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社会問題を考える


by phtk7161
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メディアにおける意図的表現の具体例・・・共同通信の「修正否定せず」の見出しについて

前回メディアのアメリカ(国防総省とかくべきか)よりの姿勢・・・記事における意図的表現・・・について書いたが、いい機会なのでその具体例をひとつ。

26日の共同通信の記事で、<記者団が「キャンプ・シュワブ沿岸部(名護市辺野古)に、くい打ち桟橋(QIP)方式で代替施設の政府内で検討するのか」と質問したのに対し、「一つ一つに『イエス、ノー』でコメントしない。ご容赦ください」と鳩山首相は答えた。>との記事がのっていた。

共同通信はこれを見出しで「修正案否定せず」と表現した。しかし「イエス・ノーでコメントしない」ということは、すなわちこの件についても回答しないというのが正解。それは「否定せず・肯定せず」ということではなくて、ノーコメント=話さない(否定か肯定とかとは別次元)ということである。これを共同通信は「否定せず=修正案容認の可能性あり」としたわけだ。

「首相はYES・NOでコメントせず」等身大の表現でそう書くのが当然だし、それで何の不都合もない。現にこの件をある新聞は「答えず」と見出しにしている(まあ当たり前だけれど)。しかし共同通信(記事の書き手)は評価を加えて、見出しでは修正案容認を匂わす表現を使った。

見出しは読者に強いインパクトを与えるものだ。細かい内容以上に見出しは新聞にとって重要な箇所といえる。そこで曲解させるような表現しては、書き手に何らかの(鳩山政権をマイナスに向かわせるような)意図ありとされても仕方がないだろう。

記事で一番重要なのは事実(そのままの事実)。首相自身のコメントを記すならば、それは等身大のコメントの表現が一番ベストで、コメントの評価は読者にまかせればいい。それが事実を伝えるということである。
by phtk7161 | 2010-04-27 23:13