社会問題を考える


by phtk7161
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28

<   2010年 02月 ( 8 )   > この月の画像一覧

長崎県知事選の結果は民主党には厳しいものとなった。「政治とカネ」の問題が今回の選挙結果に大きな影響をあたえたことは確かだろう。ただそれ以外にも、候補者選定をはじめとして今回の民主党の選挙戦略には、首を傾げたくなる点が多々あった。

       ☆          ☆          ☆   

まず候補者が元官僚だったという点である。地方分権に肯定的な民主党が、その地方選においてなぜに中央主権敵的象徴をイメージさせる官僚を擁立したのか。県連が賛成したとすれば、それは県連にも責任がある。選挙戦でも利益誘導を匂わせるようなところがあっ(このことについては、後述する)というが元官僚の候補者ということとそれをあわせれば、これはもう地方分権どころではない。まずこれが誤りの一点。

次に選挙対策に石井一が大きな役割を果たしていたということだ。はっきり言えば、かれは団体票をまとめる裏方として一部役に立つかもしれないが、一般の有権者にはもっと向かない人物である。あの風貌であのものの言い方である。両方あわせれば、とてもじゃないが表で活躍するには適さない。小沢幹事長が表で動きにくくなっている。その代わりを彼の実務力をかって彼にたくしたかもしれないが、それは誤った人物選択だったと思う。これが誤りの第二点。

「政治とカネ」については、ご存知のとおり私は小沢氏と民主党に非がある(相対的にみて)とは思っていない。だから、このことが敗因だったとしても、民主党にはその点は一切反省はいらない。なぜなら(今までのくりかえしになるが)

今まで与党だった自民党と相対的にみれば、同じ問題があるのにそちらは捜査しない検察の姿勢、小沢嫌い(小沢はメディアが大嫌いだから当然メディアも好印象を持つわけがない・・・気持ちは分かるが)に加え、検察権力には恐れをなし(過去の検察の裏金問題もようたたけない)検察権力(捜査)のチェックはできないマスコミの攻撃、この両者があわさればだれだってかなりきつい。

朝から晩まで検察の広報となってメディア(特にテレビ・・・新聞の記事に沿って)は「小沢悪い」をくりかえし、黒でないものを黒とすることも(イメージ含む)簡単にできてしまう。これでは「水戸黄門」的単純正悪ドラマ大好きの軽薄な有権者が、「正義の一票(実際は軽薄の一票だが)」を投じれば、あの結果も無理はないだろう。そしてその責任はこうしたことにひっかかる有権者にもある。

       ☆          ☆          ☆
                    
ただ当選した候補者の票は、こうした軽薄な「正義の一票」の票ばかりではない。軽薄な「正義の一票」やもともとの与党支持者(自民・公明)の票は別として、それ以外で当選者にいれた有権者の票(民主党が支持をもらえるよう努力すべき有権者の票)に関しては民主党は謙虚に反省しなければならないと思う。

民主党が今回の選挙でもっとも反省しなければならない点は、前述した利益誘導を示すような与党的戦略である。与党(民主党)にお金の決定力があるのは、有権者ならいわなくても誰でも分かっている。それを協力とひきかえに予算の交付を露骨に示せば、これはもういやみ以外の何者でもない。話し方によっては恫喝にも近くなってしまう。

こういった戦略はあの自民党政権が少し前までいやというほどやってきた。昔だけでなく小泉(彼も含め)以降の首相時代にも大いに発揮された反吐が出る手法である。「地方の力でやってもらうのが主軸。そのサポートというのが地方での我々の本来の役割。だがそれでも本当に困ったもの(地方ではどうにもならないレベルのこと)については、真摯に協力させてもらう」という程度の表現でとどめなければならない。

そうでないと何のために政権交代したのかわからないではないか。利益誘導的戦略があったとすれば、その点は謙虚に反省しなければならない。今回の知事選について、この点での責任は幹事長である小沢氏にも当然あるといえよう。
[PR]
by phtk7161 | 2010-02-23 00:52
トヨタのアメリカでのリコールに端を発した問題は、なおとどまる様子をみせない。

容易に改善されないアメリカの景気や雇用の状況。またGMの落日にみられるアメリカ自動車業界のシェアを巻き返しの野望。その端緒としての側面が今回の問題の背景にはある。

