社会問題を考える


by phtk7161
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
安倍様、自民党様ぜぜこ下さい。JCASTニュースは、そのためには何でもします。今日も御用聞きの記事書きました。どうぞごひいきに。国民なんぞに主権はいりません。明治時代は私達の憧れです。JCASTニュースでした。
[PR]
# by phtk7161 | 2013-05-06 23:43
人には欲がある。自分が中心となって他人を意のままに操りたい。それが簡単にできる方法は、法で万能の力を持つ源をつくりだすことである。それをそうさせないところが、今の憲法の真骨頂である。

明治憲法下の天皇はある意味万能(そのために神格化された)であったし、ヒトラー時代のドイツも法でユダヤ人の命を奪うことを容易に合法化できた。それを可能にしたのも、その時代の憲法が、法さえ作れば何でもできる、法実証主義や法律の留保を可能とするものだったからだ。

今の憲法は自然法の観念により、法万能主義を否定する。法にはやっていいことの限界があって、それを超えるような法は憲法の力で効力を持たない。だからこそ、私たちは先の時代より格段に権利にめぐまれ自由を謳歌できてきた(もちろん生命もだ)。事実論として完全でなくとも、平等の精神も広まった。

門地的世襲的に優勢である人間、そうでない人間、いずれも扱いは平等でなければならない。あたりまえのことだ。「人間」としてそこに違いはない。長い歴史の中で、「血」的純潔などもはやありえない。天皇家でさえ、長い歴史の脈絡をたどれば、外国の血がはいっててもおかしくない。「在○よされ」と叫ぶ連中にも、DNAをしらべれば、その血が入っててもおかしくない。だから人種や、今の時代血統にこだわるのはおろかな人間のやることである。


今日は憲法記念日。憲法改正の空気も漂うこのごろ。

改正を叫ぶ彼らの憲法の本質は、自分たちが中心となって(おそらく賢者のつもりなのだろう)主権者であるがその実家来にすぎない国民を指導していく。まさに前近代的な憲法観である。

現に安倍から使命を受けた自民党高市早苗は、堂々と「自然法」を否定している。つまり「人は生まれながらに自由なんぞない」、国家から与えていただいた範囲での自由、それがお前ら国民の「自由」だと宣言しているわけである。先の自民党議員による「天皇陛下万歳」はまさにそれを自白したようなものである。

18歳以上の国民投票法案。改正後直ちに10代の彼らに牙をむくことはないだろうが、彼らが30代になったとき、「徴兵」あるいはそれと同質の義務をときの20~30代の人間に課していくことになるだろう。体罰にすら耐えられない彼らが、はたしてそのとき「体罰」当然のなかに組み込まれても絶えられるのか。その方向にむくことを可能にする「改憲」。

彼らが喜んで改憲に寄与するなら、安倍や高市の国家(彼らの欲の国家)のために、彼らは命を張ることになる。なんとも皮肉なことだと思う。

戦後短期間で日本が繁栄できたのはまさに日本国憲法があったからだ。軍事的問題を平和的に処理していったことで、国の力の配分を経済面に集中できた、そのことが大きい。

憲法を改正して、北朝鮮や中国のような精神レベルの低い国(韓国は微妙なところ)にあわせ、軍事イケイケ精神になるようなら、日本はあっという間に劣化した国家となるだけである。

強制はできないが、多くの人に今の憲法に対する「愛憲心」をもっと持ってもらいたいと思っている。
[PR]
# by phtk7161 | 2013-05-03 13:29
麻生・安部政権の正体。

それはまさに日本の政治の中国・北朝鮮化。

まずは国家権力ありきで、人権はその下。したがって法で人権制限しほうだい。

「小学生以下の子供がいる女性は居酒屋来店禁止。やぶれば罰則を課す」こういう法案ですら合憲とできるような憲法をめざす。高市早苗あたりが考えている憲法観はこういうレベル。

