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社会問題を考える


by phtk7161
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学校におけるいじめの問題と原因(親のあり方)について

 また、いじめにからむ中学生の自殺がおきた。 最近とみにこの種の事件が頻発している。今回は、私なりにこの問題につき思うことを述べてみたい。

 この問題の要因はいろいろな要素が複雑にからんでいて、一義的に捉えることは難しい。しかし、間違いなく要因として挙げられることは、いくつかある。

 メディアや政府の教育再生に関わる人間は、まずこの問題の要因として、第一に学校の指導力を挙げているが、それは一番大きな要因ではない。それより考えるべきことは、学校から指導力を奪い取っている(発揮させにくくしている)ものは何なのかということである。 

 私は、第一に生徒の親(家庭環境)のありかたがもっとも問題の大きな原因だと考える。この理由は、このあと詳しく述べたい。
 第二に、文部省(それでも、政府の再生会議なるものより、数段ましだが)のことなかれ体質。
 第三に、日教組の弱体化(ただ、日教祖には一面では今の教育荒廃を招いた責任もある)。これは、教師の組織の弱体化により、教師同士の意思疎通が希薄になり、問題に対し連帯して対処していくことを困難にした(一教師でことの処理をすることはかなりたいへんである)。

 第4四に、教育荒廃の問題を本質で捉えず、原因を単純な構図に仕立て上げる無責任なメディアの存在がある。メディア(特にテレビ)にはまたこのことだけでなく、メディア自身が学校荒廃を助長するような一因を作っている番組を流している、自身の加害者的側面もある。これもまた大きな原因である。

 第五に、対子供に対する社会の空気である。企業がまともに子供相手に大人レベルの商品を売り、あるいは挙句に子供相手に援助交際などという売春行為に加担する馬鹿な大人がいることである。これでは、子供が大人をなめても仕方がなかろう。こういうこともやはり今の教育荒廃の一因をつくっている。

 第六に、いじめの被害者サイドについても、彼らの側にその対象となる何かの共通した要因があるのではないか、その検証が重要なのにそれがあまりなされてないということである(これは、いじめられている側に、帰責性があるということではないのはもちろんである。ただ予防の一手段としてである)。

 第七に、今の子供が作り出しているエリア(子供の世界のルールおよびその世界での子供の考え方は、大人の社会と明らかに別の点がある・・・このことがなかなか子供が親に本音をいえない理由でもある)を等身大で把握することの困難さもある。

 さて、親のありかたが上記に記した中で今一番の原因だと記したが、それは次の理由からである。

 親が「親」になりたがらず「友達(同僚)みたいな親子」あるいは「学生生活のころの若気の至りのまま的感覚の親」になりたがるからである(もちろんこういう親ばかりではないが、明らかにこの種の親は増えている)。いつまでも若いという意識を持ちたいといういうことだろうか。しかし、ここに落とし穴がある。

 たとえば娘との買い物で「友達のように楽しく」することは、もちろん何も問題はない。問題はいつでもそれだけではいけないということである。ここが分かっていない親が多い気がする。
 これができない親は、「公共」的な場所に関する「他人との関わり」の基本的な指針(家庭哲学)を、子供に教えるという役割果たせていない。
 親が子供に対し、こういう面でも前述したような友達の機嫌をうかがう感覚で対応するなら、学校の指導が効果をあげることはなかなか困難といえよう。

 公共の場での最低限の振舞いのルールの指導は、間違いなく家庭にある。これは断言できる。それができず、明らかに正当な理由もなくに他の生徒の人権を侵害してる生徒について、その生徒の親が学校からそのことを指摘されて、反論したり無視したりするようなら、まともに学校運営などできるわけがない。

 もちろん、家庭によりさまざまな事情がある場合はあろう。
しかし、それでも親はある面では絶対「親」でなくてはいけない。
どういう面でも、友達感覚(もちろん他人的感覚は論外)のみで対応するなら、それは親の役割の放棄であろう。

 これは、今度のようないじめの問題を考えるとき重要な点である。これを軽視するような親の子供は、確実に大人をなめる。その結果当然教師もなめることになる。その場合の教師の指導など無力である。その意味で、義家氏が今回のいじめ問題で学校の責任を厳しく述べていたようだが、それは妥当ではない。

 とにかく重要なのは、今のいじめに関する自殺の問題は、学校の指導力云々ではなく、学校の指導力の欠如の帰責性を問う前に、その前提状況がそなわらない様々な要因があるということにそろそろ気づくべきだということである。そしてその一番の大きな原因が、親の役になりたがらない親(友達のような親、子供を同僚にする親)の存在だということである。
 「そろそろ、親になりましょう。みなさん。いつでも友達のような親子、これだけではしようがないですよ。」 この認識が重要だと思う。

 
by phtk7161 | 2007-02-04 23:42