ところで、私たちはアメリカ政治の意思決定システムについて考えるとき強い影響を与えるある存在を知っておく必要がある。それは「ロビイスト(院内工作員)」という存在についてだ。

ロビイストとは、いろいろな業界から要請をうけ各議員に具体的法案への賛否(各種方面への根回しも含め)を働きかける人物である。こういう人物の議員へのはたらきが、いわゆるロビー活動といわれるものでその影響力はかなりのものがある。

ロビイストと議員の関係を少し前の日本の政治の役割でたとえるならば、いわゆる「派閥の長(親分あるいは幹部)」がアメリカの議員で、その派閥に属する「平均的議員」がロビイストということになる。いうなれば、派閥の長に働きかけてある法案の成立(あるいは不成立)をめざして行う平均的議員の活動、それが「ロビー活動」というわけである。

ブッシュ政権下でのトヨタは絶頂期にあったといっていい。その躍進の要因には、もちろんトヨタの優れた技術や組織システムがあることはいうまでもないが、その間の「ロビー活動」への対応もみすごすことができない。すぐれたロビイストによるロビー活動を展開していくことで、これまでトヨタはさまざまなバッシング的な動きを乗り越えてきたはずだ。

しかしッシュ政権からオバマ政権へと政権交代(共和党から民主党へ)したなかで、トヨタのロビー活動への対策が後手に回ったのではないか。今回の一連のできごとの背景にはそういう原因もあるような気がしてならない。

もともと無茶な理屈をつけて企業から何がしかの金をぶんどっていく手法は、アメリカの弁護士たちの得意とするところ。生真面目にやっていてもそれが誰かのマイナスになる限り、特に何もしなくてもその者から足を引っ張られるのがアメリカだ。その仕掛けがはじまったとき、足をひっぱる役割のロビイストもいれば、それを防ぐ役割のロビイストもいる。馬鹿みたいな話だが、これがアメリカの政治の現実である。

今回トヨタの社長が公聴会に招致されることになったが、この決定にも当然ロビイストの問題が絡む。なんとか巻き返しをしたいアメリカ自動車業界と、リベラルだが貿易に関しては保護主義的色彩を持つ民主党政権。両者があわされば、自動車技術を誇るあのトヨタに何がしかのトラブルがおきれば、それを防ぐ(批判を)有効な対策(有効なロビー活動)をトヨタがとれない限り、これも当然の帰結であろう。

トヨタが有効な対策がとれなかったその原因が、民主党政権に近い議員へのロビー活動が弱かったからか、それともロビー活動自体の力が低下した(オバマ政権になって)からか。そのどちらかは私も分からない。その分析はその種の専門家にゆだねたいと思う。

ただロビイストについては、ロビイストは登録制でだから彼らがまともな存在であると主張する向きもあるが、私はそうはおもわない。実際オバマ政権では今回その規制も検討された。学生時代たまたまロビイストを知ったとき、私はその存在について「何なんだこの連中」という感じでどちらかといえば否定的印象をもった。

私がそういう印象をもったのは、民意の洗礼をうけていない者が金によって現実の法案成立に強い影響を与えるという政治の意思決定のありかたに疑問をもったからだ。そういう意味では、所詮金にものをいわせて雇われる「非民主的な政治工作(仕掛け)員」というのが、私のロビイストについての素直な感想である。

今度のトヨタの問題でロビー活動はどうなっていく(いた)のか。今のオバマ政権下でのロビー活動への対応も含め、この問題を私も興味深く注目しているところである。
[PR]
by phtk7161 | 2010-02-20 03:04
今民主党にいいたいことは、衆院の歴然たる数にもっと自信を持てということだ。これは別に数に「あぐらをかけ」ということではない。いい意味での数の絶対性をもとに景気対策と「官僚的なるもの」との戦いに腹をすえろといっているのだ。

民主党が「政治と金」(ことに政治資金規正法)の対処に未熟だった分、検察を使った官の揺さぶりは続く。今後も問題はでるだろう。しかしいちいちそれに動揺していてはとても官とは戦えない。それに検察も、どう議員のあらさがしをしても何十人もの議員について事件をつくることはできない。