個人として尊重される人同士の権利が対立したとき、それを綿密に検討比較しながら調整して制限できる範囲を決定する。国家が制限するのではなく、私人的な公共的観点(社会性)から制限できる範囲を決定する。それが今の憲法。

在特会が公道で「○○人を殺せ」と叫んでも逮捕されないのは、それも今の憲法(一応表現の自由)に守られているから。もちろん社会常識的にいえば論外の行動(クズそのもの)だが、今の憲法はまずは広く自由を認めてくれる。そこから相互の人権を調整して制限しようとするのが今の憲法。あくまでそういう行動は「世論で戒める」のが今の憲法のスタイルである。

麻生・安部(高市)はそうではなく、まずは国家が最初に人権を認める範囲を決定する。国家の悪口はいわせない社会。その正体はまさに日本の「中国・北朝鮮化」そのもの。麻生安部政権の憲法なら在特会なんて「治安維持法」的法の合法化で簡単につぶせる。

ネットの支持者はあれほど北朝鮮や中国を批判していながら、それと同じ体質をもつ(麻生安倍政権)方向へと日本を進めようとする。まことにおめでたい連中だ。

今の政権をネットで支持する連中は、ストーカー的気質がある。

緻密に考えることをめんどくさがる。10+1=11を、見た目だけでとらえて10+1=101と考え、「それは違うよ」というと解答の論理が間違っている考える思考のレベル。昔ガリレオをたたいた連中とおんなじだ。

麻生安倍政権の悪口を言おうものなら、あほみたいにネットに書き込むまくる(あるいは抗議電話)。韓・中の国粋連中と同じことをやって自分の存在事由を確認するしかない哀れな連中。

まあ彼女(彼)もいないだろうな。いたらこんな作業に粘着するわけがない。早く彼・彼女でも作ればいいのに。

もっとも経済的対価のためにこうした行動をとるしかない人間もいる。麻生・安部政権を批判するものをネットでたたきいくばくかのアルバイト収入を得る。

以前も述べたがJCASTニュースも結局はそうした連中の延長線上のたぐい。メディアでもなんでもない。権力監視機能であるメディアの「表現の自由」をつぶすためのメディアが彼ら。産経・読売・新潮・文春(文春は時によりけりだが)もはや政府広報誌。

面白いなと思うのは、議員の多くが道徳化を叫んでいながら、「不倫」の禁止は決して叫ばない。
どうせ国家ありきによる憲法を作りたいなら、不倫した政治家の失職規定の法律でも作ればいいのに。貴重な税でできている歳費を愛人に使われてはかなわない。でもまあ無理だろうな。それやったら与野党問わずかなりの議員の首が飛ぶ。

日本を中国・北朝鮮化して何が面白いのか。それが麻生安倍政権をささえる連中の不思議さである。
[PR]
# by phtk7161 | 2013-04-25 10:43
ネット選挙運動解禁。ああ笑える。

こと政治的分野に限っては、ネットの有用性はゼロどころかマイナスである。さほど実社会の経験のないあるいはまったくない人間が、自分の感情だけでストレス発散まがいの動きを繰り広げる。匿名性をいいことに差別用語を連呼するいびつな人間の集まりなわけである。実生活で相手にされない、あるいは話を聞いてもらえない、緻密に考えることを拒否した人間が救いを求めて単純化した国粋思想をふりまわす。それはストーカー的行為であり、便所の落書きそのものである。当然そうした人間がやる政治活動など、何の意味もない。

「政治に関してネットは有能か」と問われれば、否である。上記の種類の人間が、暇に任せて参入しすぎているからである。それは有能どころか「害悪」そのもの。そこに未来はない。

もちろんネットが有効に機能する分野も存在している。むしろそちらのほうが多いであろう。しかしこと政治(選挙も含め)に関してはネットはないほうがましである。政治に関してネットは未来に通じてはいない。後退どころかその実質は、実態的社会とは別の空間でのお遊びにすぎないのである。そこに政治家が未来を見るなら、そういった政治家は流行の幻惑に踊らされるピエロにすぎないのである。
[PR]
# by phtk7161 | 2013-03-26 00:40
正月早々こんな話題もなんだが、中日新聞に「苦情電話をかけてきた」くずたちについて話したいと思う。

