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社会問題を考える


by phtk7161
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NHKに対する8400人訴訟の馬鹿馬鹿しさ・・・思想遊びを超えた社会的害悪行為について

触れるのも馬鹿馬鹿しいが笑ってもいられない問題も含んでいるので、今回はNHKに対する8400人訴訟について書こうと思う。

今回の訴訟、はっきりしているのはそれは全くもって頭空っぽの連中による集団訴訟にほかならない。慰謝料一人一万円だということだが、債務不履行でやるにしてもあるいは不法行為でやるにしても法的な「因果関係」や「損害」自体ないことは明らかであるし、それ以前に「訴えの利益」の存在すらあるのかどうか。

ようするに今回のできごと「暇人の」「暇人による」「暇人のための」道楽訴訟である。こんなもののために裁判所をわずらわせること自体、彼らの行為は社会的害悪といっていい。

こういう馬鹿な連中は、NHKに対して何かとにかくいやがらせがしたい。訴訟はそのための「道具」というわけである。それは、質的には総会屋や右翼団体による集団嫌がらせとなんら変わらない。自分の気に入らないことがあれば、とにかく嫌がらせをして「無理」を通させる。これに関して、読んでいて笑ったのが産経新聞の署名記事。

<その多くがNHKに懐疑的だったり批判的な内容で、それらは次々と広がっていく。なかには粗暴な言葉遣いや中傷、邪推もあるが、共感できる指摘や豊かな学識に基づく適切な考察、核心をついた推理も少なくない。>産経新聞(安藤慶太)より抜粋。

メディアとして公的権力監視の社会的責任をとうに捨てている産経新が、NHKの「公共責任」を批判したのにも大笑いだが、それよりもっと笑えたのが、この産経の社説でさえNHKに対しての批判内容に「粗暴な言葉使い」や「中傷、邪推」があることを認めていることである。

つまりは自分達の仲間にそういう人物が少なからずいることを認めているわけである。ネットを含めたお祭り好きの馬鹿がこういう遊び・・・今回は訴訟遊びまでやってしまった・・・に参加しているわけだ。

以前にもふれたが、こういう連中でも自分たちのフィールドで遊んでいるうちはまだいい。しかし今回みたいに集団で通じ合っての嫌がらせ抗議電話や法的利益として何の意味もない訴訟をするに至っては、ただ笑って済ましているわけにもいかないと思う。

このままこういう連中の「オイタ」度が過ぎることになれば、真剣に民事上(不法行為)・刑事上の責任追求(「業務妨害」や「脅迫」の)まで考える必要がある(たとえば上野動物園のパンダに対する抗議電話など多人数間で意思を通じさせてのものであれば「不法行為」「業務妨害」のレベルにちかい。)

もちろん民事や刑事の責任追及は、表現の自由の萎縮を招く危険もあるから、その適用は慎重でなければならない。しかし一方で、こういう法的意識の浅薄な連中の遊びをこのまま放置しておくと、やがてはカルト的洗脳の進んだ人間による社会的危険行為を招くことになる。

現に少し前おきた数度のNHKへの「銃弾送りつけ」や「爆弾騒動」も思想的には今回の訴訟の連中と共通しているところが多い。全体主義の萌芽はこういうところから発生するのである。そう考えるとこのまま放置していいというわけにもいかないだろう。

今回訴訟を起こした連中にも「、表現の自由」の権利や「訴訟を起こす」権利はもちろんある。しかし、同時にそれは他の人間(相手)にもあるのだということを彼らは考えない。昨今の彼らは特に自らの思想にとらわれすぎ、その普遍化のためには誰彼かわまず「カルト」化した行動も辞さなくなっている。抗議電話しかり。今回の訴訟しかり。それはまさに「権利の濫用」そのものである。

そしてこういう動きは政治とも無縁ではない。たとえば政権投げ出し政治家安倍晋三のたてた公共放送に関する議連も今回のことと無縁でないだろう。「国民生活」の目線にはめもくれず、こういう「国家主義的」遊びばかりに没頭する馬鹿な政治家をみると本当に歳費の無駄だと思う。

安倍晋三にしても中川昭一にしても国家国家と叫びながら、自らの失態が招いた国益的な責任からは逃げまくる。いっていることとやっていることに全く筋が通っていない。結局は腹を切る(議員辞職する)度胸のない「弱虫」ほど威勢のいい「国家・国家」をいいたがるということなのか。

もしそういう「弱虫」政治家が今回の連中の背中を押しているとしたら、その罪は重い。さすがにそうでないことを願っているが、NHKへの圧力で話題に上った彼らのことだ。わざわざ議連をたてたくらいだから、全く無関係ともいえないだろう。

あらためて述べるが、表現の自由や訴訟の権利は誰にでもある。しかしそれは、オールマイティではない。他の人(相手)にも表現の自由はあるし、訴訟もそれを起こすに見合う法的「価値」が必要である。それは踏まえなければならない。社会的権利を遊び道具のおもちゃにしてはいけないのである。

自らの思想実現のために、他人(法人も含め)の権利も省みず嫌がらせを目的とした行為を行なえば、それは権利の濫用であり、不法行為であり、他害性がより強ければ場合によっては刑事犯罪にもなる。

そのことを踏まえたうえで今回訴訟を起こした8400人には、自らの行為が遊びの領域を超え社会的許容の「限界点」をこえつつある・・・民事的損害賠償責任や場合によってはお縄に一歩一歩近づきつつある・・・ことへの厳しい認識が必要といえるだろう。
by phtk7161 | 2009-06-26 02:16