社会問題を考える


by phtk7161
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

<   2010年 03月 ( 8 )   > この月の画像一覧

小泉郵政改革の中心はいうまでもなく竹中氏だった。彼は本来郵便事業には興味はなく(だからセーフティネットのことなどおざなりであった)それはあくまで郵貯解体のための付属事項であり、その本丸はもっぱら郵貯資産を米国にどうやって活用させるか(ハゲタカにえさを与えるか)という点にあった。そこに「郵便制度のもとで培ってきた国民資産を、国民のためにいかに守り活用すべきか」という理念などまるでなかったといっていい。その点で郵政改革のある程度の見直しはあって当然であろうと思う。

しかしかつての郵政事業にまるで問題なかったわけではない。財投(財政投融資)の使われ方をはじめとして、地方の利便性確保の意義はあったにせよ自民党の集票マシンだった特定郵便局長制度もやはり硬直しすぎていたし、民間での金融機関護送船団方式が崩れ去ったなかでは、金融もある程度見直される時期にはきていたといえる。

もちろん現在でも「公的な郵便制度」と「公的な金融機関制度」は今の地方の現実を見る限りは(政治はそのためにある)、その機能は最低限維持しなければならない。「過疎地にすんでいてメールも使えないほうがおかしい」あげくには「不便がいやなら過疎などに住むな」というせりふは、政治オンチの馬鹿がいうことで、誰がどこに住んでいても一定水準の生活を確保することこそ政治の役目である。郵政のありかたもその観点から考えられる必要がある。

そのうえで、亀井のいった2000万。社民党も賛成だそうだが、馬鹿げている。「公的な金融機関制度」はあくまで多数の民間銀行を利用できない(年配者にはネット銀行利用など難しい)人のため、あるいは投資的リスクを避けたい人のために存在すべきだ。その点からすれば「1000万から2000万の現金を持つ人」がその恩恵の中心であるべきかといえば、そうではないといえる。

小泉政権下の経済格差が広がっている状況のなかで新政権は誕生した。「1000万の現金」をもてない人も多い。確かに老後資金としては「2000万」でも十分とはいえないだろう。しかしそれを考慮しても今の社会の状況を考えるときその限度は多く見積もってもせいぜい「1000万」といったところ(現金資産としてこの金額させもっていない国民のほうが多いのだから)だろう。1000万を超えた現金についてその余力のある人に「民間活用」を考えてもらっても決して「生活が一番」に反するものでない。

民主党は足元の生活に目をやる政治を標榜してきた。それはある層だけを特権化した政治ではない。私は民主党の政策の本質から考えても「2000万」という数字はありえないと思う。国民新党も社民党も「格差批判」をしながら「1000万から2000万」層は守るべきとするなら、彼らの「格差」はどこを見据えているのであろう。郵政会社の社員化は、「人の使い捨て」是正の社会啓蒙の端緒としてまだ許容していく余地あるにしても、預け入れ限度額「2000万」の余地はないというべきである。

これに対して国民新党、社民党は反論するだろう。「いや1000万から2000万層を保護するためではない。官の金融資産をなるだけふやして、それを弱者救済運用につかうことことがその趣旨なのだ。」と。

しかし政治課題の本質は「官と民」の政治機能バランスを以下に図るかである。公的「郵政」を中心にすえて、そこから経済立て直しをは、かつての自民方式となんら変わらない。郵政制度の存在は最低限の「郵便サービスと」「金融資産の安全確保」にあるのであって、それ以下でもそれ以上でもないのである。その意味では彼らの考え方は、旧態前依然の自民党時代と何ら変わっていないといえる。

民主党は今回の郵政改革法案ではほかの点はともかく「2000万」という数字は完全修正する必要がある。それは民主党の本質(政権交代の意義)にかかわる。今回の問題は小沢氏政治の本音を見極めるいいきっけかにもなる。「政策」より「選挙」が彼の政治のすべてなのかどうか。

