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社会問題を考える


by phtk7161
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安倍首相辞任に思う・・・初心者のお粗末な一局

 安倍首相が辞任した。私は今度の内閣は単に時間の無駄であると8月末のこのブログですでに述べた。だから幾分早いと思うが、別に特別驚きもない。少し面食らった程度である。だから別のテーマで書いてもいいのだけれど、政治・社会問題のブログのカテゴリーでで書かせてもらっている手前、このテーマを避けるわけにもいかない。

 おそらく昨日今日とも何らかのブログを書かれている大半の方が、多かれ少なか昨日の安倍辞任のテーマに触れているだろうし、このテーマをかくことは挨拶代わりみたいなものだ(礼儀的に必要なこと)と思う。そういうわけで、浅い見方になってしまうと思うが、私なりに今回の辞任までの安倍政権誕生から崩壊までの印象を述べてみたい。

        ☆       ☆       ☆    

 突然でなんですが、このブログを読まれているみなさんは将棋をご存知であろうか。もしご存じない方には申し訳ないが、将棋の一局にかけて今回の出来事を考えてみたい。ちなみに今日の記事に日本将棋連盟の武蔵野六段(もちろんプロ)が対局欠席の多さゆえ、引退を勧告されたという記事がでていたが、この記事をよんで将棋にかけようと思ったわけではない。

 この記事を読む前、昨日安倍氏辞任のニュースを知ったときにすでに私は将棋的な見方で考えていた(どうしてそう考えたのか根拠は特にない。ただなんとなくである)。「とっくに詰んでいることに、ようやく気づいたのかな」「それにしても投げ(投了)時がずれているなあ」と思っていたのである。

 安倍首相と小泉前首相の将棋(政治手法)はどこが違ったか。一番の違いはそもそも小泉が飯島という名参謀(秘書官)がいたにせよ、将棋の主たる手は自らの考えで指していたのに対し、安倍は自らの考えで指した手はそうはなかったということだと思う。ようするに、人のいわれるまま指した手も多かったということだ。

 もっともだからこそ、さほど党内に敵も作らず首相になるまでは順調に来れたともいえる。人の意見を良く聞くお坊ちゃんは年期のいった幹部的爺さん政治家にも、うけがよかったであろう。だからあの若さで首相となれたのだ。

 で首相の座についた後どうだったか。彼は首相になった以降それまでの彼のスタイルをかえてきたように見える。人の意見は小泉に比べればけっこう聞きいれたとは思うが、しかしそれまでほどではなかったと思う。自分で考えて手をさ指そうとしていた節はある。でも結局何が最善手かは自らの頭で考えてはわからなかった。最善手でなくても少なくとも悪手を指さなければまだなんとかなる。しかし彼はどういう手が悪手すら分かる能力もなかったのだ。結果結局人の考えた手でやってしまう。

 彼が考えることのできる範囲は、結局のところ「相手の飛車や角がとりたい」あるいは「王を詰ませたい」(憲法改正、集団的自衛権など・・・さらには「王を詰ませる」=抽象的表現にすぎない「美しい国」ということになる)という結果的目標までであって、ではどうすればよいか(その過程はどういう手筋でいくべきか)ということを考える能力はなかったのである。

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 この点小泉は違う。小泉も「どういう手筋がいいのか」ということを論理的綿密さで選択できる能力がそれほどあるわけではない。しかし彼はとにかく「直感」にすぐれていた。手筋の正しさの論理的説明はできないが、とにかく「攻めろ」「攻めろ」で相手方を困惑させ結果勝ちに持ち込む能力(前回衆院選でこの能力は如何なく発揮された)には長けていたのである。そしてここが彼のこれまでの政治家にはない特異性なのである。

 将棋をある程度されるかたは分かると思うが、全くの初心者とある程度実力のついた人との違いは、将棋は「攻めるだけが勝つための手ではない」ということに気付くかどうかである。時には自らの手を故意にストップさせ(当たりさわりのない手で)相手に手を預けたり(相手に仕掛けさせる)、確実に勝ちにつなげるために守りをより堅め相手に勝つ気をなくさせるという一見地味な手がさせるようになるかということだ。そして、日本のこれまでの政治の世界ではそもそもこういう地味な手が、それまでの定石(論理的に一定の結論までたどり着ける手筋のこと)といえた。

 しかし小泉はこの定石を無視し、攻めるだけ攻めまくった。結果国民の目には、小泉という棋士(政治家)はあっぱれともいえるほど強い手を指す名人にみえたのである。そしてこういう勝ち方はかっこいいように誰しもみえる(特に初心者には)。自らの陣はほぼ万全で自分の大駒(飛車角)が相手の陣地に入っており、相手の駒は取り放題。すっきりとした完全勝利に支持した国民は酔い、さらには他の棋士(政治家)までもこのスタイルにあこがれたまねしようとしだした(この攻めて攻めて攻めまくるこのスタイル、これをトップダウンによる改革と世間ではいうようだ)。

