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社会問題を考える


by phtk7161
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婚外子差別に関する、最高裁のだした国籍法違憲判決について

大きな政府であれ小さな政府であれ、どんな国家像であっても胸をはれる立憲国家としてありたいならば、個人の尊厳は保障されなければならない。憲法14条その平等権もそのためのものである。

まして「実力なきものは去れ」的社会大好きな竹中教授などが考えている新自由主義の国家像であるならば、なおさら人生スタート時の平等は求められて当然のことであり、自身に帰責性のないことで生まれながらの不利益を負わせていいはずがない。昨日の婚外子に関しての国籍法の違憲判決も・・・判決の内容はともかくとして・・・結局根本はそういうところにある。

昨日の最高裁判決は、15人中9人の多数意見により違憲判決が出された。相変わらずだなと思ったのが、違憲判決に反対した(つまり合憲)裁判官の出身が行政官僚や検察官だったことだ・・・もっとも検察官出身2人のうちの一人は立法不作為の点は違憲としている(ただししそれでも現国籍法については合憲の立場である)。

積極的に合憲の立場を打ち出した元行政官と検察官の3人は、現在でも家族のあり方には大きな変化はないという。しかしこの見方はあまりに狭すぎる。どうみても昨今、特に外国人の定住者をめぐってのその生活状況のありかたは、日本社会に大きな変化をもたらしているといえるだろう。

今回の問題は、父親が日本人で母親が外国人である場合、出生後認知された子供が日本国籍が認められるには、両親の婚姻が要件とされている点にある。胎児時に認知されていれば、日本国籍を取得できるのに、出世後の認知の場合両親が法律上の婚姻をしていないと認められないとするのはおかしい(=法の下の平等に反する)のではないか。この疑問にこたえたのが、今回の判決だった。

もちろん反対(合憲との立場)した裁判官にも、それなりの理由があろう。婚姻を基軸にそれと(日本)社会との関係の濃密さをはかり、これを国籍要件に反映させる。それがなにより安定した社会のありかたにつながっていくと彼らは考える。なるほど、たしかにそうかもしれない。

しかしそれは所詮、国籍を管理する側の理屈である。親の側にある意味ペナルティー的なものを課すことで、できるだけ日本人と外国人との間の子供の出生のあり方を、秩序あるものにするという側面だけにとらわれすぎている。それよりむしろ大事なのは、出生し一個の人格を備えた個人(子供)の尊厳をどうはかるべきかということであろう。

社会の不安定さという漠然とした危惧より、現に生じている人間の人生における明らかな不利益(国籍が認められないことによる)をどうすべきか。両親の軽率な行動・・・もちろんそういうケースばかりではないが、そういうケースがあることも否定はできない・・・をどう評価するかはともかく、少なくとも生まれてきた子供自身には、生まれてきたことになんの責任もないのである。そうであるなら、一人の人間として生まれた以上その子供の尊厳は守られなければならない。人生のスタート時から、いわれなきハンデなど背負わしてはならないのである。

もっとも今回の違憲判決で、この種の問題が全て解決できたわけではない。日本国籍の要件として、母親が日本国籍でない場合、父親が日本人であっても「認知」のない限りは、その子供に日本国籍は認められないのである。少し下世話な言い方をすれば一時の快楽のために精子をまき散らし、その後は逃げ回るばかりで・・・認知を拒否する・・・何の責任もとらないボンクラな日本人の男が存在する限り、この種の悲劇は続くといえる。

金銭のためあるいは甘言につられ、ボンクラと関係をもった母親を軽率と非難するのはたやすいことだけれど、現実を見る限りは、その女性以上に一定の外国人に対し見下したような行動をとる・・・貧しさに突け込み金で女性を買い、あるいは甘言で関係を持つ・・・一部の日本人にその責任の多くがあることは間違いない。もちろんこの場合にも生まれてくる子供には何の責任もない。

そういう点でいえば、今回の判決も認知を要件とする点はこれまでと同じであるといえる。ただ今後も、「認知」を国籍要件(父親が日本人の場合に)として不要とするような法律の制定や判決はでてこないであろう。なぜなら「認知」が不要となれば、日本国籍の申請は莫大な数となり、日本の社会が大きな混乱をきたすきたすからである。そう考えると国籍取得に関し、これからも「認知」を要件とすることはやむをえないといえる。

しかしそれでもである。子ども自身の権利から見ればそれでいいのか。疑問は残る。そういう点でいえば、一定の進展があったといえる今回の判決も、問題の本質的解決にはまだまだ遠いものなのである。そしてその問題の責任は、司法にあるのではない。立法府・行政府それ以上に、快楽ばかり追い求めるような無責任なボンクラ男の存在を許している、我々日本の社会にあることを肝に銘じなければならない。そういう点では、「海外での売春は日本のODA」といった現大阪知事の昔の発言など、愚か者のたわごとにすぎないのである。
by phtk7161 | 2008-06-05 19:22