識者に内閣に関する印象を聞いた特集に対する苦情だそうだが、安部内閣が「ウヨ内閣」で「戦争ポジティブ」内閣であることは事実。特集のどこがいけないのか。全然わからん。幹事長の石破も徴兵を肯定するしているわけだし、内閣だけにとどまらず、今の自民が「軍隊積極主義」「右翼まみれ」であろうことは否定しようもない。つまり中日新聞の特集は真実なわけだ。対応した新聞社の人が本来あやまる事柄では決してない。

今回の馬鹿のクレーム。「意見が偏向すぎる」。何寝ぼけたこといってだろう。ネトウヨクレーマーたちは。なら自民(の右翼系)機関誌産経新聞はどうなる。「打倒民主党」を民主党が政権獲得した当時から記者が宣言し、その後も閣僚の発言を意図的にむりやり失言化するありさま。その産経の偏向のクソさにくらべれば、中日新聞なんてまだまだ健全だ。真実をゆがめる度合いで言えば、圧倒的に産経新聞のほうがひどい。

クレームをつけてきたやつらなんて、そのほとんどは中日新聞(東京新聞)を実際に取っている読者ではない。あいもかわらず、ネット情報を回して、「クレームつけまくろうぜ」遊び繰り返している連中だろうと思う。まあつまりは暇人の連中わけで。かわいそうな連中だとは思う。

あの読売も、金で女性を性処理道具扱いしていた紳士たれ巨人軍のスキャンダルには頬かむりし、某渡辺の免許講習ずるパス問題もそれをもみ消そうと必死の体たらく。このどこが報道にふさわしい態様なのか。アメリカ大好き原発促進新聞社は偏向報道のそのものだろう。

いまや新聞メディアに中立性は期待できない。経済的理由も含め、自分たちの読者層に近い記事をのせてしまうことは仕方がない。だから私はくず産経の記事にも、渡辺の所有の読売の記事にも電話でクレームなんてつけようとは思わない。それで当たり前だからだ。そんなんで新聞社にいちいちクレームつける連中なんて、せいぜい暇人お宅のネトウヨ連中くらいのもんだろう。

JCASTニュースもこのつまらん記事をのせている。今ネットの報道の世界は、このレベルでしか動けない。JCASTがどこから「報酬」というなの「こずかい」をもらっているかしらないが、まあ自民応援団サイドであることは確か。今後もネットの世界この手の連中は、自民保守系から「こずかい」をもらったこの手の連中が虚業(本人たちは生業のつもりだろうが実際はそうだ)お遊びを続けることだろう。
[PR]
# by phtk7161 | 2013-01-01 20:38
「日本を守るため、原子力の技術を安全保障からも理解しないといけない。(反対は)見たくないものを見ない人たちの議論だ」これは塩崎恭久議員が話した内容だが、これについて述べておきたい。

       ☆        ☆        ☆

彼の言う「見たくないものを見ない人たち」とはどういう意味か。「安全保障に関する問題の現実をみようとしない人たち」ということか。
核による外交の優位性は、彼がいうほど現実的だとは私は思わない。核をもつことは利益の面ばかりではない。当然そのことからくる周辺国との軋轢によるマイナス面も当時に考えていかなければならない。日本が持てば、韓国はどうするか。台湾はどうするか。そのとき中国はどう動くか。
防衛力を向上すればするほど国家の安全は高まるというのは、ある意味幻想である。そのことによる外交のマイナス面も直視しなければ、まさに「見たくないものを見ない人たち」になってしまう。

