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社会問題を考える


by phtk7161
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宮崎知事選にみる政治の構図とこれからの日本の政治課題

宮崎知事選で、東国原(そのまんま東)氏が当選した。
保守王国宮崎での知事選の結果は、何を示すものだろうか。

今回の知事選は、確かに保守分裂の状況だったことは確かだ。
官僚出身の2人の候補の票を合計すれば、東国原氏の票数を上回ることになるが、しかし、仮に一本化できたとしても、それはそれで今回いずれかの候補にいった票の一部(それもある程度の)は、東国春氏に流れたと思われる。そのため、一本化していても結果はやはり東国原氏が私は当選していたと思う。一本化した候補が川村氏なら川村氏の僅差負け、持永氏なら持永氏の完敗という結果であったのではないか。

宮崎は長年保守王国が続いてきた。
特に江藤隆美元建設大臣(現在引退)が、宮崎の政治家ではもっとも有名な人物だと思われるが、彼が宮崎県政に多大な影響を与えてきたことは間違いない。
以前の県議会議長が彼の秘書だったことからもそれは見て取れる。

江藤氏は初当選の時、かなり多数(百人前後)の運動員の選挙違反者を出し、一時やめるべきではないかとの声もあった。
もちろん、彼はやめることなく議員を続け、山中貞則元通産大臣(自民党税務調査会のドン)に取り入り(地盤が鹿児島で近いよしみもあったろう)力を伸ばしてきた。
この彼のあくの強さは、彼に政界での一定の実もたらすことができた要素でもある。
かなり昔であるが、黒木元知事(ある事件で逮捕されたが後に無罪)の幕引きを山中氏とともにおこなったこともある。
いずれにしても、江藤氏的政治手法がなお従前と同じく続いていれば、今回の知事選の結果はなかったといえる。

もっとも保守王国宮崎が、日本において特殊な地域かというと、決してそんなことはない。
今までの日本が、いわゆる面倒を見る(ここでは仕事を持ってくる=そのための予算をとってくるの意味)政治的形をとってきたことからしても、そういう自治体は数多くあった。
ことに地方(モータリゼーションの十分でない)においては、その地域の仕事を生み出す(金を回す)手段として、公共事業が多々行われ、それが雇用を生み出し、地域にお金を落としてきた。
そして国庫支出金や地方交付税交付金あるいは財投(もちろん全部ではないが、)などが、その原資として使われ、そのことが、莫大な財政赤字を生みだした大きな一因であったことは間違いない。
しかし一方では、それにより過疎地であっても、諸外国に比較して、ある程度の生活ができることに貢献してきたこともまた事実である。
これまで地方であってもそれなりに福祉がはかれてこれたのも、この構図によってであることは否定できない。

ただこのことは・・・議員当選→支持してくれる有権者の面倒をみるためお金を中央からひっぱてくる→有権者が生活できる→これを安定して続けるため有権者が自分の面倒を見てくれる議員を支える(議員に投票する)→議員は当選できる→議員の地位を守る(長年議員でい続ける=政界で実力者となる)ためまた地元の面倒を見る・・産業の硬直化をもたらすこととなった(特に地方で)。

これが、つい最近まで(少なくとも小泉首相誕生前の)の地方における政治の典型例であったといえよう。
小さな町の長の選挙では、負けた側の候補者の支持に回った建設会社が、その候補の落選後倒産の憂き目(公共事業の仕事が回ってこないから)にあうことも珍しいこことではなかった。

しかし近年、候補者の当選につながる要因が変わりつつある。
すなわち、面倒を見てもらわなくて結構という有権者が増えている(地方においてもだ)。
これに、最近とみに多くなっている官憲による談合摘発の事実を加えるなら、今の日本に何がおきているか。
それは、公共事業などのゼネコン的産業の比重を減らすすなわち、産業構造の体質改善を目指しているものと思われる。
この背後に何があるのか。

おそらく、これまでの福祉国家型社会(もちろん自由主義国家であることが大前提なのは当たり前)からアメリカ的社会(おちこぼれの福祉国家)に日本を変えようという動きであろう。
こういう国家になれば、富は一部の層だけに集中し格差は当然かなり広がるが、帳面上の数字だけは経済大国にみあう額をはじき出すことはできる。
クラスに20点が6人いても100点が4人いれば計520点であり、50点が10人いるクラスより優れたクラスということになるのであろう。
そして、それを目指しているのが、今の日本ということである。

自由放任市場主義における「能力」「能力」を連呼する人物が、忘れていることがある。
彼が今の力をもてたのは、自分自身の努力だけというのならそれは大間違いである。
もし40代以降で彼が国立大出身なら、それは授業料の安い恩恵を受けることができたからこそ大学に行け、そのことが自分の人生に大きなプラスとなった人もいよう。
彼が企業の世襲的経営者なら、彼の先代の時代が面倒を見てもらう政治の構図の中で成長を遂げた会社もあろう。
どんな人物でもそれなりに福祉国家の恩恵にはあずかってきたはずである。

