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社会問題を考える


by phtk7161
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アメリカ中間選挙の結果と今後の外交のありかた

アメリカ中間選挙の結果は、民主党の勝利となった。
下院のみならず上院まで、非改選分を含めて民主党(無所属民主よりの議員を含めて)が議会の多数を占めた。
改選分のみで考えると今回の選挙結果は、まさに民主党の圧勝といっていいと思う。
もちろん、これは民主党が対案で勝利したのではなく、遅ればせながら(それもかなり遅ればせながらではあるが)アメリカ国民が、ブッシュ大統領とネオコンにイラク攻撃に関する政治責任をとるよう求めた結果である。
私は下院は勝てるとおもっていたが、正直なところ上院は、非改選の数を考えるとぎりぎり過半数には届かないのではないかと思っていただけに、この結論をだしたアメリカ国民には素直に敬意を払いたいと思う。

今回の中間選挙の結果が導き出した結論は、いかに軍事力の優れた国であっても、単独(有志連合という名のその実突出した国が仕切る場合も含まれる)での(軍事)行動では、国際紛争は解決しないということである。

テロ問題を例にとれば、アフガン攻撃時には世界は国連レベルでまとまっていた。
もしアメリカが、アフガンに専念して、アフガンの復興とそれを起点とするテロ対策に集中していれば、テロ撲滅は一種の世界的ブーム(言葉は妥当でないかもしれないが、質的にはそのようなものだと思う)となり、世界がまとまって、もっとましな方向に進んでいたと思う。

それが先制攻撃的自衛権(その実質は侵略戦争)というたわごとで、イラクを攻撃したために、すべておじゃんになってしまった。
イラク攻撃については、面とむかっては外交関係上アメリカを非難できない国でも、内心ではアフガン時のとちがって、アメリカに対し嫌悪感を抱いた国も多かったと思う。
特に中東の国ではそういうケースは多かったのではないか。
アメリカのイラク復興政策や、パレスチナ問題などの中東の政策が、なかなか思う方向に進まないのは、そのことが大きく影響しているとはずである。

ネオコンが跋扈した世界ではあるが、そのネオコンのやり方もいよいよ手詰まりとなりつつある。
ネオコン的人間(世界中にいる、もちろん日本にも)の愚かなところは、「力」それも軍事力中心の「力」で、歴史的地理的文化的風土に違いを持つ世界のあらゆる国を、平坦な「価値」(自由主義・・・それも実質的不平等を前提とする)一色にすることができると信じていることである。
そして、軍事攻撃による世界外交戦略についても彼らは抽象的イメージしかもっていない。

つまり、何千何万もの人間を一瞬にして殺戮できる兵器、あるいはとにかくハイテクといわれる兵器があれば、その力(それを背景とした力で)で狙った国は容易に征服できるとする単純イメージである。
なるほど、これらの「力」は物理的にはその国を壊し、外形的勝利はおさめられるかもしれない。
しかし、実質的にはそれでは、何ら得るものはない。
ただ不必要な混乱を世界にもたらすだけである。
ある国の政権をたおしても、個別には、テロが頻発するだろうし、その首謀者の把握でさえ困難を極める。
政治的にも、宗教問題が入り組んだ地域であれば、なおさら特にその統治機構(組織)をつくり政治的意思決定のシステムを再築するのは容易ではない。
そのことが、分かっていないか、考えようとしていないか、とにかくネオコン的人間は、流れ続ける時の経過(歴史は続く)に対し具体的イメージをもてない人間である・・・もっともかれらは軍事的妄想は必要以上にすごい。
彼らの世界では、外形的勝利をすれば、ヒーロー者のドラマのように「悪」を倒しドラマは終了ということである。

しかし、現実の世界はテレビドラマではない。
時は流れ続けるし「その後」は常に存在する。
「その後」があることを考えない人間の政治戦略など、ただの「ごっこ」である。