次の衆院選まではまだ3年以上ある。たとえ今度の参議院選で過半数とれなくても、衆議院が絶対多数である以上解散さえしなければ参議院での数の確保のための選択肢はある。今度の党首討論の様子をみてもそう確信できる。この不況下、肝心な政策論を戦わせない野党などどうということはない。

今の自民党は野党としても失格で、森元総理などの旧勢力が引退しない限り今の自民党は恐れるにたりない。たとえ桝添が党首になっても森がひも付きである限り、自民党には未来はないから大丈夫だ。

批判されているる「政治と金」については、政治資金規正法をより厳しいものに改正して民主党なりの結論をだせばいい。民主党にとって今大事なことは、景気対策と国家公務員の改革法を穴のないもにすること(提案寸前だった案では論外だ)、そして沖縄の基地問題にきちんと道筋をつける(これは5月が限度だ)ことである。そのことに全力を尽くせばいい。誰も民主党に自民党のコピーなど求めてはいない。思い切った政治主導の政策をやることこそ求められているのである。

それが「政治と金」の問題でゆさぶられそれを気にするあまり、その時々で政府・党の政治姿勢が右往左往するようでは、何もできないままだ。腹をくくるときは腹をくくらなければならない。時には思い切ったスルー(必要以上に政治と金の問題にゆさぶられない)も物事をなしとげるためには必要である。

その結果支持率が下がろうが、「官の是正」は今やっておかなければもう2度とチャンスはめぐってこない。それが鳩山内閣に課せられた最大の使命であり、もっとも肝に銘じておくべきことである。国民的利益を無視した官益は、今徹底的にたたいておかなければならない。官益優先の現状を改善し不必要な規制の廃止と必要な福祉制度のもとで、(税の)効率的な所得の再分配が行われなかればこの国に未来はないのである。
[PR]
by phtk7161 | 2010-02-19 01:25
小林陣営の経理担当者が現金授受について、公選法に定められている収支の記載をしなかった事件が明るみになった。以前のべたことだが、昨年の衆院選は当初の予定より1年近く延びた。麻生政権は誕生直後(一昨年)に選挙管理内閣としてすぐに選挙をやる予定だったが、未曾有の金融問題に対する景気対策ということで、結局先延ばしにしたわけだ。

選挙の先延ばしの理由として、経済対策面もあったとは思うが、しかし本線では間違いなく政策面評価での支持率回復待ちと翌年のサミット出席、そしてなにより民主党への兵量攻めの意味合いがあったことは確かだ。

現に小林千代美陣営の関係者も取材先に「2008年の末から事務所の維持費がどうにもならなくなった」ということを認めている。確かに2008年の秋には予定通り(当時の大勢なら)なら選挙は済んでいたわけだから、そうなって当たり前だったと思う。そういう意味では自民党の兵量攻めは確かに効をそうしたといえよう。

ところでなぜ小林千代美陣営が金を表に出せなかったのか。それはおそらく金のでどころを余り公にしたくなかったことと運動員の確保にからんだことだと思われる。残念なことだが純粋にボランティアで選挙を手伝ってくれる人間を確保することは難しい。一部の人間を除いて、バイト代を運動員に払うことは禁止されている。使い道にそれを書くわけにはいかないから、そういうこともあったのかもしれない。

もっともこれは小林議員だけではない。前回参議院選挙で公明党の松あきら議員が繰り上げ当選したが、そのときには自民党の議員が運動員に金を払った(バイト代)問題で辞職している。だからこの手のこと(政治と金)は民主党が自民党がというより、議員それぞれの金銭的台所事情と運動員の確保をどううまくやるかの問題にすぎない。

今自民党も、政権から滑り落ちた以上台所事情はかなり厳しい。野党だった時の民主党の「選挙と金」についての苦しさ(あぶなさ)に、今後自民党も直面することになろう。

自民党への政党交付金は大きく減った。民主党との衆院での数の歴然たる差をみれば、企業からの政治献金も減るだろう。落選議員にとっては日常かかる費用の捻出(事務所家賃・人件費などの維持費)でさえままならないのが現実だと思う。

そういうなかで自民党が企業団体献金を廃止し、クリーンな「政治と金」を標榜して法案に賛成することができるかどうか。無理だと思うが、仮に賛成したとしても個人献金を隠れ蓑に、実質これまでと同じじゃないか(金の出どこはもとをたどれば同じ団体や企業だったというような)ということもありえる。もちろんこれは与野党とわない。