       ☆        ☆       ☆ 

塩崎君の言う「見たくないものを見ない人たち」の典型例、それはまさに長い間政権を担当してきた自民党の議員たちである。
原発の安全に関する問題点の指摘(たとえば、電源喪失による冷却機能の問題など)がありながら、彼ら「見たくないものを見ない人たち」は、長い間意識的にその危険を見ないようにしてきた。その結果がこれである。

今、確実にいえることは、彼らが「見たくないもの(安全の問題)をみて」いれば少なくとも福島第一原子力発電所の問題は防げたか、そうでなくても今より低い被害ですんでいたということだ。その場合原発の問題に足を引っ張られずその他の被災地全体の復興にもっと力を集中できたのである。彼らが「見たくないものを見ない人たち」だったことの罪は大きい。

       ☆       ☆       ☆    

ついで言えば年金の問題もそうである。

積立方式から賦課方式に変えたことで、年金の財源システムは、ある意味自転車操業的になってきたといっていい。年金財政の健全性からいえば、賦課方式は欺罔といえる。賦課方式というごまかしなら、むしろ年金という名の「税」(ただしきちんと払えば年金受給の権利をえるもの)といったほうが、ごまかしのない分まだ正直だったと思う(このことは賦課に転換した時点での積立方式の分が蓄積されていてもなんらかわるものではない)。

賦課方式は現役世代への借金の先送りに過ぎない。賦課方式という形でごまかしたまま、団塊の世代退職まで「どうせ多くの年金の支払いが現実化するのはもっと先」として、政権を担当してきた自民党が、なんら年金財政への抜本的対策をとってこなかったことも今の問題の大きな一因である。

いつか大量の退職者が受給時期を迎えれば、年金財政は一段とひっ迫することはまともに考えてみればに誰にでもわかる。「先進国的経済成長」時の幻影のまま、経済的停滞期での年金の現実(入りと出)を直視しようとしてこなかった自民党。これもまた彼らが「見たくないものを見ない」人たちだったことの典型例といえる。

でなぜ彼らが「見たくないものを見ない」だったかといえば、安全(原発)や健全な財政(年金)より自らの利権(お金や権力)を優先したからである。
というわけでわけ知り顔に「見たくないものを見ない人たち」とのたまわった塩崎恭久議員。だが、実はその言葉こそ彼の愛する「自民党」にブーメラン返りしてしまうことを彼は理解しているだろうか。

少なくとも今後の彼には原発問題で「見たくないものでもきちんと見ることのできる人」の手本となってもらいたいと思う。「自分はみたくないものでも見れる」という彼だもの。彼ならできるはずである。
[PR]
# by phtk7161 | 2012-06-22 20:36
いよいよ消費税国会も大詰め。野田役人操り人形内閣と、旧態然の役人政治復興を目指す自民党とのコラボが進むなら、法案はとおることになる。
消費税をあげるにしても、今度の(消費税)法案は論外である。やるなら次の2点をきちんとクリアする必要がある。

今回の社会保障・税一体改革関連法案と銘打っているが、これに行政改革(役人側の支出の削減)も加えて三位一体しないと、補充したガソリンの垂れ流しと同じで、税収をいくらあげようが効果的な財政運営は望めない。これが一点。

もう一点は、今回の消費税(増税分)は福祉目的化に固定することである。固定化せず役人が自由に使えるとすると、どうしても役人とその仲間たちのほうに回る分がでてきてしまう。目的化することで、役人の使い道を一定の枠にはめさせてしまうことが重要である。

      ☆        ☆        ☆

上記を読まれてそこまであなたは役人が信用できないかといわれれば、「全く信用できない」と私は答える。

民主党政権ができてひとつだけましになったことは、これまで自民党政権下で隠されてきた出来事がかなり明らかになってきたことだ。この点だけは評価していいと思う。
このおかげで、いかに役人がその場しのぎの政策で問題点を先送りしてきたか、しかしその一方で自らの利権だけはきっちり確保してきたか、明白になった。年金しかり原発しかりである。

