本当に本能的に許せないことがらを感知すると、理屈とは関係なく自然と体のなかからある種の感情が湧き上がってくる。そういうとき人は恐れよりも怒りの感情が優先し、その人なりの形で立ち向かおうとしてしまうものだ。そしてこの感情は私にもある。私が本能的に許せない行為とは何か。それは脅迫的手段・・・もちろん違法行為である・・・を持って己のおろかな感情をぶつける行為をするやつたちである。

今回の小沢幹事長と検察をめぐる問題についてはさまざまな意見があろう。「検察の国策捜査だ、暴走だ」と言う意見もあれば、「小沢は金に汚い。検察の捜査は当たり前だ」とする意見もいよう。私はもちろん前者だが、だからといって反対の意見を述べる意見について、批判はしても違法行為でその相手を脅そうとは思わない。それをやる奴は「人間のくず」だと思っているからだ。信条・思想の違う相手や問題の対象となっている相手に脅迫・暴力をもって脅す人間は、立憲民主主義の「最大の害悪であり、くず」である。

このところの民主党やテレビ朝日あるいは小沢邸に脅迫文や銃弾を送りつけてきた人間ほど、私が怒りを感じる人間はいない。これは私の本能からきている感情である。理屈ではない。

私がもっとも嫌いな人間、それは朝日新聞阪神支局を銃撃した犯人である。こいつは「赤報隊」という幕末の時代のしょもない存在にかこつけた名前で、もっとも許されざる行為をした「チンピラ」「くず」人間だ。

この事件以降この種の(行為をする)人間に対しては恐怖より怒りが優先する・・・自然にこみ上げるてくる・・・ようになった。だから今回の銃弾を送りつけるような行為に対しても、当然今の私はダムに関する前原状態にある。

こういった連中はいつまでこういうおろかな行為をつづけるつもりだろうか。もしこの種の行為に対して、この送りつけ犯人に「喝采」を送る人間がいるとするなら、私にとってはそういう人間は朝日新聞阪神の支局の事件での「赤報隊」と同じ人間でしかない。政治思想に名を借りたたんなる「チンピラ」「くず」でしかない。

ほんらい人を「チンピラ」「くず」呼ばわりしてはいけない、それは私も(百も)承知している。しかしそれでもだ。これは私の本能からくるもので、この種の連中は絶対に許せない。民主党もテレビ朝日もこの種の人間の行為の声などなんら相手にする必要はない。私はこの種の人間を「絶対」に許さない。この犯人が小沢幹事長に対して「許せない」という思いがあるとするなら、私のこの犯人への許せない思いはその何百倍である。

小沢問題うんうぬんの前に、こういった連中・・・政治思想に名を借りて(もちろん思想の左右は関係ない)違法行為する連中・・・は徹底的に摘発(もちろん合法な形で)しなければならない。この種の犯罪は、「政治と金」をめぐる問題などより、もっと社会に害悪を与える。司法官憲機関のみならず、社会全体で徹底的にたたくべきである。メディアはなぜこの犯罪行為に批判の声を上げないのか。この種の行為を徹底的に叩くことは思想の自由を守るための「イロハ」であろう。

「赤報隊」の朝日新聞阪神支局襲撃事件は時効となったが、私の中ではもちろん時効になってはいない。絶対に許さない。この種の行為に対しては、私は今後も前原状態でありつづける。
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by phtk7161 | 2010-01-27 02:45
今日はもう一本書きます。

検察(ことに特捜)のバランス捜査が失われ、こういう強引ともいえる捜査手法が行うようになったのはなぜか。私の勝手な推測だが、過去の調査活動費の問題を検察が強引な形で乗り切ったことも影響を与えているようにも思える。

かつて検察の調査活動費は最大で5億5千万(平成10年)あった。しかしそれが現在は8000万に満たない。つまり、かるく数億をこえる金額が調査費において減ってきているのである。もちろん現在はきんとした形で調査費用が使われているだろう。しかし過去を問えば、その差額からどうみてもすべてが正当に使われてきたとみることは相当に苦しい。その金額も「たかだか」といえる金額では決してないような気がする。