本来「2000万」の問題はあくまで「額」の問題であり、問題の規模からいえば内閣の命運を左右するほどの問題ではない。しかし質的側面から言えば、ある意味「普天間」や「参議院選」以上に民主党にとって重要なことだ。国民・社民をきってでも「2000万」は修正しなければならない。閣僚懇談会(結論は一度ではでないと思うが)での結論は、鳩山内閣の今後の命運をにぎっている。民主党政権は、この問題でいよいよ正念場を迎えたといえるだろう。
[PR]
by phtk7161 | 2010-03-30 12:55
陸上自衛隊前連隊長の日米同盟に関する発言での注意処分をめぐり、他の部隊でも首相や処分に対しての批判行為が明らかになった。ひとつは中隊長の一等陸尉の訓示での首相を批判。もうひとつは三等陸尉が捧葉副大臣に対し、連隊長の発言は正当だとして処分批判のメールを送付したものである。

この問題は当然ながらシビリアンコントロールが関係してくる。

日米同盟のありかたが、政治上の問題であることはいうまでもない。その決定権は国民を代表する国会とその信託をうけた内閣にあり、内閣は軍的組織(自衛隊)に影響されてはならない。これはシビリアンコントロールである以上、当然の形である。

               ☆           ☆          ☆                      

政治に関して(たとえば日米同盟がどうあるべきかについて)、自衛隊員それぞれが内心でどう思うとそれは自由である。また選挙でその意思を投票行動に表すことはもちろん、外的表現でも隊員同士の会話(たとえば飲み会などで)レベルなら問題ないといえる。

しかし発言が公的な場所あるいは政治家に向けて(特に内閣)発せられた場合は別である。なぜなら、こうした行動は政治的に影響を与える具体的危険があるからである。この形で彼らがどうしても政治に参入したいのであれば、軍事組織(自衛隊)を離れて(離職して)参入していく(田母神氏もそうした)のが、シビリアンコントロール下での政治と軍事のありかたである。

以前にも述べたが文民統制の本質は単に軍的組織に対する民主的コントロールというだけではない。それは民主制度の本質にも関わる問題である。

最大の物理力(軍事力)をもつ組織(軍隊)の政治的意思決定への参入は、「理」による民主的決定を壊して「物理的力」による決定をもたらす危険を秘める。つまりこの組織の政治決定への参加は、そもそも民主制度の本質になじまないのである。たとえば軍事国家(ミヤンマーなど)は「物理的力」によって民意を反映することなく(民を黙らせ)政治をおこなっている。非民主政治の最たるものである。

  
                ☆           ☆           ☆


一等陸尉は、訓示(しかし飲み屋の会話レベルとは明らかに違う)での発言であり「公的」ではないとして、厳重指導にとどめられた。ただ発言の内容は文民の代表である最高指揮官(首相)批判であり、これがくりかえされれば文民軽視の危険は高まりシビリアンコントロールは形骸化してしまう。今後も同じ発言(訓示レベルでも)が幹部レベルで繰り返されるようなら、今回と同じ処分で済ますべきではない。

また最初に問題となった前連隊長については、発言の「故意性」は低いが公的発言である以上処分はやむをえない。

この二人と違い、三等陸尉の場合はかなり問題である。政府(内閣)の一員である副大臣と分かったうえで、「故意」にメールを送っている。しかもその内容は政治上の問題での処分に関する批判であるから、まさに政治的意図をもって行われた行為といっていい。

これは単に副大臣相手の政治的意思表明というだけではすまない。その本質は「政府」とそれに信託を与えている「国会」さらには「国民」に向けられた行為といえる。文民に向けられた行為という点で、3人のなかでシビリアンコントロールへの違背性はもっとも高い。同僚への処分に反論があるとしても、文民に向けてのあまりに直接的すぎる行為である。この点で彼の処分が口頭注意処分ですまされていることはあまりにも軽すぎると思う。