その意味では、企業団体献金禁止が法制化されたとしても、違法で逮捕されるかされないかは結局うまくやれるかやれないかの「ノウハウ」にすぎないという面も否定できない。だからこれで問題がすべて解決というわけにはいかない。しかしそれでも企業団体献金禁止の制度が、問題解決への一歩前進であることには違いない。今は抜け道をより防ぐことをめざし、当然法制化を進めなければならない。

         ☆         ☆         ☆  

ところで、この「政治と金」の問題の本質は実はもっと奥深い。選挙運動のありかたに関して言えばたとえ公選法には反していなくても、職を世話してもらったり将来の仕事面などでの見返り(何もこれはゼネコンに限らない、学生ボランティアや学会員でもそういう面はある)を期待して、選挙に協力する運動員もいる(もちろん全員ではないが)。

バイトとしての現ナマ(一部をのぞいてもちろん違法)か将来の見返りか。生々しくないだけ一見後のほうがましなようにみえるが、額からいえば後者のほうが将来的にはずっと高くつくといえる。その意味では、団体や個人(何らかの団体や企業)が何らかの具体的見返りを期待して選挙に関わる限り、それは選挙でのバイト代以上(違法)にもっとやっかいな問題といえる。

「政治とみかえり(具体的な利益)」。この問題が解決されない限り、本当の意味での「政治と金」の問題の解決はないといえるのである。
[PR]
by phtk7161 | 2010-02-18 03:23
ようやく、オリンピックで小沢報道もひと休みといったところ。国母問題でもそうだが、世の中には何か問題をおこした人間にメディアやネットがこぞって批判報道(特に映像)をすると、そのバッシングにのっかり騒ぎ出す人間がいる。

相手の人格まで全否定してやりたいほうだい。関係機関に抗議の電話をかけるは、中傷するわ。いつも思うが、こういったたぐいの人間は結局のところ今の自分の別の不満(今の存在位置の不満)のはけ口をさがしているだけである。

なるほど国母の服装はよくない。記者会見での態度も最低だといっていい。しかし何も犯罪を犯したわけではない。非難は当然としても「出るのをやめさせろ」はいただけない。

幹部のなかにも出場停止をさせる意見もあったそうだが、だいたい服装や態度について国母に注意する機会はそれまでにもあったはずでこれくらいならあんまりうるさくいわなくてもまあいいやと思い・・・実績を重視して・・・注意しなかったのだろう。

規範違反は、競技そのものとは別のこと。オリンピックの後で何らかのぺナルティ与えればよいだけのことだ。大会出場停止など国粋かぶれのアホが考えることである。

私事になるが、私は職場で突然鼻ピアスをしてきた人間に鼻ピアスをやめるかマスクをするか即時に注意したことがある。それができなければここをやめてもらうことになるといった。結果マスクという結論に落ち着いた。

人を注意するならやはりはじめが肝心である。時宜に遅れた注意はもう遅い。それまで容認してききて、公式のイベントなら言わなくてもちゃんするはずだと思っていたすれば、責任者(幹部)も認識が甘すぎるといえる。国母は結局大会にはでることになったが、もし召還されていた場合には、幹部の首も同時にとばして当たり前だったと思う。

今回のようなバッシング人間をみていつも思うことは、彼らは決して暴力団や検察などの物理的権力機関にはこの種の行為はしないということだ。彼らがそうしないのは、万が一の仕返しされるかもしれないと恐れているからだ。ここが彼らの本質をあらわしている。それは国威をバックに自分が弱虫なのをそう思いたくなくてやる一種の示行為にすぎない。

イラク人質の高遠さんのときも、この種の人間は騒ぎたてていた。あげくにウソの出前やタクシーの依頼などの嫌がらせまでやるしまつ。これは国粋馬鹿議員が・・・今や落選してただの人も多くなったが・・・「反日国民」とやりだし、それに馬鹿メディアがのっかた出来事だった。これこそまさに、イジメ大好き人間たちの集いといえよう。