私がアフガン時のアメリカの攻撃やその姿勢をまだ支持したのは、そのことに「世界」の多くの国の理解があったからである。
一国中心で外形的に倒すことはできても、その国を復興させ世界のあり方に「プラス」(安定をもたらす)となるようにするためには、世界各国の協力が不可欠である。
そして、それをぶっ壊したのが「イラク攻撃」だったということである。

それでも、ネオコン的人間はいうだろう。
「歴史に戦争はつきものだ」「戦争が歴史上なくなることはない」と。
なるほど、たしかにそうであろう。
しかし、かれらのいう「戦争」観や「国家」観(日本で言えば明治維新的国家観)は中世ヨーロッパ的時代でとまったままである。

考えてもみてほしい。
今がどんな時代か。

アホ科学者がすばらしいハイテク「殺人兵器」を次々に作り出す時代である。
戦争ごっこ用の兵器がハイテクであればあるほど、軍事おたくが(でも現実の政治遂行者)がすばらしいとほめ、大喜びする時代である。
その気になれば、相手国どころか自国を含めた広い「世界」を一瞬にしてふっとばせる時代なのである。
したがって、世界を吹っ飛ばせるレベルまでの「兵器が」存在する時代の戦争と、これまでの戦争を同質のものと理解していくことはできない。
このレベルまで上がると「力」はその力が高すぎるゆえに、最終的に政治的問題を解決する本当の力にはならないのである。
これを解決するものは、互いの歴史的地理的文化的風土の違いを認識しつつも、共通の「哲学」(たとえばアフガン時点でのテロ封じ込めを必要とする世界的認識)をさぐり、それを共有しあっていくという形での世界の連携(協調)である

これに対して、防衛といいつつ核レベルの軍事的「力」をもとうとすることは何の役にも立たない。
不必要な、外交問題を引き起こすだけである。
これは、何も理想論的理由だけでいっているのではない。
日本の「核議論」は現実的理由としても無意味である。

なぜ、理想的のみではなく現実的にも日本が核を「議論」する必要はないか。
具体的に考えてみれば分かる。
日本が「核」をもてば(もちろんアメリカも含めアジア諸国がこれを容認する可能性はかなり低い・・中国のみならずロシアなどもかなり反発すると思う)韓国ももつ(もちろん、韓国は北がもてば日本に関係なく当然に持つだろうが)。
問題は台湾である。

この流れで台湾もどこかで核をもとうとするだろう(独立派は特にそれを望むだろう)。
当然、中国は黙っていない。
その場合、台湾が核を持とうとする動きが出る前に、中国が実際に交戦に踏み切る可能性はかなり強いといえる(このパターンの場合、戦争のおきる確立は9割以上あると思う)。
そして、アメリカはその場合おそらく中国の動きを黙認することになると思うが、実際にアメリカがどういう動きをするか、こればかりはおきてみないと分からない。
アメリカの出方次第では、アジアは相当の混乱に陥ることになる。
台湾有事は日本にとって、かなり危険な問題である。
このきっかけになるようなこと(核議論)は、避けなければならない。

日韓中露台湾を含め、幸い日本周辺の地域では、朝鮮戦争以降は大きな戦争レベルの軍事混乱はなかった。
しかし、もし日本を含めた「核」問題が現実になればこれを機に、日本が戦争に巻き込まれる可能性はかなり強くなるといえる(もっとも、日本板ネオコンはそれを望んでいるかもしれないが)。
だからこそ、アメリカも含めアジア周辺諸国(もちろん日本も)は北の核問題解決に乗り出しているわけである。
したがって核をもつことに何の利点もない。
「核議論」(少なくとも強い政治権力をもつものの議論)など無意味であり、もっと議論すべき政治課題は、ほかにいくらでもあろう。

北朝鮮が「核」をもとうとするなら、それは「現北朝鮮体制」の終わりを意味する。
「核」なし金体制の存続は認めるとしても、「核」をもった金体制の存続認める国はほぼ皆無であろう。