                 ☆          ☆         ☆

今回の出来事をみて改めて思うことは、自衛対内でシビリアンコントロールがかなり軽視されつつあるということである。

その原因としては、(1)自衛隊がアメリカ国防総省を政府以上に重視していること(2)田母神問題でみられた文民制度軽視の風潮、(3)かつて石破元防衛大臣が述べた制服組への「意見の奨励」・・・これは政治家と制服組のなれあい次第では文民側による文民統制制度の放棄と変わらなくなる・・・などが影響を与えていると思う。

彼らは彼らなりに「職業的専門家」として「あるべき日米同盟」に対しての考えがあろう。しかし一方で彼らにはまたその職業性(物理力)ゆえ、政治との一定の距離(=「非干渉」)も求められている。彼らは政府から与えられた一定の枠内では決定権をもつが、その上位の枠(日米安全保障のありかたもそうだ)では、彼らは決定権を持たないしそれに関わること(影響を与えること)もできない。それが今の「政治」と「軍事」のありかたである。

安全保障の機能として国家最大の物理力をもつ組織と、それゆえの非民主政治の危険(「理」より「力」)。今改めて自衛隊という組織には、「軍事」と「民主政治」のありかた、すなわちシビリアンコントロールの重要性への認識が必要と思う。
[PR]
by phtk7161 | 2010-03-28 23:13
今の鳩山政権の苦境の理由を私なりに考えてみたい。ざっとあげれば次のとおりである。

まずは政権外の要因。

(1)本腰をいれて政策をやる前に、最強の官僚捜査機関である「特捜部」の強引な捜査とそれに追随したメディア報道で「カネにダーティな政権」というイメージを植えつけられてしまったこと。

(2)(1)のことについて世論の多くものっかってしまったこと。その結果今解決すべきもっとも重要な政治課題が、「政治とカネ」最優先になってしまったこと。

(3)「政治とカネ」への批判と捜査機関(検察官僚機構)への対応に揺さぶられ、その対応に一定のエネルギーを使わざるを得なくなった結果、最優先課題であるはずの「政治主導(いきすぎた官主導の政治是正)」ができにくくなったこと。

(4)新政権への度量(我慢)が、多くの国民にまだまだ備わっていなかったこと(政治を感覚的にみることから脱しきれていない)。さらに官僚機構のやっかいさ(したたかさ)というものを、まだ多くの国民に理解できる力が実質的には備わっていなかったこと。

(5)多くのメディアが、メディア自身のために作る物語的報道遊び(国民の政治嗜好性をあおる遊び)にあいも変わらず興じ(これは自民党時代からそうであるが)、「政治とカネ」についても政治報道に比べ検察報道には必要以上に腰が引けていたこと。

次に政権内の要因。

(1)対米追従改善の姿勢を示すためだとしても、沖縄の問題を必要以上に混乱させたこと。県内移設という結論であれば、去年内に決着することだけは回避させ(県民の意見を聞く)、2月頃には明確に県内移設を内閣として示すべきだった。

県外への期待を必要以上に地元に持たせることは、県外移設への高い可能性がない限り・・・アメリカと本気で渡り合う気がない限り・・・やるべきではなかった。この点で鳩山首相が八方美人過ぎたことは否めない。時間をかけたことが、結果としてかえって不必要に県民の気持ちをもてあそぶことになった点については、素直に謝るしかないだろう。

(2)官房長官が決定的に力量不足だったこと。ことに官僚と対峙することに腹が据わっていなかった。おっかなびっくりで、右往左往のしっぱなし。官僚機構から様々なゆさぶりうけても、ひるまずに官僚と喧嘩してでも(ことによったらやめる覚悟で、ただしそのときは官僚も道連れにするくらいの覚悟で)新政権の官房長として官の姿勢をだしていくべきだった。沖縄問題が決着したら、官房長官だけでも変えたほうがいい。

