社会問題を考える


by phtk7161
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テレビでの韓流番組の多さにはみなさん気付かれてきるはずだ。国粋的な人物はそういうテレビ局を強く非難する。

実は私もこのところの韓流番組の多さに少し辟易している。無料ならまだしも、有料ではいっている放送までも韓流番組が多くなってきていて、だから私でさえ韓流を減らしてもう少し日本の番組をと思うのは事実である。

そもそもなぜこうも韓流番組が増えたのか。

国粋的人物たちは政治的なものにその原因を求めるが、それは的外れである。彼らがすぐにそう考えてしまうのは、彼らがノルウェーでおきた乱射事件の犯人と同じ病理的思考の持ち主(おこちゃま)だからである。それくらいならむしろ、韓流番組を輸出する側から、日本の放送局の担当者が何らかの「バックマージン」的ものを受け取ってるからと思う方が、まだありうる話であろう。

韓流番組流行の一番の要因は、テレビの世界がより資本主義的原理(市場の原理)で動くようになってきたことが大きい。もう少し詳しく言えば、番組制作費用(制作コスト)や広告における資本投下と売上の効果との関係(いわば費用対効果)をテレビ側がシビアにみだしたからである。

視聴率でいえば、韓流はそれほど高い数字を生み出しているとはいえない。しかしもう一歩進めて、実際に番組を見ている層に焦点を当ててみていくとどうか。

もともとスポンサーは単に視聴率の高さを求めてお金を出すわけではない。自らの商品の売上げが上がることを求めてお金を出すわけだ。これまで単に視聴率の良い番組にスポンサーがお金をだしてきたのは、自らの商品の売り上げにつながるかを見極める方法が、それ(単なる視聴率)しかなかったからである。

ところがこのところ、スポンサーも広告の費用対効果をより考え出してきている。韓流ファンは単なる他の番組の視聴者に比べて、広告商品の購買率が高いと思われる。ことに通販的な広告ではこれが大きいのではないか。

いくら視聴率が高くても、番組の視聴者に購買力がないのなら広告する側は無駄金を捨てているようなものだ。むしろ視聴率がイマイチでも、それを見ている層の購買反応が高ければ、スポンサーとしても当然そっちを選ぶ。また視聴率に高低があっても両者の購買反応が大して変わらなら、今度はコストを考えるであろう。これは資本主義における自明の結論である。そういう費用対効果やコスト率がよい(制作費用が安い)番組が韓流番組いうことだろう。

だから国粋者がいくら叫ぼうとも、彼らに商品購買力(資本力)がなければ、テレビ局は相手にしない。彼ら向けの番組を流しても一銭にもならないからである。つまりテレビ局にとって韓流ファン(中高年のおばちゃんが多いのではないか)はお客様だが、単に文句をたれてくる国粋者(まあ彼らの気持ちはいくらか分からないでもないが)など客ではないのである。彼らが、今のテレビの現状に不満があるなら、購買力で圧力をかけていくしかない。そうでない限り、韓流番組の今の現状は変わることはないだろう。
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by phtk7161 | 2012-04-17 21:32
野田内閣が昨年9月に発足して半年が経過した。残念ながら私の野田内閣への評価はかなり低い。
評価の低いその最大の理由は、「官」に向けての姿勢にある。特に財務省への最大サービスの姿勢(満額回答)には目を覆いたくなるばかりだ。そこには民主党政権発足の最大のテーマであった「官」の問題と対峙する姿勢はかけらも見えない。

今「財務省」は高笑いであろう。安住財務大臣などは家庭教師の先生の教え(レクチャー)についていくので精いっぱい。官僚に指示をだすどころか操りロボットと同じである。教える側(財務省)からすれば、これほど可愛い生徒もいないと思う。財務省に対する偉大なる「YES MAN」、それこそがまさに今の野田首相と安住大臣である。

         ☆        ☆        ☆

民主党の財務大臣は藤井・菅・野田・安住と続いてきた。このうち藤井氏は財務省OBで、ある意味では身内。「埋蔵金」の捜索能力に期待がよせれたが、その効果はもうひとつだった。
その後の大臣はある意味では「素人」。もっともある種の「素人」でも政治能力があれば、これは別で一定の指導力は発揮できる。現に菅元首相は厚生大臣時代に一定の指導力を発揮して見せた(エイズ問題)。しかし彼でさえ「財務省」にはどうにも駄目だった。

「消費税の公約(未遂)」や「背番号制実施」、これらの主張はもちろんそれなりに理由はある。
しかしどうにもやりかたのバランスが悪い。これらをやるならやるで、同時に実施する側の官の責任も明確ではなければならない。

