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社会問題を考える


by phtk7161
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西松事件関連にみる世論調査の問題点とこれからのメディアの課題

ここのところ私のブログでは、西松建設に絡む小沢代表の問題を続けて記事にしている。もちろん他にも書きたいことは山ほどあるが、何せあまりに掟やぶりな出来事・・・反則技・・・なのでこの問題に関連することを書かざるをえない。今回もまたこの問題について書きたいと思う。どうぞご容赦のほどを。

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小沢代表の辞任を求める声が、世論調査によれば6割~7割あるらしい。確かに国民は政治の主役。世論調査はその国民の声の結果ということになる。しかしこの結果について、問題点なしとはいうわけにはいかない。

世論調査で明らかなことは、民主党を支持していない・・・無党派層はのぞく・・・人は自ら他に支持する政党があるわけだから、こういう人の声は当然小沢代表に対しびしくなることはあきらかである。他党のマイナスは「ザマミロ」であり、当然駄目だし的に「やめろ」という答えになる。

一方民主党を支持していながら「やめろ」という人は、次期衆院選でのマイナスあるいは、小沢体質改善の気持ちから、イメージダウンを心配してよかれという事からの結論だと思う。これはこれでわからないでもない・・・私はもちろん反論するが。

問題は無党派層の人がどうおもっているかこれが問題である。これに関し世論調査で気になった点がある。当初は、少ないながらもその質問項目に「今回の検察をどう思うか」という質問を設けているところがあった。この時私の目にした調査結果は、問題あり・問題ない・その他がおおよそ4対5対1だったように記憶している。一部雑誌の調査結果では問題ありが5割あった。これを見る限り少なくとも4~5割の国民が、今回の捜査に疑問を抱いていることになる。

ところがその後に有名新聞にのる世論調査では「検察捜査の妥当性」についての調査の項目がない(少なくとも私の目にした限りでは)。これはおかしい。今回の事件は「検察の捜査の妥当性」を抜きに語れる問題ではない。両者はパラレルである。検察の捜査に問題がないのならば(過去の摘発事件や捜査時期・罪質とのバランス面も当然含む判断で)小沢辞任は肯定のほうに向かいやすいし、問題があれば否定のほうに向かう可能性が強い。その点を考えれば、今回の件を調査するとき「検察の捜査の妥当性」は調査項目から切り離せない項目のはずである。

しかも、「検察の捜査に疑問を持つ声もありますが・・・与党に同じ疑惑があるのにいきなり一方の方だけ突然の逮捕に検察が踏み切ったことで・・あなたは今回の検察の捜査に問題ないと思いますか」という項目の存在は、他の質問の回答にも影響あたえる可能性がある。その項目があれば「そうか、そういう声もあるんだ」ということをふまえて判断することもありうるからだ。

だいたい世論調査で回答する人で、この問題の背景や政治資金規正法の存在(趣旨)まで踏まえて回答する人がどれだけいるかのだろうか。ただ単に巨額の政治献金をもらっていたから「悪者」だから辞めろという回答者もけっこういるような気がする。

新聞の見出しにも問題が多い。テレビ・新聞の「小沢代表辞任を6○パーセント」トップの見出し(太字の部分)をぱっと見れば「やめて当然じゃん」という風に思うだろうが、一方で首相にふさわしい人という項目で麻生首相と5分5分(数パーセント差で勝ったり負けたり)という結果は、やはりみすごすことの出来ない結果であろう。もし先の見出し(太字の部分)と同時になお「首相としてふさわし人では麻生首相となお5分の結果」という見出しならば、これまた印象は違ったものにもなろう。これらのこを考えていくと「世論調査のあり方」とそれをうけた「トップの見出し(太字の部分)」のあり方も、今回の問題の重要なポイントだと思う。

              ☆               ☆                ☆

ところで、今回のことでよりはっきりしてきたことがある。それはテレビ・新聞等のメディアは、もはや世の中を啓蒙していく存在ではなく、逆に記事を評価(採点)される立場にすぎなくなったということである。ネットなど高度の通信機器の普及で今ではその気になればだれでも数多くの情報に接することの出来る。その(情報)中にはもちろんインチキまがいのものもあるが、しかし情報の確かさを冷静に分析し、他人の尊厳を意識したうえで自らの視点をもつ・・自分の頭で考える・・・人なら、かなりのレベルで物事の全体像をそれなりに見分けることも可能である。

そういう時代にあっては、テレビ・新聞はその記事内容で、メディアとしてのレベルを判断される時代になったといえるだろう。そういう点からみた今のメディアの役割は、多方面からの多くの情報をろ過しより絞り込んだ客観的情報の提供力・個人レベルの視点からみる能力・権力を監視する能力をどれだけ備えているか、そのうえで、真実に近い情報を過剰(扇情)的表現をすることなくどれだけ視聴者・読者に提起できるかそこにあるといっていい。今回の西松事件もこの観点から、当然それぞれのメディアは評価(採点)されるることになる。

メディア側はこういったことは意識していないと思う。しかし間違いなく、もはやメディアが視聴者・読者をリードしていく時代ではない。それよりも一般の人間の接する情報より、一歩進んだ高いレベルの客観性・真実性を持つ情報を提供して、あとは読者にその判断をゆだねる時代になったのである。感情的・扇情的情報には、もはや視聴者・読者はあきあきしている。少なくとも、経済的対価・・・お金・・・を払って情報に接しようとする視聴者・読者はそうである。そしてそういう読者の経済的対価が今後のメディアの趨勢をきめる。視聴者・読者の質を問うことなく、ただただ面白半分に一方的に事件を煽動的に扱い、ドラマ劇にしてしまうメディア機関(テレビ局、新聞社)は、このまま衰退していくしかないといえよう。
by phtk7161 | 2009-03-31 18:59