(3)小沢幹事長のメディアへの態度。彼の言い分は相当だとしても、あまりに態度が悪すぎる。あそこまで不遜だと、メディア人やメディアを通して彼を見る国民も、彼にマイナスのイメージを抱いて当然だと思う。衆院大勝直後の態度から、彼のメディアへの対応には懸念をだいてたが、結果として「政治とカネ」の問題でも、この態度が相乗効果となって今現在の状況を招いていることは否定できない。

この彼の態度は党幹事長としてのメディア対応という点からみても0点に近い。土地土地に行って直接市民のまえでの話す時はかなり好感がもてるのに、メディアの前ではとたんにだめだ。過去現在を含め、メディアに対するトラウマがあるのかもしれない。いずれにしても彼のメディアに対する態度は、民主党にとって大きなマイナスの要因といえるだろう。

(4)連立の相手、ことに国民新党の亀井代表にかなり好き勝手にかき回されたこと。彼の論はそれはそれでひとつの考えだろう。しかし民主党の本来的な考えより、彼は極端な数値をだしてくることが多く、旧態依然のケインズ的考えから抜け切れていない。景気刺激策だけでなく、無駄な出費を減らす財政再建もまた(確かに両建ては難しいが)新政権には求められている。そののことを彼は考えていない。またもともと警察官僚だった経歴のせいか、官の改革についてはかなり消極的だ。これでは話にならない。

彼は自分なりには民主党との落としどころを考えているつもりでいるかもしれないが、その見積もりがあまりにずれていて甘すぎる。民主党は必要以上に妥協しすぎた。これでは古い政治形態のイメージをだかれてしまう。民主党にとっては国民新党が加わたことのプラス面よりマイナス面のほうが明らかに多かった。これも大きな要因といえる。

(5)あまりに参議院選を意識しすぎ、「チーム鳩山」としての政権への一体感にかけていること。衆議院の安定基盤をいい意味で捉えようとしていない。世論への配慮はもちろん必要だが、必要以上にその風におびえすぎである。不必要におもねないで、政府与党として一体感をもって政策を進め、国民に選択をゆだねるのも政権党としてのひとつのあり方である。負けたら負けたとき。そういった開き直りも必要である。

以上いろいろ要因をあげてみたが、人材不足(秘書など)や予想以上の大幅な税収の低さなどほかにもいろいろあげられる。

ここまできたら参議院選のことなど気にせず、鳩山首相もいきすぎた八方美人さをやめ官僚機構の是正と景気回復策に・・・私なりには金融資産を利用した景気刺激策(ただし外資に食われない形で、アメリカに資産を渡だけのす竹中氏の政策との決定的な違いを示して)がいいと思う・・・まい進してほしいと思う。
[PR]
by phtk7161 | 2010-03-25 13:43
いったいいつまで、こんなことばかり続けるつもりだろうか。生方議員の解任騒動のことである。

「議員が政策に関わるシステム(政調)が尊重されないのはおかしいと」いう彼の意見は、なるほどひとつの見方であろう。そもそも小沢サイドの政調廃止の理由は、議員が官僚に取り込まれる族議員化の危険を警戒してのことだが、それは一方で執行部の権力集中・独裁の危険がある。また仮に政調を廃止したとして、執行部がピュアーに政治指導をやっていく保障もない。そういう懸念を払拭するため担保的な形を整えるのも執行部の努めであることは確かである。

しかし政調(ないしはそれに類する機構)が復活すれば、それはそれで官僚に取り込まれる危険も十分ある。議員が政策についての情報を役人から得るだけのつもりが、逆にその過程で官僚にコントロールされてしまう危険はかなり高い。なにせ官僚はもっともらしい建前上の筋書きを作るのが抜群にうまいし、政治家に比べ専門の政策に専念できる時間も大幅に多い。これではいつまでも官僚主導の政治から脱却できない。