 しかしこのスタイルは小泉だからこそである。「直感」に基づく攻めの才能がない人間(でも標準的政治家といえる政治家・・・多くの政治家はそうだ)は、地味にみえても守りの手(あるいは相手に手を預けること)も指せなければ、結局は詰まされてしまうのだ。そして安倍首相には攻めにつながる「直感的」巧手を生み出すも才能がないのはもちろんのこと、実は守りの手さえきちんとさせる能力がない。

 つまりは彼の将棋レベルは、ようやく駒の動かし方を覚えた程度にすぎなかったのである。だから小泉をまねしたくてもまねできず結局のところ、人の借り物的手(他人の考え)あるいは初心者に近い自らの考えによる手をさすしかない。しかもその手は大変な「悪手」ばかりであっというまに、盤上は絶対有利の形勢からかなり不利という状況になってしまったといえる。

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 何がまずい手だったかといえばあげればきりがない。格差の深刻さを根底で実感できなかったことが一番大きい。例えば再チャレンジなど全く意味のない手だ。しかしそれだけでない。柳沢厚生労働大臣の失言があっても彼をきらなかったこと。お金の問題噴出だった松岡農林水産大臣もきらなかったこと。松岡農相の結末は精神的にもかなり首相にダメージを与えた。この点でますます巧手を生み出す環境ではなくなったといえる。また他の多くの大臣不祥事もあった。

 極めつけは年金問題の不祥事を先送りしていたこと。さらにはそれに関して、民主党の管代表代行に一番の責任があるかのごとく主張し、この内容のビラをつくりこれを配ったこと(結局このビラは与党支持者からも反発がでてとりやめとなっている)。これは特に愚かな取り巻きの大間違いの考えによる大悪手だったといえる。本人達は攻めとして有効な手であると思っていたようだが、完全な読み違いである。

 長い間ほぼ独占的に政権にあった(ある)党(当然年金問題についても大きな責任がある)が、一時の他党の人物をこの問題の一番の責任者であるといって世間が納得するものでもなかろう。それなのに彼らはこのピンチを脱するすごく巧い手だと考えていたのである。

 選挙選に突入したときには、完全に不利な状況だった。ただそれでもまだこの時点で持ち直す可能性はゼロではなかった。つまりここで守りにはしる手か預ける手をうてばよかったのである。ところが「私か小沢さんかどちらが首相にふさわしいか」といって攻めの手にでて政権選択の意味合いをもたしてしまった。これがとどめであった。

 だから惨敗が決まったときには、もうすでに詰みまで何手もなかったといえる。それなのに、彼は投了しなかった。理由はこの将棋は俺自身の考えの手ばかりでない。他人の考えによる悪手が多かったから負けたのだ。だから「泣きのもう一局」といいたかったのかもしれない。

 しかし政治には解散(総選挙)以外には新たな一局(スタート時の最初の決められている形)はない。直近の選挙で政権党が負けた場合には、多かれ少なかれ手前で済ませたはずの終局の形は残るのだ。あっても幾分形が修正されるだけ。ただ別の棋士の指すスタイルによって局面の情勢が変わる可能性がでてくる程度である。したがって、続投すなわち指し手がかわらない以上、もはやこの将棋(安倍政権の政局)は詰むことにはかわりなかったのである。あとは投了時のタイミングだけであった。

        ☆       ☆       ☆

 そして昨日の投了の時期。将棋の投了には形作りというものがる。いわゆる負けははっきりしているが、最終局面はせめて一手さ(あるいは数手さ)あるいは一度は王手をかけておく(攻めの形作り)こういう形をとって投了することが多い。それが一種の形作りの美学なのである。

 私は安倍首相のタイミングはテロ特措法がらみの法案の可決(衆院で差し戻し可決があったとき)時だと思っていた。彼の祖父である岸信介は元首相は日米安保条約と引き換えに職を辞した(投了した)。したがって、安倍首相もそういう同じ形の投了の仕方をするだろうと思っていたのである。しかし、そうしなかった。投げ時(投了時)としてはあまりに中途半端で初心者の投了時に近い。体調のこともあり、もはや指す気力をななくし一刻もはやく投了したくなったのだろうか。もっとも他に何か大きな理由もあるようにも思う。いずれにしてもなお不可解さの残る投了(辞任表明)である。

 結局安倍首相(政権)の指した一局は初心者の将棋にすぎなかった。ルールをようやく覚えた程度だった。だからまだまだ学ぶべきことは数多くあったのだ。そのルールをやっと覚えたばかり腕前で、なのに小泉将棋と同じ形の将棋を指そうとした。小泉トップダウン攻めの将棋スタイルは彼独自のものだ。しかし現在ではその威力も前回衆院選ほどではない。同じ事(攻め手)をしても、もう今度は勝ちにつながる手とはならないであろう。いずれにしても安倍首相自身は、いまだ自分のフォーム(=政治手法)というものを身に付けていなかった。それが今回の辞任という結果に大きくつながったと思えるのである。
 
 
  

 
by phtk7161 | 2007-09-13 08:43