告発者も何人かでたが、告発者が逮捕され(ちなみに要件はあった・・・ただしもと公安部長の逮捕についてはその逮捕を疑問視する声もある)、メディアや国会も問題の追及に及び腰で結局はうやむやになってしまった。追求が及び腰になったのは、もちろん検察の「力」をおそれたからだといえる。

誰しも痛い腹は探られたくない。検察がその気になれば、誰でも何らかの理由をつけ身柄を引っ張ることはできるように思えてしまう。その「力」の前に、両者・・・国会とメディア・・・とも沈黙したのである。その意味で、検察は「怖いもの知らずになっていったのではないか。

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私がもともとこれを問題視するのは、「金」のことだけではない。それ以上に問題が明るみなってからの検察の「対処法」の方に疑問を覚える。警察については「食糧費」の問題はすでに明らかになっている。「その事実」を認めたケースもある。

しかし検察は、この問題について「説明責任」を果たしているとは到底いえない。不正使用の根拠にはなるものでもないが、私は今もこの問題について会見した(事実を否定した)森山真弓法務大臣の会見時の「目」は忘れない。完全にその目は泳いでいた。彼女自身内心では否定できる自信はなかったのだと思う。

公的職の人間が、公費を私的にごまかして使えばもちろん横領罪だ。それまでいかなくても、何らかの規則には抵触する。そしてこの種のことで摘発された(もちろん検察が立件する)公務員は他の公的組織にはいる。しかし検察だけは「セーフ」のままだ。それは彼らの組織が、信頼されているからではない。まわりが、彼らの「力」を恐れているからである。

その意味ではこの件に関しては検察は「暴君」である。そこには、「行政は絶対過ちを起こさない」という古くからの行政スのタイルの構図が垣間見える。

そしてこの件以降、検察ことに特捜の捜査の立件の仕方で、要件を軽視したあらっぽいやり方がより目立ってきたように思う(たとえば、日歯連事件における村岡元官房長官のケースなど)。もしかしたら、この調査費の件を問題視しないことで、このときからさらに政府自民党と検察のバーター関係はより濃密・・・距離感を保たない関係・・・になっていったのかもしれない。

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しかしそれでも私は検察のこの件はなるべく気にしないよう努めてきた。捜査活動費の件は別に人の生命を脅かしたわけではない。所詮「金」のこと。個別具体的に人の財産を侵害したわけでもないし、検察官も人間だ。それなりに事情もあるのだろう。いいことではないが検察が今後は、襟を正しきちんとやってくれればいい。そう思うよう努めてきた。そして現に検察の調査活動費は減っていった。

しかし今回のことで、私は調査活動費の問題をもう終わった問題としているわけにはいかない。小沢幹事長の「過去」の「金」問題を、実質的には法律要件を超えた形で摘発するなら、検察自らの過去にもそれに見合う「品格」が求められる。自らの過去の「金」問題を説明しないまま・・・・ちなみに金のことだけではなく、その後の対処法も含め・・・罪質に見合わないバランスを逸脱した捜査をやった以上、あらためて調査活動費の問題を世間に納得できる形で説明する義務はあるそれはたとえ横領罪の時効が成立していても関係ない。

政治家(小沢幹事長のみならず石川議員も含め)の過去の問題を偏在的にとりあげ強引に摘発し、その政治生命に影響を与える以上、当然検察にもそれに見合う「清廉度」は求められる。自らの過去の「金」の問題にも決着(納得できる説明責任)つけなければならない。

もし検察がこのことに関し「どうせどんな説明をしても、世間が納得する説明などありはしないのだ。」というなら、それは小沢幹事長も同じ気持ちだろう。検察だけが、説明責任のない「王様」ではないのだ。

おそらくある人間は今回のことを「所詮小沢VS検察の権力闘争にすぎない、それがこの世界さ。」ともいうだろう。しかし、一方の「非清廉性」だけを摘発し自らの「非清廉性」については、だんまりを押し通す。それはこの世界であってもあまりにフェアーではない。