そのうえで、どちらの側を重視するかは難しい問題である。どちらかが正しいかといううことではなくて、今現在はどちらを重視したほうが良いかということだ。私見で言えば、今は官僚主導の政治をかえることが最大の課題である。そういう点からすれば、政調廃止のあり方も、一定のスパン許容してみるのもいいように思う。ただ政治主導にかえるにしても、もう少し柔軟な対応(政調を廃止するとしても何らかの形で議員の意見をくみあげる場所を設ける)は必要だろう。その配慮が執行部に欠けていたことは否めない。

        ☆          ☆           ☆

とはいえ、今回の生方議員の行動にはその経緯をみると首をかしげたくなる点が多い。

彼の主張は、前述したとおりそもそも執行部の方針と相容れない。批判するとしてもまず執行部内部で、それでもだめなら執行部を自ら退いたうえでメディアで批判というのが本来のスジだ。このことをきちんと分かっていないケースが、このところ多いような気がする。

たとえば内閣制度は首相を長として閣内の一体性を要求される。したがって閣僚が首相の政策に形式的にも賛成できない場合、閣内から去らなければならないことになる(鳩山邦夫が当時の麻生首相に郵政に関してやめさせられたケース)。つまり今なら、内閣にいる以上その内閣は「チーム鳩山(由紀夫)」だということである。

このことは内閣制度と同じではないにしても、党執行部内のありかたについてそうである。執行機関が一体性に近い形でないと、党幹事長をトップとする党執行部は機能しない。執行部の銘銘が好き勝手に言いたい放題では、いつまでも政策などまとまらず立案すらできないことになる。ただ時間を浪費しているだけである。このことは、執行機関に加わる者のイロハといえる。決定がいやなら、出て行かなくてはならない。出て行ったうえでの批判ならそれは自由である。彼にはそれがわかっていない。

         ☆          ☆          ☆  

生方議員ににしても小宮山議員にしても、もともとメディアの世界で生きてきた人だ。だから彼らは行動の基準をどうしてもメディアを主体に考えてしまう。メディアでどうみられるか。どういう位置づけをされるか。メディア(ことにテレビ)はどうしても物事を○×で区分けする。どちらが正義か悪か。今回のことでも彼ら(彼女ら)は自らを正義と位置づけている。その高揚感は映像からもみてとれる。メディアにとりあげられることが、うれしくてしかたがないといった感じだ。

本音の政治と建前の政治。小沢が本音の政治なら、彼らは建前の政治である。表面だけきれいきれいにきかざった世界の政治である。官僚は狡猾だ。建前ばかりを気にするなら、官僚は大喜びである。きれいなひな壇で祭りたてられ、ただコントロールされていくだけである。本気で官僚制度を打ち破るつもりなら、泥臭いといわれようが権謀術数といわれようが、本音で官僚機構と対峙していかなければならない。それもせずに、メディア政治家はいつまで建前の政治の世界にひたりつづけるつもりだろうか。
[PR]
by phtk7161 | 2010-03-22 17:00
少し前のことになるが、自民党の憲法改正推進本部が会合で徴兵制検討を示唆し論点として公表した。その後大島幹事長はあわてて否定したようだが、これが自民党の本音であることは疑いようもない。

そもそも私がこのブログを書き始めたきっかけは、安倍氏が首相になり日本の安全保障がよりタカ派と舵をきる危険を憂いたからだ。幸い小泉改革のひずみと安倍氏の「空気のよめない(KY)」政治センスの本領発揮により、与党(自民・公明)の惨敗で憲法改正の危機は遠のいた。しかし今回のことでも分かるようにその危険は完全に払拭されたわけではない。

ひとことで「政治」といっても、そこにはいろいろテーマがある。何を重視するかは相対的であり、人によってそれぞれ違って当然だ。私の場合でいえば、政治においてはまず人の「尊厳」を第一に考える。

人が人扱いされているかどうか。人の生命が「おもちゃ」のように扱われていないか。法人たる国家(私にとって国家とはその程度に過ぎない)が、個々の国民の利益のために存在するのではなく、ただ法人としての国家そのものの利益(つまりは政治主導者とその仲間たち)を守るためだけに存在していないか。