・・・たとえば、消費税ならきちんと「目的税」と明記することや特殊法人を含めた官仲間への無駄な出費の削減は絶対的であろうし、背番号制なら、これを漏えいしたものに対する厳格な刑事罰(執行猶予はつけられないレベルで、予定されているものでは漏えいしても悠々執行猶予で逃げられてしまう)の存在や漏えいについての国の責任を定めた特別法(損害賠償についてのその具体的手続について定めた)などがセットでなければ、消費税も背番号制もただの役人のための政策になってしまう・・・

官のとるべき責任についてどれだけ「指導力」を発揮できるか、それがまさに彼ら(財務大臣)の存在意義である。たとえ「数字的」なレクチャーには対抗できなくとも、政治的観点から官の責任とセットの法案作りを役人に命じること(もちろん議員立法でもいい)は決してできないことではない。

法案の(消費税・背番号制)の成立について官の責任(法案のなかに責任につていの具体的な文言を盛り込む形でもいい)を条件化するようなバランスのとり方は、今の「官」の問題を解決するひとつな有力な手段である。

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野田内閣が発足して、今ことに「官主導」の流れは止まらなくなっている。無抵抗に等しい。

かつての自民党政権も変わらぬレベルの大臣(ある女性法務大臣などは民主党政権を含めて専門外を考慮に入れてももっともひどかった。それは田中大臣の比ではない・・・もっともその責任は大臣を選んだ内閣側にある)のオンパレードだった。だから自民党は民主党の大臣のことなど言える立場ではない。もともと「専門外の操り人形大臣(官に対する白旗)」への道を築いたのは、栄えある「自民党政権」のほうである。で、そうなってほしくないから「民主党政権」を人々は望んだのである。

しかしそれができない。小沢・鳩山政権は問題はあっても、「官」の是正についてはっきりとした姿勢をみせていた。それが内閣攻撃の援後(検察)と官僚のいやがらせ(不作為行為)で、彼らが退陣して以降、民主党は完全に官に対して「白旗」の状態である。

確かに小沢にも大いに問題はある。政治主導の発揮の仕方もあまりに独善的すぎた(官僚はともかくもっと他の議員の意見も取り入れるべきだった)とも思う。しかし「官」の問題の解決は、小沢・反小沢をとわず両者一致した目標だったはずだ。それができないのなら、そもそも「民主党政権」の誕生した意味がないではないか。

今からでも遅くない。民主党は原点に立ち返って、今一度「官の責任」を明確化した形であらたな法案を成立させる。この最大の問題(政権誕生の意義)に党として結束できないところが、今の民主党の最大の問題といえるのである。今求められる首相・大臣とは、「家庭教師」に「利益や責任の公平的分配」の観点から、いちいち言い返すうるさい「生徒」なのである。
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by phtk7161 | 2012-04-13 21:48
原発対応は「大失敗」
=菅直人・前首相インタビュー=

    ☆         ☆        ☆    

上記の見出しは、時事通信による菅直人前首相へのインタビュー記事の見出しである。ネットでの記事一覧では、この部分だけが記載されている。
さてみなさんは、この見出しをみてどう思われたであろうか。

多くの人は菅前首相が、事故発生後の首相として対応が大失敗だったことを自ら認めたと思うのではないか。つまり原因は「自らの事故後の行為(対応)」にあったのだと認めたのだと。

しかし実際読んでみると、彼は「事前の備えが十分ではなかったという意味で大失敗だった」と答えている。すなわち事故発生以前に、すでに対応失敗の大きな原因が存在したというのが、彼の言う「大失敗」の趣旨である。

なら見出しは、「事前の備えが十分でなかった」との表現も同時に記載されていなければ、その見出し「不正確」どころか「誤った」記事である。

「○○という意味で大失敗」は○○の部分がなければ意味を持たない。「大失敗」だけ記載してもそれは「嘘」を書いたのと同じことだ。「重要な部分を割愛したという意味で、時事通信の記事の見出は虚偽」を「時事通信の記事の見出は虚偽」とだけ記載したら、時事通信はどう思うだろうか。

確かに記事の見出しは「簡潔さ」が命だ。しかしだからといって、その表現が本質からずれた意味をもつならその見出しは「嘘」となってしまう。本質を変えないことは見出しの使命であろう。入れるか入れないかで、見出しの本質が変わるなら、その部分を割愛してはいけないし、それができないなら、見出しをつけてはいけない(原発対応について菅前首相に聞くで十分だ)。

