塩谷瞬に期待する・・・ワイドショーと政治
2012年 05月 16日
その私が塩谷君には感謝している。なぜかといえば、彼のおかげでワイドショーがワイドショーらしくなるかもしれないからだ。
政治がワイドショー的になって言われるようになって久しい。ワイドショーが「誰にも分かりやすく政治」をということは理解するが、やはりどうみても政治にプラスになることは少ない。
政治をまじめに扱うなら、問題の背景で対立している利害を説明し、一定の時間をかけて両者に五分に議論させ○×思考にもっていかないこれが大事だが、これだと多くの人は退屈だし、まずワイドショーでは扱えない。
そもそもワイドショーは「面白くてなんぼ」であって、そういう意味ではももとワイドショーは「等身大(生きた人間がかかわっている)」の政治には不向きなのである。だからワイドショーは「虚飾」の世界を中心に据えたワイドショー本来の姿にもどるべきだ。
で塩谷瞬。二股大いにけっこう。二股といわずできれば三股四股までいってほしい。独身者が二人に求婚。巷でもありそうなことではないか。「結婚をにおわせて彼女たちから金を奪った」というのなら、それはもちろんダメ。「詐欺」の被害届を出せばいい。しかしどうもそうでもないらしい。
もちろんお相手の彼女たちの立場からすれば気の毒(腹を立てるのも当然だろう)だとは思うが、しかし彼女たちも「虚飾」の世界に生きている人たちだ。これをネタに「商魂」たくましくその世界で生きていってほしいと思う。
ワイドシューと政治の関係ならなんといっても「小泉人形(役者小泉ともいう)」のとき。このときこれを超えるものがこの(虚飾)世界にはいなかった。今も一つ間違えばワイドショーは「橋本人形(役者橋本)」をいじりだそうとしている。橋本はもともとテレビの要素もたっぷり(「行列の・・・」)で、これは相当に危ない。彼がこの要素をフルに利用すればいよいよ本物のポピュリズムが誕生する。
でそんな状況の時おきた、塩谷瞬の二股問題。ここはひとつ彼にテレビに出まくってもらい石田純一など足元にも及ばない「芸能人」になってほしい。そうしてワイドショーに「政治ネタでは数字(視聴率)がとれない、やっぱり塩谷で」と思わせてほしい。そうして政治が少し落ち着いた形でとらえられる環境にしてもらいたい。でよ、第二の「塩谷瞬」。それが私の今の願いでもある。ワイドショーはワイドショーの原点に帰れ。そういうことなのである。