「徴兵制」は単に18条の問題だけではない。究極的には命に関する「自己決定(13条)」(殺すことの強制・殺されることの強制)の問題である。これを義務化することは明らかに憲法違反だ。石破政調会長などは徴兵制は憲法違反でないと強調し、その正当性を外国の例に求めているがそれは理由にならない。

なぜなら人権と権力分立を基盤とする憲法(現代の立憲民主制)という点では、日本の憲法とそれらの国の憲法とは共有の性質をもつが、こと安全保障の理念・・・これは対外的面だけでなく、対内的問題であるシビリアンコントロールの点も含めて・・・に関しては、他国の憲法より明らかに高い次元をもつ憲法だからである。安全保障に関して他国の憲法は近代前の低い次元でとまったままなのである(コスタリカなどは別として)。

そもそも徴兵制を推進する政治家は、徴兵される側の人間をまるで駒のように考えている。そこにもちろん自分達ははいっていない。われらは駒を使う側。戦争は楽しいゲームというわけだ。そりゃ意識も高揚するだろう。だから「軍事おたく」「国粋おたく」になってしまう。個々の人間の生命の価値、それに対しての意識がない。とてもじゃないが、これじゃ日本国憲法は使いこなせない。だから徴兵制を設けてより次元の低い憲法へ。そう願う自民党。情けない話である。
[PR]
by phtk7161 | 2010-03-18 01:35
今日本の状況が、景気の回復に時間がかかる一方で国の税収はかなり厳しいことは誰しも認識されていることだろう。そして税収を国債が上回る今の現状では、並のやり方では財政危機を脱出するのが困難なことについてもそれは同じだろうと思う。

現在企業が国際競争の荒波のなかで生き残るには大変である。ことにコスト(人件費)競争がもろに価格差に現れる製造業はなおのこと厳しい。

景気が好調で税収も多くなり、それを使って自由競争がきたすひずみのケアーや老後の費用(福祉面)を捻出する。これが通常考えられる財政本来の形だ。しかし日本の現状は、税収は減るわ、なかなか景気は上向かないわ、片や福祉面の費用は増加するわで深刻な状況にある。

この解決のポイントはなんといっても景気の回復とそれによる税収増だが、正直いって今の鳩山政権にはこの点のビジョンが弱い。たとえば環境産業(温室効果対策などによる)による景気対策も、未来効果はともかく即効性的な景気対策が求められる現状ではあまり現実的ではない。

今産業構造は新たな変革が求められている。既存の分野はどれもIT化が進みコスト削減の結果そこで求められる雇用の絶対数は減ってきている。こういった中で雇用をはかっていくためには、当然新たな産業分野の創出かあるいは不足している別分野への雇用転換かということになる。しかし前者はその創出のための原資がだせず、後者は労働への経済対価性が弱い(たとえば介護産業の給与など)。こうした状況を解決するためには、どうしてもある程度の「カネ」を生みださなければならない。

日本の持っている有力な力は国民の「資産」だ。国家の借金は多いが、資産(国民の)は世界的に見ても多い。そこで考えられる一つの手段は「投資金融」である。かつてクリントン政権時代、財務長官だったルービンはこれをクリントンに進言し財務を改善した。もちろんルービンの評価はいろいろだろうし、私も彼のやりかたに全く問題がなかったとはいわない。

しかし今の日本の現状をみるとき、グローバル化された世界経済のなかで今後入り(税収)と出(特に福祉)をある程度の水準で保っていくためには、短期的にでもこの手段考えてみる価値はある。

もっともやるといっても「投資金融」はそもそも「バクチ」の要素を完全にはぬぐえないし、これまでのような「投資金融」は論外だ。やるなら「バクチ」的要素をなるべく排除しつつ、本当の意味での「投資」を行える「投資金融」システム(政策)の確立が必要である。また同時にその政策で入り(税収)が増大した場合に、それを新たな産業分野の創出のための原資や経済対価低い分野の支援(給与向上)のために一定の割合使うことを示しておくことも重要である。