自らに都合の悪いことを力でもみ消すような犯罪、それを摘発するのはまさに検察の仕事である。その検察の過去の姿勢に疑問があるとき、そのままでいいはずはない。検察上層部にはその責任がある。それができないとなれば、それを追求できるのはどこか。民主党とメディア(多くの御用メディアは除く)は勇気をもって検察の過去の問題(対処の問題も含め)を追求してほしいと思う。
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by phtk7161 | 2010-01-16 07:17
誰しも権力機関は怖い。特に検察(ことに特捜)は法務大臣の指揮権発動を除いて捜査に直接介入されることはない。実質的な強制的処分力も裁判所以上のものがあるといっていいだろう。だからなるべくなら、この組織を批判することはやりたくないのは当然である。しかしそれでも、沈黙すべきでないときはある。そして私は今がそのときだと思う。

私も長い間、政治についてはそれなりに興味をもってみてきた。そんな私の記憶の中でも、今回の総選挙前の西松騒動から現在にいたるまでの検察の捜査ほど、強引すぎる捜査は記憶にない。あらためて繰り返すことになるが、どうして今回の捜査が、異常(強引すぎる)な捜査といえるのか。あらためて検証したいと思う。

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ひとつはなんといっても、行為の罪質である。いうまでもなく今回の本線の罪質は政治資金規正法違反。しかしながら検察は、この政治資金規正法違反を、潜在的には実質収賄のつもりで立件しようとしている。贈収賄の要件が証明できないから要件は政治資金規正法の形で、しかし捜査は完全なる収賄捜査の感覚でやっていく。今回の捜査のやり方はまさにそれだ。

法治行政、とりわけ個人の権利をもっとも制限する刑事制度の中心にいる検察が、法治行政を無視し、捜査法は立件できない収賄ばりの手段をとっていくこれが検察の暴走なくしてなんであろう。警察比例原則は、当然検察の捜査にも該当する。罪質と捜査手段はそれなりにみあう捜査手段をしなければ、一人の人間の人権など虫けらのように踏み潰されてしまうだろう。

現に石川議員は自殺の恐れもあるといわれている。「金額」の多寡があっても、結局はたかだか政治資金規正法違反。これごときで自らの組織の省益や面子のために、一人の人間(議員)を追い込む捜査手段までとっていいわけがない。

収賄を立件するなら、正面から正々堂々と職務権限や因果関係などを精査し、きちんと収賄で立件できる自信のもとに捜査は行われるべきだ。決して要件の楽な別罪で、潜在的に贈収賄と同じダメージを与えるような捜査は、単なる暴走捜査であり決してやるべきでないし、それを社会も許すべきではない。それがまさに法治国家ということである。

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ふたつめはこれも書いたが今回の捜査が偏在過ぎる点だ。たとえば西松の件。西松からの献金は当時にすでに、複数の自民党の大物議員へも献金されていた事実は明らかになっている。そしてその総額は、小沢氏の総額と変わらない。確かに一人一人でいえば小沢氏の十分の一程度のものかもしれない。しかし一人の議員でも過去全部を合計すればそれでも1000万は軽く超えている。そして西松から献金を受けた自民党議員は民主党より圧倒的に多かった。

検察は金額の多寡を問題にするが、1000万は軽い金額といいきる・・・少なくとも検察はそういうのだろう・・・それはある意味で複数の議員を小口としてやるなら、党の議員全体では民主党(民主党の場合小沢氏がだんとつだが)と同じ額を受け取っていても問題はないということになる。そして違法献金の認識が小沢側にはあったが、自民党の議員の誰の側にもなかったのだとすれば、これは首をかしげざるを得ない。

今回の土地購入にまつわる問題についても、検察が言いたいのは、ようは「小沢は献金いいながら公共工事の見返りに金を受け取っているのだ。だからこういう捜査をしてもやむをえない。巨悪は許すな」そういうことだろう。しかし政治献金と公共事業はある意味では密接な関係にある。だいたいそうでなければ、業者は献金などしない。自らの仕事にマイナスにならないように献金しているのである。