原発対応は、事故前と事故後でその責任の意味は大きく変わる。特に長く原発に携わってきたそれまでの政府・与党(ことに自民党)には、事故前にすでに大きな要因を作っていた点で大きな責任があると思われる。「事前の備えが十分でなかった」とはそうした意味も当然含まれると思う。

しかし「原発対応は大失敗」とだけなら、多くの人は失敗の大きな原因は事故後の自分の対応だったと菅首相が認めたととらえてしまうだろう。

     ☆        ☆        ☆

原発対応についてもちろん菅前首相にも問題がなかったわけではない。しかし事前の準備不足(安全管理)が一番の大きな原因だったことは、まともな人ならだれでも理解していることと思う。今回の菅首相のインタビューの趣旨もそこからずれたものではない。

記事の見出しだけで読んで(それで内容をざっと理解したとして)、それ以上は(記事の中身を)読まない人も多い。そうした意味で「見出し」のもつ意味は大きい。時事通信の記者(編集長も含め)は文章のプロである。当然読み手が「見出し」からどうとらえるか、察知できているはずである。それが分かっていて(わからないならもはやプロではない)なぜこういう見出しをつけたのか。

今原発は転換期にさしかかっている。原発は政官財及び原発の存在する自治体とその住民にとって「打ち出の小づち」だった。そして広告などでその「うまみ」にあずかるという意味ではメディアも同じである。「打ち出の小づち」から還流された金は当然多くのメディアにも流れた(時事通信にも流れているだろう)。

今「打ち出の小づちは」小さくなりつつある。それを食い止めるための一番いい形は、「原発事故のもっとも大きな原因は事故後の当時首相であった菅直人の対応がすべて」という結論である。これなら、事前責任は問われないまま、うまみにあずかりたい連中にとっては「めでたし、めでたし」ということになる。

時事通信の本音

<原発対応は「大失敗」>の見出しをつかえば、管が対応の大失敗の原因が自分にあると自ら認めた(事後のことが大きな原因)と、世の中の多くの人は思うだろう。そうなれば、世論も首相が管でなかったなら、原発は大事故にはならなかったという認識をもち事前の問題は薄められる。「打ち出の小づち」は復活し、東電応援企業の広告も集まりやすい。

もちろんこれ(本音)は仮説だ。本当はちがうかもしれない。しかしこの見出しをみる限り、どうもある「策略」を感じざるを得ない。そうした意味で、時事通信がなぜ見出しをこの部分に限ったのか。「事前の備え」をなぜ割愛したのか。編集の責任者を含め、その本音が聞きたいところである。
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by phtk7161 | 2012-04-06 22:14
次期衆院選の目玉は橋下維新と石原新党のようだ。両者似た者同士の自信屋である。

彼らは感情優先の人間を操るのが非常にうまい。それなりのビジュアルのよさも加わって、いわゆる小泉選挙がターゲットととしたB層的な人にとってはうってつけの「スター」であろう。

この両者に共通したすごさは、なんといっても見事なまでに国民のレベルを「なめた」その発言である。

      ☆        ☆         ☆

今回明るみになったに、大阪交通局職員によるリストねつ造事件。「知人・友人紹介カード」の回収状況を示すような市交通局職員の一覧リストが作成され、それが偽物だったという事件である。

橋下知事はこの件について、「むしろ組合の疑惑をはらしてやった」「疑惑文書の真偽が確定しなければ質疑できないなら議員の自由な言論を阻害し、市民の真実を知る権利の障害になる」などとのたまわった。

「むしろ交通局の疑惑をはらしてやった」。本当にそうであろうか。
まずそもそも「疑惑」はなぜ生じたのか。原因は偽リスの作成と委員会での杉村市議の発言である。それは、私文書偽造(作成者)や名誉毀損(両者)の対象になる。

杉村市議や維新のやったことは、「はらした」のではなく、先に対象者を害する事実を「作った」ことである。作ったとは、偽のリストを作成したことではない。対象者の利益を害するような事実を表に出してしまったこと(資料をもとに委員会で発言した)である。「作った」がなければ「はらす」必要はない。「はらした」というのは0点の解答である。

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「疑惑文書の真偽が確定しなければ質疑できないなら議員の自由な言論を阻害し、市民の真実を知る権利の障害になる」についてはどうか。これなんぞ一見聞くとなんとなく説得あるように思える。しかし実はこの発言こそが、まさに橋下知事の「ずるさ」を象徴している。

表現の自由とその対象者の人権。両者とも重要である。だから法はその両者の利益を考慮して、表現者側に「真実だと思っても無理もないといえる程度の十分な資料の存在」を要求している。当然そこでは「資料」の信憑性は重要な鍵となる。