これらを踏まえたうえで、一定期間新しい「投資金融」政策の導入を政府・民主党が検討してみる価値はある。こうしたやりかたは通常「毒」の要素が強いのは確かだ。しかし時には「毒」も使われ方しだい(使う主体も含め)では有効な「薬」にもなるのである。
[PR]
by phtk7161 | 2010-03-15 02:39
「政治とカネ」の問題はもちろん解決するにこしたことはない。ひも付きのカネは、たとえ贈収賄にならないとしても政策のゆがみを生じさせる。今回の政権交代を期に企業団体献金の廃止をふくめた見直し当然あっていい。

ところで「政治とカネ」の問題がある程度クリアされたとして、次の段階で考えるべき新たな問題がある。それは「政治と電波」の問題である。

        ☆           ☆            ☆  

カネをかけずに当選している議員の多くに共通するひとつの要素はやはりテレビへの露出度の高さである。映像(ここではテレビ)への露出度が強い人物はやはり選挙に強い。

今の選挙が、時にある種の人気投票と化していることは否定できないであろう。多くの人は日常、いちいち個別の政策に強い興味をもっているわけではない。そうしたなか、テレビメディアの影響力には多大なものがある。

テレビの世界は視聴率と無縁ではすまない。そこでは視聴者の嗜好性にこたえるため退屈な人物は起用されにくい。どうしてもテレビ側の要求を満たす人物の露出がふえてしまいがちだ。

その電波が過度に政治に関わりすぎるとき、逸脱した「政治とカネ」の問題が政治の歪みを招くように逸脱した「政治と電波」の問題も政治の歪みを招く。

カネと政治が是正されてカネから映像へと移行した結果、次に「とにかくテレビにでることが政治家への登竜門の第一だ。」それでは政治は劣化する。なぜならテレビにはパフォーマンス能力のリトマス紙の役割ははたせても、政治(候補者)資質のリトマス紙の役割は果たせないからである。

「政治とカネ」が問題となりその対策がもとめられたのと同様「政治と電波」の問題も何らかの対策が必要である。テレビ局と政治家との関係。適切な露出度のありかたや露出の公平性とは何か。「カネに汚い政治家」と「電波に汚い政治家」。あるいは「カネをにぎっている政治家」と「電波を握っている(テレビへの露出力をもつ)政治家」。

        ☆             ☆            ☆                

「政治と電波」の問題の考察は、新しい政治のありかたを考えるとき避けることのできない問題であるといえよう。
[PR]
by phtk7161 | 2010-03-08 03:32
舛添議員が谷垣批判とともに、仮に新党をつくるならという質問に対し新党に入れたい人物として「渡辺・前原・枝野」の名前をあげたようだ。

かつて鳩山首相と小沢幹事長は自民党を飛び出し、自ら党をたちあげた。当たり前のことだが「政権取り」は結局は数で決まる。数で勝たないとやりたい政策もやれない。そのためには一定の議員の数の当選がどうしても必要となる。それをやりとげ今回彼らは民主党という「党」でついに政権をとった。

           ☆           ☆           ☆        

一般に考えて、舛添議員や新党で名前の挙がった議員はそうカネをかけずに当選することはできると思う。しかし、知名度の低い人物が新人で立候補するとなるとこれは相当に大変である。

党が丸抱えしてくれない限り、その額は相当なものになる。事務所の賃料・人件費(事務員あるいは秘書)・事務費これに加え選挙が始まれば供託金(これは没収されなければあとで戻ってくるが)に加えその他もろもろ費用がかかる。合法的にどうまじめにやっても当選までにかかる年間の費用は平均的な人の年収などはるかに超えてしまう。これと通常の生活費はさらに別にかかるのである。