      ☆        ☆        ☆   

今の野田内閣はなんとか政権を維持・遂行しようとするあまり、旧態然の自民党政治と形において同じになってきている。期待した岡田氏にも「やはりあんたも役人だったか」と言わざるを得ない状況だ。

今日本で一番威張っている政治家、役人出身自民党の伊吹くんを見ればわかるが、あれが役人の本当の姿だ。役人は腰を低くして見せていても、一定年齢に達した役人の内心はあれと同じである。

「下々のものは優秀な私たちに従え」「役人は優秀だから間違いないなどしない」「役人のやることはすべて正しい」まさに上から目線。今伊吹君は内心外面ともに役人の本当の姿をさらけ出してくれているわけである(それにしても威張りすぎだ)。

役人の利権確保の習性は、じつは個々の役人に原因があるのではない。殊に若い世代の役人は優秀で勤勉で高い公益性を意識している人物も多い。しかしそういう人物でも長年この組織にいると、組織防衛優先の人間になってしまう。公益を害しても組織を裏切らないことが優先され、それが優秀な役人であるということになってしまうのだ。

そうなってしまうのは長年続いてきた組織の体質に原因があるからだ。したがって、これを是正するには一度その本質をぶっ壊していくか、そうでなければ法の網で外枠をはめ彼らの組織防衛の動きを封じてしまうしかない。

       ☆       ☆       ☆

今回の法案についてもそういう議論になってほしいと思っているなか、今反消費税派の議員についていくつかのスキャンダルがこのタイミングででた。

ひとつは小沢元代表の奥さんお手紙、もう一つは田中美絵子衆議院議員の不倫疑惑。小沢氏の奥さんの手紙については一方側からだけの言い分(内容的には彼女の推定にすぎないことも多い)だから全部を鵜のみにするわけにはいかない。

田中氏の方は、彼女の生き方をみればこういうこともあっても不思議ではない人物だから、「しょうもな」と思うけれど、でもなぜこの絶妙のタイミングで記事にという疑問は大いにある。

今回この記事をだした両者は、権力に食わしてもらっている週刊誌「文春」と「新潮」。ほとんど計画通りのにおいぷんぷんで、反消費税への打撃の意図があることはまず間違いない。またこれで財界から(旧態政治を支持する企業から)の広告も維持でき、両誌とも飯がくえるというわけだ。相も変らぬ旧態然の政治体質をもつ両週刊誌。それもま2chと同じレベルと考えていればいいだけのことなのだけれど。この種の出来レースは、これからもまだまだ続いていくのだろう。
[PR]
# by phtk7161 | 2012-06-14 14:54
人間社会は「嘘」がないことを、一応の前提としている。なぜならそうでないと、個人・企業を問わず取引などおおよそできなくなるからだ。だからとりあえずではあるが、私たちは相手方のいうことを「そうなのだろう」と推定する。

しかしこの「推定」がまるできかない企業が存在する。いうまでもない、東京電力である。いやむしろ東電の場合「そうなのだろうと」推定できないどころか、まず先に「「嘘」だとするところからいっていいのかもしれない。

「嘘」だらけの中で東電は、いったい本当のことをいくつ言ったのだろうか。

8日の委員会で、原発で水素爆発が起きた後、清水前社長は「撤退は考えていません」といったようだ。しかしまずこれも「嘘」である。

「現場にいた700人のうち、女性や事務職など緊急対応と関係のない人を避難させる趣旨だった」「全員撤退は全く考えなかった」と考えていたというのなら、そのままそう最初に伝えればよかったはずだ。でもきちんとそういわなかった。それひとつとっても、嘘だとわかる。

あの相当切迫した状況の中で、現場はともかく東電の幹部が「全面撤退」を考えていたとことは、間違いない。あのとき彼らは(幹部)もうどうしていいか分からなかった。だから彼らは逃げる寸前だった。そういうことなのだ。