物事のある一点だけをみて、全部を非難する。全体の流れや本質にあるのもをみようとしない、挙句にその批判行為もやりたい放題。こういうバッシングとイジメの構図は同じなのだ。それだけ弱い人間が多いということだろう。
[PR]
by phtk7161 | 2010-02-16 15:42
法的レベルでは小沢幹事長の問題は政治資金規正法の要件にあたらない。しかし彼が金に「純」な政治家といえばそうではない、それは確かだと思う。そんな小沢幹事長と鳩山首相の金の多くが選挙の勝利のため(もちろん公職選挙法には合法な形で)に使われたことは間違いない。

与野党問わず、選挙には金がかかる。政権交代決定後判明した自民党時代の内閣官房費の使われ方をみても、自民党は選挙に多額の金(こちらももちろん合法な形で)をつかったことは確かだ。そして選挙の期日は当初の見込みから1年以上延びた。自民党には民主党以上に多額の政党交付金があるし、「官僚的なるもの」にささえられた企業(経団連などその代表)もべったりでその献金額も多い。

1年延びた間にも、事務所費用は発生するし、人件費も発生する。新人議員の多くにその費用を自ら捻出せよといっても、それはかなり難しい。その分党が援助しなければならない。しかしそれは莫大な額だ。政党交付金は黙っててももらえるが、それ以外は誰かが用意しなければならない。相手の自民党は「物量(金)」は豊富、そんななかで選挙のための「必要経費」の負担費は誰かがやらなければならない。そうでなければ、政権交代などなかったといえる。

「金と政治」で小沢批判をする議員。好きに発言すればいい。しかし誰かが多くの新人議員を物心両面でささえ、その新人が数多く当選したからこそ、政権交代が実現できたのだ。それはまぎれもない事実である。物理(物量)面で汗をかいたのは誰か。組織との信頼性を培い、一定の固定票を確実なものとしてきたのは誰か(全国レベルで)。

小沢批判の議員は、自らの選挙は自立した力(物量も含め)でやってきたことと思う。しかしそんな彼らが、他人(他の候補者)ための物量のアシストどれほどできたといえるのか。みんな(新人でも)が自立的(物量面も含め)に戦えるのをまっていたら、政権交代など半永久的にできない。小沢幹事長・鳩山首相以外にいったいどれほどの議員が、他の立候補者のために物量面で汗をかいただろうか。まさか「私が応援演説さえすれば、多くの議員を当選させられる。」そう思っていたわけではあるまい。選挙は口だけあれば財布はいらないというわけにはいかないのだ。

          ☆         ☆         ☆

政権交代後(それ以前のものではなく)の事実で「金と政治」で批判するなら大いに結構。新しい政治体制になったのだ。当然「金と政治の問題」も新たな段階にはいったといえる。違反した議員には、離党なり、辞職なりもとめればよい。新しく政治資金規正法を改正し、政治家に対してぎゅうぎゅう厳しくするのもいいだろう。第一それは金頼みだった自民党に打撃(自民党の政党交付金もずいぶん少なくなった)をあたえることにもなる。あるいは行政組織と裏金をとりしまる法律をつくるのもいいだろう。もちろん政権交代以後の事実で小沢さんに金の問題がおこったら、そのときは当然小沢さんも首である。

しかし「過去の金」のことで小沢幹事長(あるいは鳩山首相)だけを攻めるのはあきらかに間違っている。「金と政治」の問題は自民党とも切っても切り離せない問題だし、「裏金」の問題も検察を含め「官僚組織」とは切り離せない問題である。さらにいえば、金やコネになびく私たち市民社会のほうにもそういった要因がある(むしろこちらのほうが大きいかもしれまい)。「政治と過去の金」を問うなら、それらすべてひっくるめその体質全体を問わなければ意味がない。

それも考えず「官僚的なるもの」が作りだした流れにのっかり、小沢批判の政治家は物量面で汗もかかなかったのに、金と政治をやりだまにやすっぽい正義感を振りかざす。市民社会も自らの身近な「ズル」はたなにあげ、政治だけクリーンを求める。そのあげくが「官僚的なるもの」への強烈なアシストだ。アホか。小沢なくして「官僚なるもの」と戦えるものか。