そしてこれもすでに書いたことだが、政治献金をこの意味で受け取っている議員は与野党問わずそれこそ大勢いる。そのなかには政治資金とした形で届けないで、何らかの形でうまく処理している場合もあるはずである。世間の大方はそのことは分かっている。ためしに「自民党の議員にきちっとした形で政治献金をうけていない議員はいると思いますか」とアンケートをとてみるといい。8~9割がた「いる」とこたえるだろう。

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いうまでもないが公共事業にからむ金の動きは多い。しかし簡単に収賄が立件できないのは、職務権限や金銭と結果(業者が特定の仕事を得た)との因果関係がなかなか困難だからだ。小沢氏でいえば、ここ最近は野党暮らしが長かったから法律上の職務権限があったとするのは、与党議員以上に困難だ。そして、実質的な力=職務権限では絶対無い。しかし検察は今回そういうつもりで捜査を行っている。

しかしそれなら自民党の大物議員も同じである。彼らも実質的な力を背景に(法律上の職務権限はなくても)、いろんな形で莫大な経済的利益を受けて便宜を図っている。検察が小沢捜査と同じレベルでやるなら、その気になればいくらでも摘発できるケースは多いはずだ。しかし二階氏のときもそうだが、ここのところ検察(特捜)は自民党の捜査に関してはとにかく腰が重すぎる。

もともと検察の捜査においては、与野党双方へバランスをとって捜査が行なわれた時代もあった。捜査が政治に過度にマイナスの影響を与えることを避けるためである。そういう過去の捜査と違い今回の小沢関連の捜査は、長い間政権党にであった自民党への捜査は消極的で明らかにバランスを欠いた偏在捜査といっていい。これで長い間の政権党のチェック捜査なくして「巨悪は許すな」もあるまい。これでいいのか東京地検特捜部である。
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by phtk7161 | 2010-01-16 05:06
あいもかわらぬ小沢金銭報道が続く。これまでこの問題についてはあきるほど述べてきた。小沢幹事長がクリーンだとは私も思わない。しかし近年ほとんど野党暮らしだった小沢幹事長だけに金の問題があり、長期に渡り政権党だった自民党の議員は金にクリーンだったというならそれこそ笑い話である。

ゼネコンに関しては、小沢氏に限らず閣僚クラス首相経験者の議員であれば地盤を中心にした縄張りをもっている。これまでの政治では、ゼネコンが関わる規模になくても大小問わず多くの公共事業は金の話しぬきに決まるはずもなく、政治資金にせよその他のどんな形にせよ何らかの経済的価値は受けていたはずである。

それをわかっていながら、検察(特捜)は一方ばかりの摘発でしかも本格的に収賄をにらんでの捜査ならともかく、政治資金規法違反レベルの捜査で異常なほどやっきになっている。これはこれまでの捜査からありかたからみてもあきらかにおかしい。

もし今回の検察の捜査が、金の絡まないクリーンな政治のための捜査(政治資金規正法違反レベルでの)だというのなら、特捜部は同時に自民党の大物議員(二階氏だけでなく)それこそ経世会だけでなく旧中曽根派や福田派の大物議員も情報を集め摘発すべきだった。

今回の小沢氏への捜査がいびつにみえるのは、まさにこの(捜査の)偏在性にあるといってよい。今回の小沢氏への捜査が、自民党の複数の大物議員に対しても同時に行われていたら、ここまでうがったみかたはされなかったはずである。そうなってしまうのはつまり捜査のバランスが悪すぎるのである。

さらにいえば捜査の手法もどうかと思う。金丸氏はワリコー債をつかった脱税で摘発されたが、あれは物的証拠があった。しかし小沢氏の場合は供述証拠に頼るのみで、物的証拠はほとんどない。任意の事情聴取をするようだが、小沢氏が何も話さなければ検察は政治資金規正法違反ですら、そう簡単に立件できないはずだ。

しかし小沢氏が話さなかったとするなら、「後ろめたいことがあるから話さない」このイメージが特捜からおそらくメディアに伝わるであろう。その結果うまくいけば世論の(どんな世論かとも思うが)小沢落としに拍車がかかり、小沢を政治のヒノキ舞台から引き摺り下ろせる。こんなストーリーもすけてみえる。