       ☆         ☆        ☆

それにしてもこの清水前社長をはじめとして、自己保身もここまでくるともはや「犯罪」である。値上げに際して増加させる人件費の問題を含めいったい彼らはどういう神経をしているのだろう。

そもそもなぜ東電に関することはいつもこう(インチキ)ばかりなのか。

理由は簡単である。東電の原発が「カネのなる木」だからである。今東京電力福島第一原発事故を検証する「国会事故調査委員会」も、この「金のなる木」を守るのに必死だ。見事なまでも出来レース「調査」を恥も外聞もなく発表する。

事故の最大の原因は、何を置いても第一に、事前の準備をまったく怠っていた、「政府(自民党政権)と東電、そしてその仲間たち(委員会の学者など)」にある。こういう「カネ・カネ・カネ」の原発村の人間たちは、禁止薬物をやめられない人間と同じようなものだ。

巨額のカネを生むだす「原発」。あのもんじゅも成果がでなければ、壮大なる天文学的「詐欺」にすぎない。世の中、金で狂ってしまっている世界は数々あるが、原発それは他のどの世界以上に「ダントツ」である。

エネルギーの問題としてまともに原発を考えたくても、「莫大なカネのなる木」の魔力の前では、うまみに預かる人間たちは思考は止まり中毒状態。今の原発村の人間は、もう中毒からはぬけだせない。彼らを中毒でない人物たちと入れ替えない限り、この村はもうまともにはなりえない。

エネルギー問題をまじめに考えるなら、まずは原発をカネのなる木にはしない。これが議論の前提となる。原発存続の有無の問題は、それからの話である。
[PR]
# by phtk7161 | 2012-06-08 21:23
二股でおなじみになった塩谷瞬について私は何も知らない。周囲に聞くとドラマや映画でけっこう有名な人物らしいが、私のレベルだと塩といえばせいぜい小泉改革のときの食えない狸「塩じい(塩川正十郎)」ぐらいである。

その私が塩谷君には感謝している。なぜかといえば、彼のおかげでワイドショーがワイドショーらしくなるかもしれないからだ。

政治がワイドショー的になって言われるようになって久しい。ワイドショーが「誰にも分かりやすく政治」をということは理解するが、やはりどうみても政治にプラスになることは少ない。

政治をまじめに扱うなら、問題の背景で対立している利害を説明し、一定の時間をかけて両者に五分に議論させ○×思考にもっていかないこれが大事だが、これだと多くの人は退屈だし、まずワイドショーでは扱えない。

そもそもワイドショーは「面白くてなんぼ」であって、そういう意味ではももとワイドショーは「等身大(生きた人間がかかわっている)」の政治には不向きなのである。だからワイドショーは「虚飾」の世界を中心に据えたワイドショー本来の姿にもどるべきだ。

で塩谷瞬。二股大いにけっこう。二股といわずできれば三股四股までいってほしい。独身者が二人に求婚。巷でもありそうなことではないか。「結婚をにおわせて彼女たちから金を奪った」というのなら、それはもちろんダメ。「詐欺」の被害届を出せばいい。しかしどうもそうでもないらしい。

もちろんお相手の彼女たちの立場からすれば気の毒(腹を立てるのも当然だろう)だとは思うが、しかし彼女たちも「虚飾」の世界に生きている人たちだ。これをネタに「商魂」たくましくその世界で生きていってほしいと思う。

ワイドシューと政治の関係ならなんといっても「小泉人形(役者小泉ともいう)」のとき。このときこれを超えるものがこの(虚飾)世界にはいなかった。今も一つ間違えばワイドショーは「橋本人形(役者橋本)」をいじりだそうとしている。橋本はもともとテレビの要素もたっぷり(「行列の・・・」)で、これは相当に危ない。彼がこの要素をフルに利用すればいよいよ本物のポピュリズムが誕生する。