もちろん小沢ぬきでも、十分「官僚的なるもの」と戦えるというのなら結構。しかしここまでみてきても、現に閣僚の多くはアップアップ。岡田も今や外務官僚にのまれつつある。とてもじゃないが、人間をしらずして「官僚的なるもの」と戦えるわけがない。アメリカともまともに交渉できるわけがない。それでも「金が」というならずっとメディア一緒に小沢批判をつづけることだ。きっと「官僚的なるもの」は君らをよくやったとほめてくれるだろう。まさしく勲一等ものだ。

私はこれまで自らの職的もので、なんらのやましい金もコネ(親)もつかったことはない。自らの優位性をもとに人にたかったこともない(当たり前だが)。その自信のある私がいう。小沢やめろのクリーンな政治家クリーンな国民たち。さぞかし君たちは、立派な人格なんだろう。きっと金もコネもつっかったことはないのだろう。でもただそれだけだ。過去の問題の内実をみずに表面だけをみて、汗もかかずに将来を見ないものには決して新しい政治などできっこないのである。
[PR]
by phtk7161 | 2010-02-12 02:33
政治がクリアーならば、我々一般社会もクリアーになるかといえばそうではない。政治は一般社会を写す鏡だ。だから真理はむしろ逆で、一般社会がクリアーならば政治もクリアーにならざるをえない。それが真理といえる。個々の人間が、まず自分の身近なことからなるべく「ずる(金・コネ)」をなくしフェアーに生活していく。良い政治を実現するには、それこそが、本当に重要なことなのだ。

ところが世間というものは面白いもので、自らの「ずる」は棚に上げ政治にだけ「クリーン」さを求める。あるいは、政治の答えが○×式にだせると考える人もいる。しかし政治というものは実際は生身の人間を前提としてなりたっているものだ。欠点のあれば長所もある。そういう中では物事を多角的にみてより妥当な結論を出していくことが何より重要となる。

        ☆          ☆          ☆

今政治において、解決すべき最大のテーマとは何か。それは「官僚的なるもの」の是正をおいて他にない。

長い間この国は、官僚を中心として動いて生きた。政治家が主導しているように見えて、私たちが選んだ政治家は結局「官僚的なるもの」に動かされてきた。国家の方針の決定権は官僚組織>政治家だったわけである。

それは時に政治家が決断しているように見えても、結局は官僚の「利益」=「国益」を最優先に物事が決定されてきたのである。したがって今度の政権交代のもっとも大きな意義は、このことの是正をおいて他にない。

面白いもので、政権交代は本当にこれまで見えてこなかったものの姿を明らかにしてくれる。「官僚的なるもの」といえば、もちろん官庁のキャリアが代表的者であるが、それだけではない。検察もそうだし、メディアもそうである。

ことに大手メディアは記者クラブというギルド的形のもとで、「官僚的なるもの」のなかで保護されてきた。官僚主導の世界の範囲で、彼らはメディアなるものを演じさせてもらっていただけだ。そうでなければ、検察調査費(裏金)の問題も、西山記者事件での問題のすり替えも、アメリカでの日本大使呼びつけられ騒動も多角的情報提供のもとで、もっとさまざまな角度から報道されてきたはずである。

さらに「官僚的なるもの」に甘んじてきたのはメディアだけではない。たとえば共産党もそうである。共産党は今度の小沢問題で、検察の捜査批判はほとんどしていない。リークの問題。検察自身の金の問題。法律要件の問題。あげていけばいくつも疑問はある。さらに、小泉政権以降の特捜部の捜査対象になった政治家をみれば、その対象の偏在性にはあの論理性にたける共産党のことである、とっくに気づいていたはずだ。

しかし考えてみれば、共産主義はまず中心の指導組織(たとえば最高ソビエト)のもとで国家体制をうごかしていく。そこで要となるのは当然「官僚」。上からの指導体制なわけだから、「官僚的なるもの」とは切っても切れない間柄ともいえる。実際各省の中にも共産党に情報をもたらしてくれる「シンパ」はいるだろう。

いずれにしても、共産党は政治家は批判できるが「官僚的なるもの」は批判できない。ましてや最大の行政処分力をもつ検察とはうまくいやっていきたい。これが党の本音だろう。つまり政権交代には協力できても、「官僚的なるもの」との戦いには協力できない。そういうことである。そうでないというなら、いまからでも遅くはない検察(たとえば女性秘書への捜査の問題)やメディアへの批判(リークの問題)やってもらいたいものだ。