結局この問題のポイントはこうである。
核つき金体制はみとめられない。

しかし、核なし金体制は、不必要な混乱を避けたい以上、中国、韓国、ロシアは認める。
アメリカは認めたくないが、ネオコン路線に限界が見えてきたため、路線を変更するかどうかは微妙なところであろう。
日本は拉致問題もあって、少なくとも今の政権では、金体制は認められない(本音のところでは)という立場をとるしかない。

そもそも金正日が核をもとうとするのは、アメリカから「フセイン」扱いされて攻撃される危惧感を強くだいているからである。
核を持とうとしてもほろばされる、持たなくても体制は約束されない。
なら結局どっちにころんでもダメなら「持ったほうがマシ」ということである。

北朝鮮がダメな最も大きな理由は、まともな経済政策がもてない(偽ドル、覚せい剤問題をとってみても分かる)国だからである。
この国の問題を解決するのは、結局はまともな経済政策(レベルは低くても)をとらせることしかない。
そのことが、結局はこの国のしょうもない動きを解決させることになる。
もっとも望ましい姿は、金日生を亡命させ、まともな経済政策をもった「北朝鮮」を新たにつくりだすことであろうが、これも容易ではなさそうである。

いずれにしても、結局北の問題はアメリカがカギをにぎっていることにはかわりはない。
日本がいくら拉致問題を強調したところで、北に関する関連国の中では日本は主体的立場にはたてない。
それどころか、むしろ日本は「拉致問題」があるため、とにかく「核」をあきらめさせることを最優先課題としている中韓米露からは、日本が「拉致」を全面的におしだせばだすほど、核問題の解決を遠ざけるものとして、やっかいもの扱いされる危険すらある。
ここにジレンマがある。
そしてこれが、外交というものの冷徹な現実である。

中間選挙でアメリカの民主党が力をつけた以上、北をめぐるアジア政策にもなんらかの変化はでてくるだろう。
小泉安倍政権のなかで、日本はブッシュ共和党べったりの政策をとってきた。
靖国で不必要にもめ、中国、韓国と北の問題解決への協調路線をなかなかとれなかった。
そして、アメリカ民主党とのまともなパイプもほとんどない(安倍首相など幹事長時代の訪米時、ネオコン主催の会で講演したくらいだから)。
これから北の問題も含め、日本の外交は厳しい試練を味わうことになると思う。
○×発想ばかりで、いく筋もの流れの可能性を頭にいれて、外交活動をしてこなかったつけである。

これは拉致問題についてもそうだ。
本当に拉致問題を解決する気があるなら、日本としては早くからアメリカばかりでなく、中韓とも協力して解決をめざすべきであった。
しかし、不必要なもめかたをした。
尖閣、竹島は、おとしどころをめざして、ある程度もめてもてもかまわない(日本も十分言い分はある)。
しかし靖国は(私はそもそも憲法上の政教分離で公式的色彩の強い参拝アウトの立場であるがそれを別としても)感情論的側面が強く国益的に見てもなんらもめる価値はない。
本気で拉致問題の解決を望むなら、公式的色彩の強い参拝はやるべきではなかった。
私は拉致問題を支援している政治家でも、中韓が嫌がることが分かっていて、あえて強く公式参拝促進の行動する政治家は、結局本気で拉致問題を解決する気はないのだと思う。

外交の基本は軍事的「力」ではない。
利害の関わる国と如何ににおとしどころをさぐりつつ協調の道を見出していくか。その中で自国の「哲学」を相手国にどう理解してもらうか、それが外交である。
政治における日本版ネオコンブームも、すでに対外的には行き詰っている。
そのことに日本国民が気づきだすか。
日本の外交の今後の再生は、そこにかかっていると思う。
by phtk7161 | 2006-11-13 19:21