             
こういう現実のなかで、新党をつくるとなればどうなるか。まず中心となる党本部の賃貸料や事務費さらにそこで働くの人件費もかかる。さらに本気で政権をとるならこれに加え地方ごとに県連の支部も必要になる。同じくそこでも諸費用がかかる。

もちろん簡単に他党の現議員が多数移籍してくれればことは簡単だ。しかし誰もカネの苦労はしたくないから現実そうは甘くない。結局は新人を発掘しなければならない。でもその新人に潤沢な資産がなければ、結局は党がバックアップするしかなくなる。もしバックアップできないなら結局候補者は政権取りにはるかにたりない人数にとどまってしまう。

つまり新党をつくっても現実を見据えて政権をとるとなれば、それこそ莫大な費用がかかるということである。もちろん党同士の合併での新党つくりならそこまでの費用はかからないだろうが、それでも党名をかえるだけでその関連費などはかかってくる。

       ☆            ☆            ☆   

その現実を間の前にして、かつて鳩山首相と小沢幹事長は自民党をわって新党をつくった。連立政権は短期間で終わってその後はほとんど野党暮らし。あらためて「民主党」として政権取るまで野党としてどのくらい費用がかかったか。莫大な費用がかかったことは想像に難くない。

自民党の選挙費用は民主党以上である。当然だが与党であれば献金は集まりやすい(たとえば経団連の献金費は民主と自民の献金費は1対10以上である)し、政党交付金も多い。長い間常にカネをかけて政権を維持してきたのが自民党である。その現実を目の前にして「カネをかけなくても野党でも勝てる(政権が取れる)のだ」というのは夢見る乙女のいうことである。

今後は政権党になって政党交付金も多くなる。だから鳩山首相も小沢代表もカネで野党時代ほど苦労しないでいい。しかし政権とるまではそうはいかなかった。誰かが物量で汗をかかなければ、政権取りに必要な当選者の確保はできなかった。その事実は見過ごせない。泥はかぶる仕事は他人(鳩山・小沢)に任せ、政権とったらいいとこ取りでカネで「鳩山小沢ひっこめあとは俺たちが中心だ」はあまりに虫がよすぎよう。

過去の問題は自民政権を倒し新しい政権をつくるための一里塚。これからは未来を見据え、より厳しい新しい政治資金法の確立。これが今考えられるベストの選択だと私は思う。

それでも舛添・前原・枝野ついでに渡辺が民主党にそんな過去があってはいけないというなら、新党をつくりカネをかけないで政権が取れるということを彼らにみせてほしい。カネをさほどかけずにカネをかけた自民・民主を倒して政権をとってこそ、本当の意味で「政治とカネ」の問題は解決したことになる。もしそれができたら潔くあなたがたに私もしゃっぽを脱ごう。

          ☆          ☆            ☆

私も政治にカネがかからないことにこしたことはないと思う。今の企業団体献金も、そのもとをたどればその質は綿密にねられた企業費(業種利益とそれにかなう政策の対価)やギルド代(たとえば○○会の会費)のようなものだ。広い意味ではひも付きのカネである。その企業団体献金が廃止されればそれにこしたことはない。もし企業団体献金が廃止されたならあとは個人献金でということになる。

でも正直な話、何のしがらみもなく一般の人がどれくらい献金してくれるだろうか。私で言えばせいぜい年5万(新聞代)かなと思う。見事なまでに検察に迎合した新聞や雑誌をやめればそれくらいはなんとかできる。でもさてほかの人はどうだろう。まず絶望的だ。そりゃやそうだろう自分のために使ったほうが言いに決まっている。

まじめに政治家をやっても一定の額(それも平均的な人の年収をはるかに越える)はかかる。そんな現実を目の前にして、企業団体献金はだめ。でも個人献金はどうも。そんな意識で世間は「カネが」と騒ぐから面白い。
[PR]
by phtk7161 | 2010-03-03 05:23