         ☆          ☆         ☆

「金と政治」の問題が政治において長年のテーマだったことは事実だ。その金がもっとも政治で必要とされる理由は「選挙」のことをおいて他にない。そして長年与党政権にいた自民党はそれを「武器」にずっと政権を維持してきた。「選挙に金をかける」=不純というなら、自民党もまさしくそれをやってきたのだ。そのやりかたが、選挙でかなりの効果をあげてきたことは疑いようもない事実である。

相手が兵量(金=不純)的戦いをしかけてきているのに、一方は「まったくのクリーン(純)な戦いでで政権を勝ち取る」という。どこの馬鹿がいうことか。そうやって自民党体制の一党独裁は長く続いていき「官僚的もの」はますます肥大化してきたのだ。長い間与野党ともそういう環境の中で、自己満足的にぬくぬくすごしてきた。政権交代なければそもそもまともに「金と政治」の問題など永遠に解決しないのにである。

まともに政権交代をめざすことを放置してきたあげくが、たとえば「年金」の問題であり「道路」の問題「沖縄」の問題である。これらの問題の根底には、それらの政策が政治家以上に「官僚的もの」を潤すシステムになっていたことがある。政策がそもそも国民を潤すシステムにはなっていなかったのだ。そうなった責任は自民党だけにあるのではない、長い間選挙での戦いを「本気で政権交代可能にする」形で戦ってこなかった野党にも(自己満足政党)はある。そのことは否定できないといえよう。
[PR]
by phtk7161 | 2010-02-12 02:10
今回、今までに類をみないほどの検察への捜査批判が多かったのはなぜか。それはなんといっても捜査の公平性への疑問が一番にあげられると思う。

捜査が政治に影響を及ぼす場合、捜査の公平性はより要求される。西松の政治資金の流れについては自民党にも同じような疑惑はあった。現に西松からの献金を受けた議員の数は民主党より圧倒的に多い。

ダムに関して小沢氏の実質的力を摘発するための捜査(この実質的力は断じてなんらの犯罪の要件にもならない)もおこなわれたが、こうした力を背景に数々の公共事業で口利きをしてきた議員は何も小沢氏だけではない。自民党にも間違いなくいる。ことに自民党議員は、つい最近までながく与党にいたわけだから全国的規模で同じ様な事案をみていけば、野党に比してその数は圧倒的であろう。

仮に今回の捜査の進め方が、小沢幹事長の捜査と平行した形で別の自民党の大物議員にも行われていたら、もう少し違った流れになっていたはずだ。

与党議員の場合は単なる政治力の問題に限らず、収賄罪の要件である具体的な職務権限性も小沢氏以上肯定しやすい。もし検察がその気になって小沢レベルの捜査をすれば、自民党の「金と政治」の問題を小沢氏の問題と同じように捜査にのせることは、そう難しいことではない(もちろん小沢捜査の困難さと比較してだが)。

検察(特捜部)が小沢幹事長だけを「狙い撃ち」している捜査であるとの疑問をもたれないためには、同時に自民党議員にも同じレベルの捜査をおこなうべきだった。しかし特捜はそうしなかった。もし政権交代をはさんでの長期の捜査で、検察がそれ(捜査の公平性)をいささかも意識しなかったとすれば、あまりに捜査のスジが悪すぎるといえよう。

        ☆          ☆          ☆

事件性への有無についてよく、金額の多寡や事件捜査への協力姿勢がとりあげられる。しかしそれは裏返して言えば、検察の「主観」で決めることができるということでもある。たとえば金額について、私は数百万から1000万レベルの(問題ある形での)政治献金を決して安いとは思わない。なぜならその献金が毎年継続的であるなら、その総額はとても些細な金額とは到底いえないからである。

またある団体からの問題ある献金が、A党は一人だけだがその金額は1億、B党は十人いるが総額は同じ1億である場合、A党一人の議員だけを摘発することももおかしな理屈だと思う。この理屈が通るならもしB党が政権党である場合、党としての力を背景にそうした団体を10個用意すれば、簡単その党は金の問題をクリア(それぞれの金額が低いから捜査対象にならない)できることになるからだ。そして政権党ならそれはより容易である。これでは、決して「金と政治」の問題はいつまでも是正されないことになる。