もちろん、面倒を見る政治はあまりに調子に乗りすぎ、今の体たらくを招いた(プラザ合意があったにせよ)。
不必要な箱物は作ったし、明らかに配置を間違えた形で公的機関の人材を抱えた(必要なところに配置せず、不必要なところがさらに余剰の公務員を抱えることとなった)。
しかし、そういうマイナスがあったにせよ、それが地方で仕事を生んだ事実は否定できない。
田舎であっても、一定レベルの生活ができた事実は、なお存在する。
それを非難一辺倒でばかげたことと、自由放任を連呼するのは「お馬鹿」がやることである。

アメリカ型社会は、決して豊かな社会ではない(アメリカの民主党的リベラリズムは評価するが)。
公的保険制度すら、十分ではない(この面では、日本はアメリカよりもはるかにすぐれている・・・これから先は分からないが・・・すくなくともこれまでは)。
もちろんこれは、文化も風土も違ういかなる人種も受け入れる(現在はそこまでないが)国ゆえ、そうでなければ、国を維持できない側面もあろう。

日本は地理的、風土的、文化的にもアメリカと同じではない。
いまだに多くの難民を受け入れる度量もない。
そのような日本が、アメリカの経済構造の面だけまねして、より自由放任型の市場を作ろうと改革ばかりを連呼することは、愚かなことである。

これからの政治の課題は、公共事業的な建設産業中心の仕組みから政治が脱却するなら、それに代わるあたらしい産業を生み出せる具体策を提示しなければならない(特に地方に)。
いまだ公正とはいえない社会であるのに(世襲が当たり前のようにはびこる世界は、なおまだ多い・・・特に政界はひどい)、それをさしおいて、レッセフェールばかり主張するのは、まやかしであり、無責任政治である。
能力あるものだけが生き残ればいい社会というなら、そもそも政治なんて不必要だろう。
そんな国家が失敗作であることは、ヨーロッパの歴史ですでに証明済みだ(もちろん共産主義の失敗も証明済みだが)。
福祉国家は今なお自由主義国家の必須要件である。

前回の郵政選挙で、もう面倒を見てもらわなくてけっこうといった国民も多かった。
今回の宮崎知事選の有権者もそうであろう。
しかし、彼らは気づいてないだけである。
このままの改革オンリーだけでは、いずれ将来(20年~30年後か)前世代の蓄えが尽きたとき、食うことすらままならない層がふえるだろうことに。

こういう人が、面倒を見てもらわなくていいと気楽に思えるのは
老齢者なら、十分な年金をもらえる立場からか、ないしはそれなりに蓄えがあるからか、現役を引退した以上、雇用のことは自らにはあまり関係ないと思っているからか
若い世代なら、これまでの前世代のたくわえ(遺産)により、長年築きあげてきた生活基盤のシステムの恩恵を・・・ライフラインや義務教育などの福祉的資産を・・・あって当たり前のことと(自分は食えなくなることはないと)捉えているからである。

彼らは、国がもう雇用(産業)をわざわざ創出する必要はないと考える。
それは、金の無駄であると。
官から民で十分であると。
仕事の性質がそもそも違うのに(営利を目的としないところに官の本質がある・・・例えやり方しだいでその機関が黒字になるとしても、だから官である必要はないということにはならない・・・内容の質こそ重要なのである)その線引きを具体的に示しもしないで、連呼されても困る。
また、彼らが思うほど、市場も万能ではない。

サラリーマンなら、あなたがもらえる手当ては当たり前のことか。
そうではない。
もしかしたら、労働運動の中で得たものなのかもしれないのである。
それがなかったら、家族手当や住居費はいまだになかったかもしれないのである。
もちろん、労働運動のありかたすべてを肯定はできない。
問題点も多々ある。
しかし、その果たした役割について、まったく否定するのは愚かなことであるし、これからも必要な場面は間違いなく出てくる。
例えば、アウトーソーシングという、ネーミングは一見かっこいいがのその実は「人飼い(買い)」にすぎない形の労働問題を、いい方向に是正すべきときはやはりその役割は必要とされるだろう。

国際競争を連呼する財界の主張なんぞ、結局は彼らの自己保身的主張にすぎない。
仮に彼らのやり方でやったとしても、20~30年もたって世代代わりしたころには、所得のそう多くない人たちは、親の世代のたくわえもなくなり、生活ひっぱくの問題はいずれ必ず出てくる。
そうなったとき、御手洗キャノンや奥田トヨタ的企業だけが栄えていても、果たしてそれでよいのか?
それで地方の雇用の問題を解決できるか。
竹中氏や小泉氏は痛みに耐えればできるというが、私はそうは思わない。
彼らのやっていることは、たんに点数(所得)の低い人間ををなきものがごとくに扱っているに過ぎない。
もっと、別の角度からの解決が求められるべきだと思う。
それが、次期参議院選挙の争点である。
by phtk7161 | 2007-01-23 19:24