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社会問題を考える


by phtk7161
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筑紫哲也さんについて

民主党のオバマ氏がアメリカの大統領に決まり、ようやくブッシュの政治と共和党政権が終わりをつげたなと思ったら、翌日筑紫哲也さんが亡くなったとのニュース。なかなかよいニュースばかりは続かないものだ。

私が筑紫哲也さんのことを知ったは「こちらデスク」の頃。当時から、権力暴走と戦争への流れに結びつくような動きには厳しい目をむけていた。筑紫さんのジャーナリストしての大きな長所は、安定感のある落ちついた口調だったと思う。熱血漢でもなく、また冷淡でもなく、常に安定したフォームで聞き話す。それがかえって、人に耳を傾けさせていた。

ずいぶん前のことだが、ある右翼テロ事件が起きたときテレビで特集が組まれた。そのときのゲストの一人が経団連襲撃事件などを起こしたあの野村秋介だった。彼に対して筑紫さんと、もう一人今でもテレビにでている人物が・・・彼の名誉ためにここではあえて名前はださない・・・彼に質問をした。

その人物はかなり野村氏をこわがっていた。声はうわずっていたし、顔もこわばっていた。質問もつっこむようなものではなかった。もっともそれは非難すべきことではないといえる。普通であればこわくて当たり前である。ただジャーナリストとしては「?」ということなだけだ(ちなみにその人物は鳥越さんではない)。

でも筑紫さんは違った。例の通りの安定した口調のいつものフォームで野村氏につっこんだ質問をしていた。それができたのは、筑紫さんが人そのものより、実はその人の背後にある世の中の流れや出来事という空気(雰囲気)を本当の相手としていたからだ。それが筑紫哲也スタイルだった。この感覚をもつ人物は今のメディアにはもういないように思う。

今も昔も変わらず彼が言ってきたこと。「権力は油断すると(甘く見ると)、あるいは集中させすぎると)暴走する・・・権力の怖さ」「多数は常に正しいはいえない(少数者の視点の大切さ)」「歴史に学び、過ちをくりかえさない」。これらはどれも立憲民主主義にとって当たり前不可欠なことがらである。その当たり前のことを、メディアを通じて社会の出来事・・・いろいろな事件・・・を検証する中で、彼はくり返し伝えてえてきた。

「こんばんは筑紫哲也です」はもう聞けない。一人の人間が人間らしくあるための問題の指摘は、今のメディア人の誰かがやらなければならないが、もし誰もやれないのなら私たちが自身で考え気づくしかない。そしてそれを本当は筑紫さんは望んでいたのだと思う。

テレビの彼と身近で見る彼は全然ちがうのかもしれないが、私にとって筑紫さんは人柄的には「ダンディ」な印象が強い。そしてそれ以外の彼の人柄的印象についての表現を、私はできない。テレビでみるから、なんとなく彼のことをメディアの上では知ったつもりになっていたが、亡くなってあらためて彼のことをよく考えてみると、なんだか画面上に限っても何も知らないような気がして不思議なが気がする。

彼の「多事争論」はテレビだけでなく本でも読んだ。彼の主張は私なりには理解したつもりだが、さて人間筑紫哲也となるとよく分からない(知らない)。それだけ私にとっての筑紫哲也の存在は、ジャーナリスト筑紫哲也をおいて他になかったといえると思うのである。
by phtk7161 | 2008-11-08 21:42