したがって「金と政治」における不正をただすことが捜査の根底であるなら、別の党にも同じ疑惑があるときは該当する議員全体(議員全員の総額)をみて考えていくべきで、(個々の議員の)金額の多寡とは関係なく該当する議員はすべて政治資金規正法で起訴していくことが、法の本来の趣旨(政治資金規正法の趣旨)にもかなうものといえよう。しかし今回西松に絡んでの捜査はその形で行われなかった。

また政治資金規正違反に関わる事例は、多くの場合単なる修正ですまされ何の咎めもなしですんでいる。逮捕まで至った事例でも坂井議員(自民党)の場合は、本人が直接相手方(政治資金の寄付者)に金を強制し、私的なことでも日常的にたかっていた(つまり犯罪事実の認識があった)実態は証明されていた。また金丸元副総理の場合はワリコーを使って財産を隠した事実(本人に認識があったことは容易に証明された)や、金などの物的証拠もおさえられていた。

しかし小沢氏の場合は、坂井元議員や金丸元副総理レベルの証拠はなんら明らかにされていない。どうみても政治資金規正法違反(石川議員などの)はやはり修正レベルですませるものといえる。

       ☆           ☆          ☆

もしそれではおかしいというなら、それは政治資金規正法自体の問題や、検察の同法の運用の仕方に問題があったといえる。ある日突然、その法的解釈(収賄罪の代用)や同罪での捜査方法がなんでもありになってしまう・・・メディアを手下として使い放題(対象者のイメージダウンを先行させるためのリークなど)・・・ようでは、それこそ法治国家ではない。

金と政治の問題をとりあげるのなら、今はむしろ将来のあらたな立法やそれにあわせた捜査法が論議されるべきなのだ。他の議員も過去を問われれば、第二・第三の小沢問題などすぐにつくれてしまう。政治資金規正法は国会議員を検察の人質にするための法では決してない。しかしメディアはただただ大きな数字をおどらせ、センセーショナルに世論をあおるだけで、いつまでたっても全く法的レベルの論をしないままだ。

        ☆          ☆          ☆

個人的資産や政治献金(迂回献金の実態)で、小沢幹事長だけが許されないレベルのものだと思っている人はかなりおめでたい。同じ犯罪は同じように摘発しなければ意味がない。検察の主観的な匙加減で捜査の決定がなされるなら、検察組織にとって邪魔な議員はメディアを通じて世論をあおることでいつでも蹴落とせることになる。ことに検察の調査費(裏金)問題がでた以降の小泉内閣での検察が摘発した事件をふりかえると、どうみても恣意的捜査(ターゲットにされた人物をかえるみると)の疑いがぬぐえない。

なぜに調査費の問題は放置されたのか。告発者の逮捕に口封じの意味は絶対無かったといえるのか。小沢問題での検察の証拠は状況証拠のようなものだが、検察のこの問題を状況証拠でみれば、その嫌疑は小沢幹事長以上に濃厚(横領・背任・詐欺・その他の規則違反)だろう。このことはどのメディアも十分分かっている。政治家(この問題を知らない政治家はバカ)も分かっている。分かってて検察の仕返しを恐れ、多くは沈黙したままである。

メディアが本当に小沢問題を扱いたいのなら、検察の調査費の問題も同時に報道すべきだ。それは小沢問題とは関係ないとはいえない。それは検察の信頼性(恣意的捜査)をはかるうえで、重要なバロメーターになりうる要素である。世論に小沢問題の判断を問うなら、この問題をメディアは避けて通れない。

過去の金の疑惑は何も政治家の専売特許ではない。検察にも金の疑惑は存在している。その疑惑を世間全般に知ったもらったうえで、さて世論がどう判断するか。「正義」はそういう中で行われなければ意味がない。それをしないで、世論の声としてメディア(ことに)が一方の問題だけを騒ぎ立てたところで何の説得力もないのだ。

メディアは検察の調査費問題に完全に沈黙した(過去も今も)。そうした媒体のどこに説得力がるといえるのか。検察も権力である。ここに完全に沈黙してぶら下がるメディアなど、もはやメディアではない。そういった意味では今や多くのメディアは、無用の長物どころか害悪であるとでさえいえると思う。
[PR]
by phtk7161 | 2010-02-09 03:52