委員会での質問の自由は確かに重要だ。しかし委員会での質問は即不特定多数への「公表」であるから、当然そこには対象者の「名誉」もからむ。「ない」ものを「ある」としても許されるには、そう思っても無理はないといえるほどの信憑性のある「資料」の存在がなければならない。

今回の事件ではリストは偽造であり、かつそれに対する信憑性のチェックも市議が橋下知事への「功績PR」をあせるあまり、明らかに不十分であった。前もって資料について虚偽を危惧する意見もでていた。つまりどうみても「アウト」の行為である。行為が許されるために必要な、相当といえる資料の存在などなかったといえるのである。

橋下知事のずるさは、この一方の利益に関するポイントについて(法が定めている対象者の人権の鍵となる真実にかかわる相当な資料の重要さ)十分知っているのに、これをあえて「スルー」しているところである。こういうところがこずるい。明らかに「どうせそんなことなど知らないだろう(気づかないだろう)」と市民のレベルをなめているのである。

それは、杉村市議の質問は「維新がさせたのであり彼には責任はない」というおかしな理屈もそうだ。質問した本人には「言いたくなかったのに、意思に反し無理やり言わされた」というのでもない限り、委員会で自らの意思で発言したことには当然責任が伴う。
それはたとえそれが「維新としての発言」だったたとしても同じである、発言者自身にもなお責任があることには変わりない。ただ発言者とともに、維新にも同様の責任が生じるだけのことだ。発言者と同様に、政党の社会的責任が問われるだけのことである。

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今回の出来事は、上記のような小難しい説明など本当は必要のないレベルの問題である。「偽の資料の作成」と「それにもとづく議会での発言」はそれぞれ別の段階での責任がある。作成=発言ではない。発言したのはだれか。作成者ではない。発言者には発言者として独自の責任があるのである。

「でっちあげの資料に功名心から忠告も無視して安易にひっかかり(資料に対するチェックを怠った)、ないものをあると発言してしまった。けれど悪いのは作成者であり、発言した本人(あるいは団体)には何の責任もない。」→「それでは済まないでしょう。」子供でも分かる理屈である。だから前原・野田・永田議員も責任をとらざるをえなかったのだ。

もしそれでも彼らが責任を否定するなら、彼らのその思考はけっきょく「あいつは悪いやつだ。だからあいつらをつぶすためには、偽の証拠で事件をでっちあげてもかまわない。」的発想と何ら変わらない。こんな発想をする人間などどうみても「「バカ」としかいいようがないでないか。

今回の偽リストの作成者は熱烈な橋下支持者なのだろう。「維新塾」にも応募していたという話だから、今度の行動からは「偽リスト」をきっかけに「覚えめでたく」杉村市議を通じ橋下効果にあやかりたい(自分の人生のプラスにつなげたい)という動機もすけて見える。そしていつかは自分も今の人生を変えできれば「ヒーロー」にということである。

そんな人間の言い訳は「正義感からやった」。偽リストを作る=不正義(というより悪)というまことにもって人間の基本の基本さえ分かっていないその思想には、自らの「真理」のためには「犯罪」さえいとわない、あの「オウム」さえ連想させ、うすら寒いものを感じる。

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確かに大阪交通局や労組は大いに問題がある。その是正は大阪にとって必要だろうと思う。しかしそのためには、手段を選ばないでいい(偽の事実を生じさせてももかまわない)とするなら、その思想は非常に危険である。それは「カルト」的思想でしかない。この先橋下&維新がそういった「カルト」思想を持ちつづけ、支持者は思考を止めた単なる「信者」と化してしまうのか。(別の言い方なら「ナチス党」となり、支持者も一緒に「ゲシュタポ」まがいの行動をとり続けるのか。)そうではなく、委員会で公表した時点で対象者にすでに害悪が生じている以上、誤りは誤りと認めそのことについてはきちんと謝罪し、健全なる組織としてやっていくのか。

彼らが、今回この問題を、お得意の「屁理屈」と「数の力」で何らの責任をとらないままクリアできたとしても、その「汚点」は消えることはない。その「汚点」はいつか違った形で表出し、彼らを「瓦解」させると思う。リストの作成者や杉村市議と同じような思考の人物は、おそらく現維新の議員や議員予備軍にも少なからずいるであろう。そういう点でいえば、今回の出来事の対応は、まさに新党維新(現議員・予備軍)についての「質」の試金石ともいえると思う。
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by phtk7161 | 2012-04-04 22:11