でそんな状況の時おきた、塩谷瞬の二股問題。ここはひとつ彼にテレビに出まくってもらい石田純一など足元にも及ばない「芸能人」になってほしい。そうしてワイドショーに「政治ネタでは数字(視聴率)がとれない、やっぱり塩谷で」と思わせてほしい。そうして政治が少し落ち着いた形でとらえられる環境にしてもらいたい。でよ、第二の「塩谷瞬」。それが私の今の願いでもある。ワイドショーはワイドショーの原点に帰れ。そういうことなのである。
[PR]
# by phtk7161 | 2012-05-16 22:47
小沢元代表に関する政治資金規正法違反について、一審の判決は「無罪」だった。

「判決は、小沢を限りなくクロに近いグレーだとみている」という意見も多いようだ。事前の了承を認めながらも、共謀に関する「故意」が十分証明されていないとして無罪となったことから、そうした見方になるのだろう。

あと一歩及ばず。指定弁護士の検察役はそう思っているだろうし、「小沢を有罪に」という人物たちも同じだろうと思う。そうなるとおそらく「控訴する」という見方も当然でておかしくない。

もっとも控訴したとしても、あと一歩の「一歩」を埋めることはそう簡単ではない。共謀共同正犯とする以上、少なくとも正犯と「同視」できるに近い故意は絶対に必要である(両者が助け合って利用し合う関係ならそうであって当たり前だ)し、そうであれば計画の内容への理解は「相当に具体的」でなければならない。そうでなくてもすむ(ある程度の大枠ですむ)のは、犯罪を積極的に指示した(たとえば暗殺を指示した暴力団の親分と子分のような場合)ような場合だけである。

政治資金規正法では報告書についての責任者は出納担当となっている。つまり石川議員(当時秘書)たちがそれにあたるわけだが、その立場にない小沢方からことさら積極的に「報告書には虚偽の記載をしろ」といった、あるいは報告書に実際に記載したのでないかぎり、一般には出納責任者ではない小沢を責任者だった石川たちの行為(虚偽記載)と同視することは難しい。

同視できる(共謀あり)には、「出納担当とかわらないといえる程度に内容を具体的に理解していたことを証明することが必要だ」そう判決はいっているのである。

判決に出ている限りでみると小沢への当初の報告とその後の事実の変動、そのこへとへの理解の齟齬、さらにはそもそも出資した資金についての理解にも食い違いがあるようにもみえる。そういう点から考えると、攻撃側が「あと一歩」だと思っていても、出ている証拠からすればその一歩はかなり遠い一歩なのではないか。私はそう思う。

さらには検察審査会の問題も、今回棄却自由にはあたらないとされたが、裁判で新たに検討すればまだまだ不透明な点も多く、控訴審ではちがった結論もありうるだろうし、そうでないとしても、別の角度かみて今回の手続き上の不正(虚偽の報告書)と規正法違反の罪質の重さ(重罪ではない)を加味すれば、捜査の兼廉性の問題を理由に棄却することも可能のようにも思う。

       ☆         ☆         ☆    

そもそも今回の問題は本来立法論で解決すべきことである(見做し既定の創設や政治家本人の責任の明記など)。それを通り越して強引にやろうとすると捜査は無理筋となり、これでは「冤罪」も生みかねない。そういう意味でも、今回の問題を政治責任はともかく法的責任で裁こうとすることは妥当でなかったといえる。

まして本来の涜職の罪を裁きたいができないから、潜脱的に政治資金規正法で「やっちまえ」とすることなど論外である。某元検察官は「政治資金規正法は量刑が重くなったから、これは涜職の範囲から漏れた犯罪をうめるためのものとなった」といっていたが、それは明らかにおかしい。量刑の重くなったことが、罪質をかえることにはならない。涜職で裁けないなら、犯罪要件をかえた、涜職に関するあらたな刑を創設すべきなのだ。

特捜の捜査方のありかたをめぐっても、問題の多かった今回の事件。今度の判決は広い意味でこうした検察へのペナルティも加味されてだされた無罪判決だったようにも私には思えるのである。
[PR]
# by phtk7161 | 2012-05-01 22:35