社会問題を考える


by phtk7161
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二股でおなじみになった塩谷瞬について私は何も知らない。周囲に聞くとドラマや映画でけっこう有名な人物らしいが、私のレベルだと塩といえばせいぜい小泉改革のときの食えない狸「塩じい(塩川正十郎)」ぐらいである。

その私が塩谷君には感謝している。なぜかといえば、彼のおかげでワイドショーがワイドショーらしくなるかもしれないからだ。

政治がワイドショー的になって言われるようになって久しい。ワイドショーが「誰にも分かりやすく政治」をということは理解するが、やはりどうみても政治にプラスになることは少ない。

政治をまじめに扱うなら、問題の背景で対立している利害を説明し、一定の時間をかけて両者に五分に議論させ○×思考にもっていかないこれが大事だが、これだと多くの人は退屈だし、まずワイドショーでは扱えない。

そもそもワイドショーは「面白くてなんぼ」であって、そういう意味ではももとワイドショーは「等身大(生きた人間がかかわっている)」の政治には不向きなのである。だからワイドショーは「虚飾」の世界を中心に据えたワイドショー本来の姿にもどるべきだ。

で塩谷瞬。二股大いにけっこう。二股といわずできれば三股四股までいってほしい。独身者が二人に求婚。巷でもありそうなことではないか。「結婚をにおわせて彼女たちから金を奪った」というのなら、それはもちろんダメ。「詐欺」の被害届を出せばいい。しかしどうもそうでもないらしい。

もちろんお相手の彼女たちの立場からすれば気の毒(腹を立てるのも当然だろう)だとは思うが、しかし彼女たちも「虚飾」の世界に生きている人たちだ。これをネタに「商魂」たくましくその世界で生きていってほしいと思う。

ワイドシューと政治の関係ならなんといっても「小泉人形(役者小泉ともいう)」のとき。このときこれを超えるものがこの(虚飾)世界にはいなかった。今も一つ間違えばワイドショーは「橋本人形(役者橋本)」をいじりだそうとしている。橋本はもともとテレビの要素もたっぷり(「行列の・・・」)で、これは相当に危ない。彼がこの要素をフルに利用すればいよいよ本物のポピュリズムが誕生する。

でそんな状況の時おきた、塩谷瞬の二股問題。ここはひとつ彼にテレビに出まくってもらい石田純一など足元にも及ばない「芸能人」になってほしい。そうしてワイドショーに「政治ネタでは数字(視聴率)がとれない、やっぱり塩谷で」と思わせてほしい。そうして政治が少し落ち着いた形でとらえられる環境にしてもらいたい。でよ、第二の「塩谷瞬」。それが私の今の願いでもある。ワイドショーはワイドショーの原点に帰れ。そういうことなのである。
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by phtk7161 | 2012-05-16 22:47
小沢元代表に関する政治資金規正法違反について、一審の判決は「無罪」だった。

「判決は、小沢を限りなくクロに近いグレーだとみている」という意見も多いようだ。事前の了承を認めながらも、共謀に関する「故意」が十分証明されていないとして無罪となったことから、そうした見方になるのだろう。

あと一歩及ばず。指定弁護士の検察役はそう思っているだろうし、「小沢を有罪に」という人物たちも同じだろうと思う。そうなるとおそらく「控訴する」という見方も当然でておかしくない。

もっとも控訴したとしても、あと一歩の「一歩」を埋めることはそう簡単ではない。共謀共同正犯とする以上、少なくとも正犯と「同視」できるに近い故意は絶対に必要である(両者が助け合って利用し合う関係ならそうであって当たり前だ)し、そうであれば計画の内容への理解は「相当に具体的」でなければならない。そうでなくてもすむ(ある程度の大枠ですむ)のは、犯罪を積極的に指示した(たとえば暗殺を指示した暴力団の親分と子分のような場合)ような場合だけである。

政治資金規正法では報告書についての責任者は出納担当となっている。つまり石川議員(当時秘書)たちがそれにあたるわけだが、その立場にない小沢方からことさら積極的に「報告書には虚偽の記載をしろ」といった、あるいは報告書に実際に記載したのでないかぎり、一般には出納責任者ではない小沢を責任者だった石川たちの行為(虚偽記載)と同視することは難しい。

同視できる(共謀あり)には、「出納担当とかわらないといえる程度に内容を具体的に理解していたことを証明することが必要だ」そう判決はいっているのである。

判決に出ている限りでみると小沢への当初の報告とその後の事実の変動、そのこへとへの理解の齟齬、さらにはそもそも出資した資金についての理解にも食い違いがあるようにもみえる。そういう点から考えると、攻撃側が「あと一歩」だと思っていても、出ている証拠からすればその一歩はかなり遠い一歩なのではないか。私はそう思う。

さらには検察審査会の問題も、今回棄却自由にはあたらないとされたが、裁判で新たに検討すればまだまだ不透明な点も多く、控訴審ではちがった結論もありうるだろうし、そうでないとしても、別の角度かみて今回の手続き上の不正(虚偽の報告書)と規正法違反の罪質の重さ(重罪ではない)を加味すれば、捜査の兼廉性の問題を理由に棄却することも可能のようにも思う。

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そもそも今回の問題は本来立法論で解決すべきことである(見做し既定の創設や政治家本人の責任の明記など)。それを通り越して強引にやろうとすると捜査は無理筋となり、これでは「冤罪」も生みかねない。そういう意味でも、今回の問題を政治責任はともかく法的責任で裁こうとすることは妥当でなかったといえる。

まして本来の涜職の罪を裁きたいができないから、潜脱的に政治資金規正法で「やっちまえ」とすることなど論外である。某元検察官は「政治資金規正法は量刑が重くなったから、これは涜職の範囲から漏れた犯罪をうめるためのものとなった」といっていたが、それは明らかにおかしい。量刑の重くなったことが、罪質をかえることにはならない。涜職で裁けないなら、犯罪要件をかえた、涜職に関するあらたな刑を創設すべきなのだ。

特捜の捜査方のありかたをめぐっても、問題の多かった今回の事件。今度の判決は広い意味でこうした検察へのペナルティも加味されてだされた無罪判決だったようにも私には思えるのである。
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by phtk7161 | 2012-05-01 22:35