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面白いもので今回の政権交代はいろんなものを明らかにしてくれる。ことに明らかになったのは、「官僚」の既得権益への執念。今回の特捜部の捜査もその延長線上のような気がする。検察上層部すなわち「官僚」である彼らは、検察という組織の権益を守るためにやっているようにしか見えない。ここでもある種の「省益」の姿が垣間見える。

これまで小沢報道に関するメディアの姿勢を強く批判してきたが、しかし最近気づくことがある。どの新聞も一面で「4億」とかという数字をセンセーショナルに躍らせ扇情的な見出しをつけるが、中身をみればその問題点も政治資金規正法違反レベルを超える話にはなってはいない。所詮は「政治資金規正法違反」にとどまっている。問われる罪質と記事の扱いのレベルが全く比例していないのだ。

しかしそうまでしても書かなければならないのは、もしかしたら特捜の関係者が各社の記事の扱いをチェックし、もし扱いが弱ければ今後この事件に限らずこれから捜査情報を与えないなどの嫌がらせをされる可能性があるからではないのか。もしそうなら、検察のメディアとの関係は果たしてそういう形でいいのか。検察(ことに特捜)を批判できないメディアは果たして本当のメディアといえるのか。

また検察に強い独立性(裁判所と並んでしかしときに行われる捜査権・・・もちろん多くは訴追が主体だが・・・まで含めれば現在ではもっとも強い機関かもしれない)が認められるのは、こういうことのためなのか。そうではないだろう。日本の特捜部は露骨な政治的意図を持つCIA程度の機関では断じてないはずだ。もし特捜がCIAと同じというなら、特捜の一方的な暴走(政治バランス的にみて)を防ぐためにも今後は公聴会の導入も考えざるをえないだろう。

             ☆            ☆            ☆     

今メディアと特捜部にいいいたいことは、政治に変革がおこったように今後はあらゆる分野で変革は避けられない。建前の「正義」(・捜査・訴追)や「真実」(報道)でやっていける時代ではもはやない。そこから一歩すすんだ実質的な「正義」「真実」が求められる時代である。

その気になれば誰でも多くの情報を得ることができ、その中でそれぞれの情報(の正確度)を吟味し凝縮したうえで、知りたいものごとの全体像(流れ・構図)を見ていけば、だれでもある程度のことは分かる(知る)ことができるようになった。そうした時代にあっては、もはや検察やメディアだけが情報を独占することはできない。断然の情報エキスパートとして、簡単に世論を啓蒙(というか誘導)することもうできないのである。

そういう時代にあっては、「正義」とは=どんな人間でも同じ事実がある限り同じように摘発され・訴追される(同じレベルの扱いをうける)ことであり、「真実」とは=それまでの記事の流れに関係なく、従前予想していた展開と違うことになっても、恐れることなく等身大(そのままの)の真実の記事が提供できることである。

今はがらがらポン的に過去より将来を見据え、政治資金規正法違反レベルなら政権交代以降の事実についてそれこそ軽微なものでも与野党偏在なく厳しく追及していくべきと思う。もしどうしても過去の事実を問いたいのであれば、長い間政権党にあった議員の摘発も同時になくして小沢捜査の意義はない

むろん多くの検察官やメディア関係者はこの「正義」や「真実」をすでに当然のことと捉えているはずだ。今なおどちらの組織(検察・メディア)にもこの意味での優れた人物は多くいるだろう。しかし肝心な両組織を動かす上部の人間は残念ながらそうではない。

この(上部の)人間たちは、これまでの自らの既得利益維持のために変革を怖がっているか、そうでないなら、小沢という人間に対する過去からの個人的感情(嫌悪)からのどちからかである。そのどちらにしても捜査・報道の本質的動機がいずれかである限り、本来の役割からみて今回の一連の捜査・報道が冷静さを欠きバランスを完全に失していることは否めない。

その意味では、検察の民主化メディアの民主化が今問われているともいえる。今回の政権交代をはさんでなお続く小沢捜査のあり方と報道は、それを教えてくれているようでもある。
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by phtk7161 | 2010-01-08 04:50